立蔵神社 (富山市本宮)

富山県にある、立蔵神社(富山市本宮) を掲載しました。

富山県富山市(旧新川郡大山町)にある。
立山の西麓、富山地方鉄道立山線、本宮駅の西200mほどの本宮に鎮座。
常願寺川の南にあり、対岸の常願寺川の北には雄山神社中宮祈願殿がある。

境内は43号線の脇で、入口は東向き。
社号標には「村社立蔵神社」と刻まれており、鳥居扁額にも「立蔵神社」とあるが、
社殿の扁額や境内の案内板には「立蔵社」とある。

鳥居をくぐると正面に社殿。
拝殿の前には三角形に板が設置されていた。雪除けの屋根だろうか。
そういえば、鳥居の扁額には落下防止の金具が付けられていた。
これも雪対策なのだろうか。

拝殿は銅板葺きの入母屋造。後方の小ぶりな本殿は流造だった。

参拝は11月晩秋、曇天の日の日没近い午後。
太陽は西の山に沈む頃で、東向きの当社では逆光になってしまった。

社伝によると、大宝元年(701)、立山開闢の慈興上人(佐伯有頼公)が
五穀成就のため保食神を、字立蔵洞に祀ったのが起源。
和銅七年(714)、佐伯頼本に譲って、地名により立蔵社と称し、
立山の本宮と伝承された古社。

一説には、慈興上人の師にあたる薬勢上人が建立したものとも伝えられ、
立山への道筋として、峯近くの説法ヶ原に鎮座し、
庶民の立山礼拝祭場の本宮として、芦峅寺の中宮(祈願殿)、岩峅寺に前立社壇と
同格の立山三宮の一つとされていたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:04 PM

若伊香保神社 (渋川市)

群馬県の若伊香保神社(渋川市)を掲載しました。

群馬県渋川市にある。
JR上越線・八木原駅の西3Kmほどの有馬に鎮座。
泰叟寺という寺の南(左手)に境内がある。

境内入口に鳥居が立っており、鳥居の右手に「村社若伊香保神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり階段を上ると、もう一基の鳥居。
さらに階段を上ると社殿がある。境内全体が何かの塚のような雰囲気だった。

社名は若伊香保神社だが、社殿の扁額には「若加保神社」とある。
社殿の左右にいくつかの石祠や庚申塔が立っており、左手に磐座のような岩がある。

境内左手奥には空き地のような空間があって、
「若加保大神」と刻まれている(たぶん)石柱が立っていた。
石柱の前にはキツネの置物があり、稲荷として祀られているのかもしれない。

当社に関する由緒は未入手のため、詳細は未確認。
当日撮影して来た写真に由緒石碑のようなものが写っているが、
参拝時に気付かず、読んでいない。残念。

当社は『三代実録』に貞観五年(863)十月七日、
「上野國正六位上若伊賀保神從五位下」と記されている式外社であり、
『上野国神階帳』に「従四位上若伊賀保大明神」と記されている古社であるらしく、
山上にある伊香保神社の若宮、あるいは里宮にあたる神社なのだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:10 PM

縣諏訪神社 (東御市)

長野県にある、縣諏訪神社(東御市) を掲載しました。

長野県東御市にある。
しなの鉄道・田中駅の東1,5Kmほどの常田に鎮座。
鎮座地の字は伊豆宮といい、境内は伊豆宮公園となっている。

境内入口は南側。
道路から少し北に入った場所にあり、道路脇に「郷社 縣諏方神社」と刻まれた社号標。
鳥居の扁額も「縣諏方神社」と刻まれている。

鳥居をくぐり、公園の中の参道を進むと当社の社殿。
社殿の後方を国道18号線が東西に走っている。
拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は漆喰の覆屋の中。
資料によると本殿は流造のようだ。

社殿の右手の草叢の中に石祠や石碑がいくつかある。
一つの石祠の脇に、「諏訪宮」と刻まれた石の扁額が置かれていた。
中央部に砲弾のような形に石塔があったが、なんだろう。

創祀年代は不詳。
明治までは諏訪社と称していたが、旧縣村に鎮座しており、
明治十一年、縣諏訪神社と改称。
縣村内の田中・常田・加澤三ケ村の産土神として崇敬された神社。

元は、字古宮と呼ばれる地に鎮座していたが、
水害のため、享保元年、現在地に遷座。明治六年郷社に列した。

当社は「するすの宮」とも呼ばれており、
この「するす」は「くるす」が訛ったものらしい。
ということで、久留須命を祭神に加える伝承もあるのだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:55 PM

妙見社 (妙見寺鎮守)

群馬県の妙見社(妙見寺鎮守)を掲載しました。

群馬県高崎市にある。
前橋駅の西5Kmほど、国分寺跡の近く、引間町に鎮座。
17号線を西へ利根川を渡り、127号線に入って関越自動車道を越えて北上。
染谷川を渡った場所に境内入口がある。

境内入口には、左に「妙見尊」、右に「妙見寺」とあり、
当社境内の西側が妙見社、東側が妙見寺が隣り合わせにある、そんな神社。

参拝は晩秋の午後。境内中央に黄金色に輝くイチョウの木が聳えていた。

妙見社は妙見堂とも呼ばれており、社殿は、お堂のような寄棟造。
背後の本殿は天保十年に再建された入母屋造。
前橋市の総社神社と同じ大工の作であるらしい。

妙見社、および妙見寺の創祀年代は不詳。
霊亀年間から天平年間(715~730)の頃と考えられている。

『式内社調査報告』の式内社・小祝神社の項によると、
上野国神名帳に、「小祝」と称される神社が三社あり、
一つは「従一位小祝大明神」で、高崎市石原町鎮座の式内社・小祝神社。
一つは、「従四位上小祝明神」とある、冷水の石祠である小祝神社。
一つは、「従三位息災寺小祝明神」とある社で、息災寺(現在の妙見寺)の鎮守神であるという。
ということで、当社・妙見社は「息災寺小祝明神」と呼ばれた古社ということになる。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:39 PM

中川神社 (中津川市)

岐阜県の中川神社(中津川市) を掲載しました。

岐阜県中津川市にある。
中津川駅の北100mほどの北野町に鎮座。
JR線路のすぐ北側に境内がある。

境内入口は南向き。鳥居の扁額に「中川神社」とある。
鳥居をくぐり長い参道階段を上るともう一つの鳥居。
境内左手に手水舎があり、右手には神楽殿。
正面の階段を上ると、当社の社殿。
境内に「平成の大改修」の石碑が立っており、社殿も比較的新しい印象。

拝殿は銅板葺き。拝殿後方の本殿も銅板葺きで流造。
本殿の周囲の垣が、サッシの枠に透明な合成樹脂で面白い。
本殿の左右に御神木の若い梛の木が植えられている。

社殿の左手に西側参道があり、「御神木(高野槇)120m」との案内。
その案内から、舗装された道ではなく、山道に入って行くと御神木があるのだが、
僕は、うっかり舗装路を進んでしまい迷子になった。
付近の方に、西側から森に入る御神木への道を聞き、なんとか到着。
森の中に秋葉社の石祠があることも教えていただいたので、
迷子になって良かったのかもしれない。

創祀年代は不詳。

手水鉢に白山大権現と刻まれており、江戸時代までは白山社(菊理媛命)と称していた。
相殿に熊野社(伊邪那美命)、富士社(木花咲耶媛命)を祀る。
また、薄野社とも呼ばれていたらしい。

『美濃国内神名帳』に「従四位 中津河明神」とあり、
式内社・中川神社に比定されている古社。
つまり、中津川の中心的な明神ということだろうか。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:06 PM

御嶽神社里社本社 (黒沢口)

長野県にある、御嶽神社里社本社(黒沢口) を掲載しました。

長野県の木曽町にある。
中央本線の木曽福島駅から西へ12Kmほどの三岳に鎮座。
木曽福島駅から19号線を南下し、木曽川と王滝川が合流するあたりで西へ。
王滝川に沿って20号線を進むと、木曽町役場の三岳支所があり、
さらに西へ1Kmほど進み、王滝川の支流、西野川を渡ると正面に当社の社域。

道路の北側には「太陽の丘公園」「お祭り広場」などがあり、
入口付近に当社の社務所。広い駐車スペースの奥に木曽御嶽本教総本庁や御祓殿がある。

参拝は十一月二十九日の早朝。車を降りると冷たい空気に身が引き締まる。

境内入口には二基の灯籠が立ち、鳥居の右手に「御嶽神社」と刻まれた社号標。
左手に手水舎があるが、小さな氷柱が出来ていた。
冬には凍ってしまうんだろうな、などと考えながら階段を上ると、社殿のある狭い境内。
拝殿・本殿は神明造。現在の社殿は、明治七年に関東巴講により造営されたもの。

簡素というか、とてもシンプルな境内だった。

当社は御嶽山(3067m)を奉拝する里宮の一つ。

御嶽山への一般的な登山口は、黒沢口と王滝口にあり、
黒沢口側では、御嶽山頂上剣ケ峰の頂上奥社と里社若宮、
そして里社本社である当社の三社を総称して御嶽神社(奥里三社)と呼び、
王滝口側では、王滝口頂上本社と里宮の二社。
だが、他にも別殿や遥拝所など、御嶽山全体に多くの関係社や史跡が点在している。

黒沢口御嶽神社の由緒によると創祀は光仁天皇宝亀五年(774)。
信濃国内に悪疫が流行した際、信濃守石川朝臣望足が御嶽に登山し、
大己貴命、少彦名命の二神を祀り、疫病除祓を祈ったのが起源。

翌年の宝亀六年(775)に黒沢口に当社・里社本社が造営された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:15 AM