神明宮 (南砺市桐木)

富山県にある、神明宮(南砺市桐木) を掲載しました。

富山県南砺市(旧福野町)にある。
城端線。福間駅の西4Kmほどの桐木に鎮座。
明神川が小矢部川に合流するあたり、小矢部川の東に広がる田園の中にある集落に境内がある。

集落内の道は狭いので、かなり遠くに車を止めて参拝開始。
境内入口は東向き。参道を進むと石鳥居があり、鳥居をくぐると広い境内。
参道の左手に手水舎があり、参道を直進すると当社の社殿。
右手に進むと境内社・秋葉社の石祠。

拝殿は入母屋造瓦葺でどっしりとした印象。
拝殿後方に瓦葺の本殿が連結された形式だが、あるいはこれは覆屋で、中に本殿があるのかもしれない。
北陸の神社らしく、拝殿の周囲は板で囲まれ、前面にはガラスの扉がある。

参拝は10月中旬の朝7時頃。
境内は朝日が射してオレンジ色に染まっており、木々の長い影が、雑草もなく綺麗に維持されている清浄な境内を横切っていた。

創祀年代、由緒ともに不詳。
『富山県神社誌』によると、当社を式内社・荊波神社とする説があるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:10 午後

根古屋神社 (北杜市)

山梨県にある、根古屋神社(北杜市) を掲載しました。

山梨県北杜市にある。
中央道須玉I.C.の北東7Kmほどの江草に鎮座。
塩川ダムへ向かう601号線が23号線に合流するあたりで、東へ入った場所に境内がある。
境内全体は塩川に面している、というより塩川左岸にある道に面して北西向き。

鳥居の脇に祭神の名「天兒屋根命」と刻まれた石柱が立っており鳥居の扁額には「根古屋大明神」。
鳥居をくぐると左手すぐに神楽殿、正面に拝殿がある。
拝殿の後方の本殿は、覆屋根の下で撮影が難しいが、こけら葺きのような流造だった。

境内はあまり広くないが、境内左右にある二本の巨木で有名な神社。
国指定天然記念物の「根古屋神社の大ケヤキ」と呼ばれており、境内案内板では樹齢800年。
(『平成祭データ』では凡そ一千年前後、『山梨県神社誌』では千数百年とある)
向って左の欅が田木(田樹)、右が畑木(畑樹)で、毎年、田木の方が早く芽吹くと稲作が、畑木の方が早いと畑作物が豊作になるという。

武田安芸守信満の三男、江草兵庫助信泰の居城、獅子吼(ししく)城の北西麓に鎮座。
城の守護神として斎き祀られた神社。

獅子吼城は、古くは江草城、江草小屋とも呼ばれ、地元では城山と呼ばれている城跡。
江草城が落城する時、城内の怪物(獅子)が吼えながら深い淵に飛び込んだと伝えられ、それ以後、当地では正月の獅子舞や、子供の玩具としての獅子も禁じられ、
禁を破ると暴風雨になるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:27 午後

麻續神社 (明和町)

三重県の麻續神社(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄山田線斎宮駅の北3Kmほどの中海(なこみ)に鎮座。
祓川がくねっと湾曲している場所にある集落の南西部、眞福寺の南に東向きの境内がある。

参拝は3月中旬の日の日没間近。
社前には田が広がっており、水を張った春先や、青々と稲の実った夏、黄金色に実る秋には美しい景色なんだろうな、
などと刈り取られた田を見ながら参拝開始。

境内入口を入ると石鳥居が立っており、左手に手水舎、右手に「延喜式内麻續神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐって左・右と、わずかに参道を進むと瓦葺の拝殿。
拝殿の後方、少し離れて垣の中に神明造の本殿がある。

当社の社号「麻續」は「おおみ」と読む。

創祀年代は不詳。式内社・麻續神社の論社となっており、延喜斎宮式に、斎宮の祈年祭や新嘗祭に預かっている古社。
江戸時代には八王子と称し、当村の産土神として尊崇された神社。

御巫清直によると、鎮座地・中海は、中麻績の約まったもので、『三代実録』貞観五年(八六三)八月十九日条に、「伊勢國多氣郡百姓外少初位下麻續部愚麻呂。麻續部廣永等十六人。復本姓中麻續公。愚麻呂等自款云。豊城入彦命之後也。」とあり、本姓中麻績公に復した伊勢国多気郡の百姓外少初位下麻續部の愚麻呂。麻續部の廣永等十六人が自ら豊城入彦命の後裔であるとする記事を元に、当社は、中麻績氏の祖神である豊城入彦命を祀る神社であるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:03 午後

當麻戸神社 (韮崎市)

山梨県にある、當麻戸神社(韮崎市) を掲載しました。

山梨県韮崎市にある。
中央本線韮崎駅の北3Kmほどの藤井町駒井に鎮座。
中央本線線路の東側、尾鰭山の麓に境内がある。

参道入口は東向き。
参拝は四月の午後なので、ちょうど太陽に向って参道を歩くことになった。
参道を進むと石の鳥居が立ち、さらに進むと朱の鳥居。
どちらの扁額にも「當麻戸神社」と記されている。

当社の社号「當麻戸神社」は、『平成祭データ』には「とうまと」とあり、『明治神社誌料』には「たまべ」とあって、参拝中、僕はずっとトマト神社だと勘違いしていた。また、尾鰭山に鎮座しており、尾鰭宮とも呼ばれている。

鳥居をくぐり参道を進み、黒沢川にかかる宮前橋をわたると境内。
入口には笠木の無い鳥居(冠木鳥居)。
境内に入ると神門があり、神門の奥に拝殿。拝殿の後方の高い位置に本殿がある。

社伝によると、欽明天皇二年(541)四月の創祀。
もとは大酒解、小酒解の二柱を祀っていたようだが、甲斐国志には、諏方明神とあり、御朱印社領八石二斗余、社地九千七百二十坪、鎮座地を尾鰭山といい、祭神は現在の五柱となっている。

神門と拝殿の間に小さな池があり、大きな石が置かれている。
「御供石」と呼ばれる石で、正月元旦にこの石の上に神饌を置くと羽根に白いまだら模様のある烏が飛んできて口にくわえて飛び立ち、当社の神田に置くという。
神田は上・中・下にわかれており、どこに置くかによって、その年の豊凶を占ったという「烏飼神事」が行われていたらしい。

境内の石碑によると、この烏飼神事は、安芸の宮島、信州の戸隠でも行われ、当社を含めた三社を「日本三か所烏飼い霊場」と称え、「あいうえを人にしらすの烏かひ 世のよしあしを知ろしめす神」と謡われている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:37 午後

中尾神社 (八代町米倉)

山梨県にある、中尾神社(八代町米倉) を掲載しました。

山梨県笛吹市(旧八代町)にある。
中央本線石和温泉駅の南8Kmほどの八代町米倉に鎮座。
浅川にかかる米倉橋の南詰から畑の中の車道を東へ進むと、突き当たりに社域がある。
このあたりはリニア実験線が通っているらしく、社域の後方にリニアの線路が走っている。(2014年4月現在)

社域といっても鳥居はなく、空き地の中に石祠が一つ。
石祠の台座の部分に「中尾神社」と刻まれている。

その石祠の少し前、結界の中に丸石が祀られている。
山梨には、丸石を社頭に祀る神社が多いが、それと同じものだろうか。

当社は通称、中尾さん。昔は中尾明神と呼ばれていたらしい。

『山梨県神社誌』によると、「飯田氏の聞書に曰く」、昔は大社にて毎年西郡三輪ノ社へ神幸ありしが、何れの頃か廃して小祠となり神幸の道筋もみな民家の居宅となったという。

また、当社が式内社・中尾神社であるという。
『式内社調査報告』にも当社のことは追記として記されているが、一般に式内社・中尾神社は一宮町中尾の中尾神社と考えられている。

ただ、このように廃絶した社域にポツンと祀られ、祭祀を継続されている状況に心惹かれるのだが。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:57 午後

伊勢寺神社 (松阪市)

三重県の伊勢寺神社(松阪市) を掲載しました。

三重県松阪市にある。
松阪駅の西7Kmほど、伊勢道の松阪I.C.からは南に1Kmほどの伊勢寺町に鎮座。
59号線が45号線と分岐する場所に社域の杜があり、遠くからでもわかる。

参道入口は南向き。
鳥居の脇に「村社伊勢寺神社」と刻まれた社号標が立っている。

鳥居をくぐり参道を進むと社殿のある境内。
参道の左手、境内の前は参詣者用の広い駐車場になっている。

境内入口の鳥居をくぐると、右手に手水舎、正面に拝殿。
拝殿の奥、垣に囲まれて神明造の本殿がある。

本殿の左手に境内社があり多くの方の名前を刻んだ石碑が立っているが祖霊社なのだろう。

境内の右手には、靖国神社、皇居、神宮と刻まれた石碑があり、それぞれの遥拝所となっている。

参拝は三月の雨の日。空はどんよりとした雲に覆われていたが、快晴の日なら美しい杜なんだろうな、などと思いながら参拝。
参拝後、雨が強くなって来たので、しばらく駐車場に停めた車の中で寝ていた。

社伝によると、寛正二年(1461)当村で疫病が流行し、疫病鎮めの神として有名な一志郡多気村の牛頭天王を当地に勧請し高福大明神と称したのが始めという。

後に牛頭天王社と改称し、明治初年に再度高福に戻したらしい。

その後、明治四十一年四月五日より、伊勢寺町の式内社・堀坂神社、式内社・物部神社ほか二十七社を合祀し、昭和五年四月二十日、鎮座地名をとって伊勢寺神社と改称した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:05 午前