天神社 (笠岡市神島)

岡山県の天神社(笠岡市神島)を掲載しました。合計2161社。

岡山県笠岡市にある。
笠岡駅の南東5Kmほどの神島天神に鎮座。
笠岡港にかかる神島大橋を渡り、
神島の海岸沿いを走る195号線を進み
少し海側に入ると、砂地の境内がある。
この付近は、カブトガニの繁殖地らしい。

境内は広く、駐車するスペースも大きい。
境内入口は南側のようだが
境内や社殿は海に面して北向き。
ということで、北の鳥居に回りこんで参拝開始。

が、参拝時刻が午後だったため、やや逆光ぎみ。
眩しい太陽に目を細めながらの参拝。

鳥居をくぐり境内を進むと正面に社殿。
海の側の砂地にあるためか、
拝殿は、やや海の家の雰囲気がした。
拝殿の後方には、瓦葺き流造の本殿。
拝殿内の扁額には「自在天神宮」。

参拝は年末の休日。
社殿には多くの提灯が提げられ、
社殿前には幟も立てられていた。

残念ながら、当社の由緒は未入手。

『式内社調査報告』によると、
神島御崎に鎮座していた御崎神社が
式内社・神島神社の論社となっているが
現在は・同所の天神社に合祀されている、
と記されている。
その天神社が当社だろうか。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:33 午後

味真野神社 (越前市)

福井県の 味真野神社(越前市) を掲載しました。合計2160社。

福井県越前市にある。
JR武生駅の東6Kmほどの池泉町に鎮座。
19号線を進み、日野川を越えて201号線へ。
さらに東へ進むと、万葉館などがある「越前の里味真野苑」がある。
その西隣が境内。

境内入口は北向き。
鳥居の近くに、「継體天皇御宮跡」と刻まれた石碑が建っている。
当社境内は、言い伝えでは、継体天皇の宮居の跡らしく、
室町末期の鞍谷氏の館(鞍谷御所址)だった。
境内周囲に土塁や掘が残っているらしいが、
参拝当日には、あまり注意して見ていなかった。

数段の階段を登り、鳥居をくぐって参道を南下。
突き当たりで右へ進むと、正面に社殿。
つまり、社殿は東向き。
入母屋造拝殿の後方には、流造の本殿。
本殿の左右に境内社の祠がある。

社殿へ向かう参道の脇に
「謡曲花筐発祥之地」と刻まれた石碑がある。

参拝は五月の連休。
当社境内には参拝客は居なかったが
隣りの万葉館には多くの人が来場していた。

創祀年代は不詳。

伝承によれば、
往古、五分市池田に須波阿須疑神社三座が鎮座。
この社が、式内社・須波阿須疑神社だが、
中古、三柱の祭神を分かち三社に分離。

上の宮として池泉字諏訪上割に諏訪神社を、
下の宮として五分市南西村に諏訪神社を、
本宮として当社を建て、総社、又は伊弉諾神社と称した。

明治十二年、許可を得討て、総社神社と改称。

明治四十一年、余り字宮ノ下に鎮座し
勝手明神と称した、式内村社小山田神社を合祀。

同年、池泉字諏訪上割の諏訪神社(上の宮)等を合祀し、
現社号である味真野神社と改称。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:07 午後

諏訪神社 (越前市五分市)

福井県の 諏訪神社(越前市五分市) を掲載しました。合計2159社。

福井県越前市にある。
JR武生駅の東6Kmほどの五分市町に鎮座。
19号線を進み、日野川を越えて201号線へ。
さらに東へ進み、浅水川と交わるあたりで500mほど北上。
そこから小道を東へ進むと、道路脇に境内がある。
境内の近くには、五分市町コミュニティーセンターがある。

砂利の境内に、道路に面して鳥居が建っているが、
境内を囲む垣のようなものはなく、オープンな印象。
「諏訪神社」と書かれた扁額を掲げる鳥居をくぐると境内。

右手に手水舎があり、正面に社殿。
入母屋造の比較的新しく綺麗な拝殿の後方に
覆屋に納められた流造の本殿がある。

創祀年代は不詳。

伝承によれば、
往古、五分市池田に須波阿須疑神社三座が鎮座。
この社が、式内社・須波阿須疑神社だが、
中古、三柱の祭神を分かち三社に分離。

池泉の伊弉諾神社(現在の味真野神社)を本宮とし、
池泉字諏訪上割の諏訪神社(味真野神社に合祀)を上の宮として、
五分市南西村の当社・諏訪神社を下の宮とした。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:05 午後

清瀧神社 (大野市清滝)

福井県の 清瀧神社(大野市清滝) を掲載しました。合計2158社。

福井県大野市にある。
越前大野駅の西1.5Kmほどの清滝に鎮座。
越前大野城のすぐ近く、赤根川のかかる清瀧橋を渡ると、
正面に鳥居が見える。

参道入口の鳥居をくぐり、まっすぐに進むと境内。
社前の小川にかかる橋を渡ると鳥居。
鳥居の左手には「清瀧神社」と刻まれた社号標。

広い境内の左側に参道がある。
明るい砂地の境内は清らかに清められており
氏子の方々の信仰の篤さが伝わってくる。

参道を進み、数段の階段を登ると正面に拝殿。
拝殿の右手に、境内社の祠が五つ。

拝殿の後方に上に続く階段があり、
階段を登ると流造の本殿。
本殿の側面は板で保護され、前面はガラス張りだ。

参拝は、平成十八年の五月の連休。
境内入口には「清瀧神社三十三年式年祭」という案内が出ていた。
当社では三十三年毎に式年大祭が行われるようだが
昭和十五年(1940)にも行われたと資料に載っているので、
2006年が、その式年大祭の年にあたるのだろう。

創祀年代は不詳。
社伝によると、応永五年(1398)に
大野郡大野町亀山(大野城)山頂に鎮座。
また、『略縁記』によると
往昔、亀山の麓に鎮座していたが、天正元年(1573)
金森五郎八長近公が亀山に築城するにあたって
当社を蛭子山へ遷座させ、代々、城主が氏神と尊崇したとある。

各種資料によると、昔から国生大明神とも
国生大野神社とも称されていたためか、
大野郡篠座字花畑に鎮座していた国生大野神社が当社に合祀された。

この国生大野神社が、式内社・国生大野神社の論社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:25 午後

神谷神社 (久美浜町)

京都府の 神谷神社(久美浜町) を掲載しました。合計2157社。

京都府京丹後市にある。
久美浜駅の北西300mほどの場所に境内がある。

参拝は、五月の連休。
兵庫県北部を旅した最終日。
兵庫から、日本海沿いに長野へ戻る途中。
日出前に豊岡のホテルを出発し、
久美浜付近で最初の休憩をとっている時に、
地図を眺めて、当社を確認したので、偶然立ち寄った。

地図を見ると、久美浜駅からの参道があるようだが、
僕は裏側(北西側)に車を停めたので、そちらから参拝。
だから、
駅に向かう道にも鳥居や境内社があったかもしれないが
そちらは確認していない。

北西側の入口の鳥居をくぐると、砂地の広場。
鳥居の脇には、「式内郷社 神谷神社」と刻まれた社号標。
広場の北側に、垣に囲まれて社殿の鎮座する境内がある。
神門をくぐると、正面に拝殿。
拝殿の奥に、入母屋造の美しい本殿がある。

崇神天皇十年九月、四道将軍・丹波道主命が
勅命を受けて山陰地方を巡視された時、
武運長久を祈願して、久美浜の地に社地を定めて
出雲国・八千矛神・天神玉命・天種子命を祀ったのが
当社の創祀。

式内社・神谷神社に比定されている古社。

もとは、神谷小字明神谷に祀られていたが
中世の頃、戦乱にため社屋が破壊されたので
現在地の太刀宮に合祀された。

太刀宮は、丹波道主命薨去の後、命を追慕して創建された神社。

同じく熊野郡の式内社・村岳神社の神は、
この太刀宮の神(丹波道主命)の臣下で、
神谷神社の社地選定を命じられたという。

ところが、村岳の神は良地を秘して
別の地(当社の元地)を上申した。

このことが露見し、怒った太刀宮の神は剣を抜いて村岳の神を追った。
大石に隠れた村岳の神を斬ろうとしたが
誤って大石を断ち割った。
怖れた村岳の神は、大根を下物として和睦の宴を開き和解した。

よって、以後、太刀宮(当社)の例祭には
奥馬地部落より大根が奉納されているという。

似たような伝承が、丹後の隣り、但馬(豊岡市)の葦田神社にも残っている。
話の筋は同じだが、葦田神社の神が騙したのは天日槍であり、
石だけでなく、葦田神社の神の足も傷つけられている。

神社の裏側(北西)に神社の森があり、
文化財環境保全地区になっている。
その中心は巨石がころがる磐座。
桃のような形の磐座の横には、八幡神社。
後には、二つに割れたような形の岩がある。
これが上記の、太刀宮の神が断ち切った剣岩だろうか。

この磐座周辺は、近年まで女人禁制だったらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:11 午後

長岡神社 (越前町)

福井県の 長岡神社(越前町) を掲載しました。合計2156社。

福井県の越前町にある。
西鯖江駅の西5Kmほどの宇須尾に鎮座。
104号線を西へ進み、石生谷トンネルを抜けた辺りで南へ。
「蝉丸の墓」の近くに境内がある。

参道入口は北西向き。
入口に立つと、ちょっとした小丘という印象。
参道の階段を登るが、階段の脇には
「總社大神宮 式内 天御布須麻神社 長岡神社 八幡神社」
と刻まれた社号標。
どうやら、三社を合わせた神社のようで
そのため、通称が「總社大神宮」なのだろう。

階段を登り、参道を進むと鳥居が立っているが、
そこには、広いグラウンドがあった。
「陶の谷長岡グラウンド」というらしい。
そのグラウンドの奥に、こんもりとした社域の森が見える。

グラウンドを横切って、社域に入ると
木々の茂った、静かな境内。
境内の奥に、社殿がひっそりと建っている。
社殿の右手には鐘楼がある。

社殿は傾斜した場所に建っており、
長めの庇のある拝殿と、後方には覆屋に納まった本殿。

創祀年代は不詳。
式内社・長岡神社の論社の一つ。

往古より長岡神社、天御布須麻神社、八幡神社の三社が存在したが
文化年中の再建の際に、一社に合祀。
末ノ谷(陶の谷)・則寺・宇須尾・大谷野・蝉口・円満・上野の
総社であったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:11 午後