十三社神社 (新島)

伊豆諸島・新島の十三社神社(新島) を掲載しました。

伊豆七島の新島にある。
新島村役場から北へ進み、小学校の横を通ると境内がある。

境内入口の大鳥居をくぐると広くて長い参道。
参道脇の植物は南国のものが多いようで異様な雰囲気。
参道の右手には石塀で囲まれた境内社が並んでいるが、
様式がそれぞれ異なっており面白い。

参道を進むと、第二の鳥居があり階段奥に神門。
神門をくぐると広くて明るい境内。
境内中央に池のようなものがあって石橋がかかっており、
その橋の正面が社殿。
拝殿は瓦葺入母屋造妻入り。後方の本殿は高床式の流造のようだが、
ひょっとすると中に祠が納められているのかもしれない。

本殿の真後ろ、石壁の部分に数段の階段があり、
何かありそうなので登ってみたが、鬱蒼と茂った森。
御神木でもあったのだろうか、あるいは何かを祀っているのだろうか。

参拝は4月の終わり、GWの頃。
新島内のいくつかの神社参拝を予定していたが、
島内の移動手段を確保しておらず、歩きまわって参拝。
当社で力尽きたのでゆっくりと港に戻り船を待った。

創祀年代は不詳。

往古、伊豆諸島開拓の祖神・事代主命の子、大三王子明神が
父命の志を継ぎ、同族諸神とともに近島平定の基を固め、
新島の地主神として大三王子神社に祀られた。

後、事代主命を主神として、
各地に祀られている大三王子明神をはじめとする同系一三柱を
村の中心部に集めて祀り、新島の総鎮守、惣社として創建された。

一説には孝安天皇の御代、伊豆国東南の海中に島が出現した際に祀られたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:52 午後

八幡神社 (氷見市朝日丘)

富山県にある、八幡神社(氷見市朝日丘) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見駅の西1Kmほどの朝日丘に鎮座。
160号線と76号線の交差する交差点の北東角に境内がある。
仏生寺川・万尾川にかかる新八幡橋の北詰。
十二町潟の入口にあたり、古墳型の小丘の上にある。

境内入口は東向き。
小丘の麓に「八幡神社」と刻まれた社号標が立ち、
石鳥居の右脇に手水舎。鳥居をくぐり狭い石段を上ると
丘の頂上部に社殿がある。

拝殿は瓦葺入母屋造り平入りで、本殿は拝殿の後方、覆屋の中。
拝殿扁額には「八幡宮」とある。

参拝は十月後半の朝六時頃。ちょうど日の出の頃で社殿には明かりが灯っていた。
狭くてこじんまりとした境内だが、昇る朝日を正面に受けて美しかった。

通称は、村上の宮(むらかみのみや)。
由緒書きのよると当地は旧布勢湖の入口にあたるらしい。

創建は大友家持と伝えられ、
昔、悪亀が汐を吹き上げて田圃に害をなしたため、
磐で圧し殺して鎮めた場所で、「シヅメの森」「鈿女(うづめ)森」「雀森」とも呼ばれたらしい。

由緒書きによると、これは湖西湖の逆流によって田畑が被害を受けるため、
付近一帯の岩磐浅瀬を利用して治水を行った祖先の姿を語るものであるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:55 午前

王城山神社 (長野原町)

群馬県の王城山神社(長野原町)を掲載しました。

群馬県の長野原町にある。
王城山(みこしろやま、1123m)南麓。
吾妻線・長野原草津口駅の東2.5Kmほどの林に鎮座。
吾妻線、145号線と376号線に挟まれた、ちょっとわかりにくい場所。
道路に面して南向きの境内がある。

山の斜面に鬱蒼と茂る林があり、入口には木製の鳥居と社号標。
右手には御神木の大きな神杉が聳えている。
社前の案内板によると樹齢四百年ほどで長野原町指定天然記念物。

鳥居をくぐり参道階段を上ると大きな社殿。
拝殿向拝に施された龍と武人の彫刻が面白い。

社殿の左手に立派な境内社があるが扁額が読めなかった。
「魚頭宮」と読むのだろうか。
「鰯の頭も信心から」という言葉を思い出しながら参拝。

創祀年代は不詳、というか未確認。
王城山は日本武尊東征の時、御駐屯なさった旧跡。
人々は長く尊をしのんで山上に祠を建て、日本武尊と諏訪明神を祀り、
後に山麓に里宮を建てて、三原庄長野原郷の総鎮守としたという。
ということで王城山山頂に奥宮(石祠)があるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:53 午後

石武雄神社 (南砺市)

富山県にある、石武雄神社(南砺市) を掲載しました。

富山県南砺市にある。
小矢部川の東、471号線と143号線の交わる野尻西交差点の東そばに鎮座。
参道入口は143号線に面して南向き。
「石武雄神社」と刻まれた社号標が立っている。

参道を進むと鳥居があり、鳥居の奥に社域の杜。
参道を歩いていると、右手(東側)に何かの塚のようなものがあり、
近づいてみると「集封蝗虫塚」とあった。
イナゴ被害対策で多くのイナゴを封じた供養のための塚だろうか。

参道を進むと参道左右に灯籠があり、境内に入ると一つの鳥居。
その奥が社殿のある境内。

拝殿は瓦葺入母屋造で、後方の本殿銅板葺流造のようだ。
ともにガラスの囲いで覆われている。

拝殿の前、左右に矢大臣(随神像、銅像だろうか)。
「石武雄」の社号から武神を連想していたが
「なるほど」と思いながら参拝した。

創祀年代は不詳。
『富山県神社誌』によると、古くから石武雄神と称え、
『三代実録』に陽成天皇元慶三年(879)十月二十九日、
「正六位上石武雄神従五位下」とある式外の古社。

当社縁起によると、崇徳天皇の天承年間、
信州水内郡野尻の郷士河合典膳の子・河合五郎、六郎の兄弟が
生国の守護神である熊野三神の霊夢によって越中国礪波郡石武野に移り、
大いに開拓してついに地方二十九ケ村を領治した。
河合氏が、その熊野三神を当社に合わせ祀り「岩武三社権現」と称されたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:35 午後

吾妻神社 (中之条町)

群馬県の吾妻神社(中之条町)を掲載しました。

群馬県の中之条町にある。
吾妻線・中之条駅の北東1.5Kmほどの横尾に鎮座。
145号線と名久田川に挟まれた場所に境内がある。

145号線側にも鳥居があり、境内の横から入る事が出来るが、
145号線から東に入ると南向きに境内入口の赤い鳥居が立っている。
鳥居の足元に「郷社吾妻神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を進むと右手に手水舎があり、正面に赤い屋根の神門。
神門をくぐると社殿のある広くて大きな境内。
境内左手に参集殿があり、右手に額殿や神楽殿が建っている、

拝殿は銅板葺き入母屋造妻入で、後方の本殿は流造。
拝殿には彩色された龍の彫刻が施されていた。

参拝は十一月の初旬。
木漏れ日がありがたい、肌寒い日の午前十時。

創祀年代は不詳。
一説には和銅年間の創祀とも伝えられる古社だが、
文化年間の火災によって社殿、古記録が焼失し詳細は不明となったらしい。

古来、国司、武将の尊崇され、吾妻郡全郡に及び崇敬されていたという大社。

児持山七社、あるいは吾妻七社明神と称される神社の一つ。
通称は、和利宮(わりのみや)。
境内の由緒書には、和流宮とあり唐流に対する大和流の意味で、
そのため当社の主祭神は大穴牟遅命であると記されている。
その後、和流宮が割宮、和利宮へと変化したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:53 午後

於保多神社 (富山市)

富山県にある、於保多神社(富山市) を掲載しました。

富山県富山市にある。
富山駅の東2Kmほどの於保多町に鎮座。
富山地方鉄道の稲荷町駅からは西へ1Km弱の位置。
しののめ通り(172号線)の西側に境内がある。
しののめ通り側にも境内入口があるが、たぶん表参道は西側。
奥田川のほとりに広い境内があり、敷地内に柳町保育所がある。

西側表参道入口の脇には「縣社兼郷社於保多神社」と刻まれた社号標があり、
東側しののめ通り参道入口には「於保多神社 天満宮」とある自然石の社号標。
通称は柳町天満宮と呼ばれ、境内の鳥居にも「天満宮」とある。

西側参道を進み、石橋を渡ると左手に手水舎。
手水鉢には牛の像が二体置かれている。
拝殿は瓦葺入母屋造平入りで向拝は銅板葺き。
後方の本殿は少し離れた位置にあり、銅板葺きの流造。
少し高い場所に祀られている。

境内の東南隅には、いくつかの記念碑が並んでいる。
境内の案内板によると、二代藩主前田正甫公頌徳碑や西南役記念碑、
富山藩の子弟の教育に功労のあった小西有実、有義、岡田呉陽の記念碑らしい。

弘長三年(1263)、比叡山で修行した旧当社神職畠山氏の祖・恵顗という人物が、
菅原道真が石榴を噛み出して火焔となしたの図を道真の師である法性坊尊意が模写した尊像を
越中国新川郡新庄に安置し、錦重山浄禅寺と号したのが当社の起源。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:24 午前