小菅神社 里社 (飯山市)
長野県にある、小菅神社里社(飯山市) を掲載しました。
長野県飯山市にある。
飯山線戸狩野沢温泉駅の南東5Kmほどの瑞穂に鎮座。戸狩野沢温泉駅から東へ進み、千曲川のかかる柏尾橋を渡って、117号線に入って南下。常盤大橋を渡って再度千曲川を越え、117号線の大関橋西詰から東へ進んで再々度千曲川を越えて38号線へ入り200mほど北上。38号線から東へ2Kmほどの場所に境内がある。
当社小菅神社は、江戸時代までは修験道の古刹である小菅山元隆寺と一体であった。東の山の山頂近くに奥社があり、中腹の町中に里社がある二社構成の神社。
境内に向う参道には大きな二之鳥居が立ち、突き当たりに仁王門。元隆寺の西大門らしい。その仁王門の右手の道を進むと、道の北側(左)に境内入口がある。
「小菅宮」と扁額のある鳥居をくぐり参道を進むと、正面に階段。参道には月神、猿田彦大神と刻まれた石碑や、天保の頃の万葉歌碑が立っており、歌碑には「浅葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰故わが恋なくに」という詩が刻まれている。
参道の右手、境内の横に広場があり、大きな小菅山元隆寺講堂がある。武田信玄の侵攻により焼失し、元禄十年(1697)飯山城主松平忠喬によって修復したもの。
この講堂前広場では、豊作祈願にあわせ修験者達が行った験くらべを今に伝わった「小菅の松子」が行われる。広場に雑木を山ブドウの蔓で束ねた高さ4mの柱松二基を立て、火打ち石と火打ち金を用いて柱松の上の尾花のどちらに先に火が着くかを競い、東が勝てば天下太平、西が勝てば五穀豊穣となる。神事に使われた松榊や尾花は虫除けになるとされ、見物人が争って奪い合うらしい。
参道に戻り階段を上ると社殿のある境内。参拝は十一月末の朝。境内は濃い霧が立ち込め、昇った朝日が射し込んで神秘的な聖域となっており、苔生した手水鉢が良い雰囲気だった。
拝殿(舞殿かもしれない)の後方に当社の本殿。他には神輿殿や神馬庫なども立っている。
昔、奥ノ院(奥社)の絵馬に書かれた神馬が毎夜麦畑を荒らすので描かれていなかった手綱を描き足したところ出なくなったという伝説が残っている。
奥社の鎮座する小菅山は、戸隠山・飯綱山と併せて奥信濃三山と称された修験道の霊山。
社伝によると、奥社は天武天皇白鳳八年(679年)、役小角によって勧請され、里社は大同元年(806)に創立されたという。
役小角が小菅山に登り、素盞雄尊の神託を得て、熊野、金峰、白山、山王、立山、走湯、戸隠の神々を山腹の石窟に合祀し、八所大権現と称され、のち、行基が当社に参籠し馬頭観音を安置してより、神仏混淆の社となった。