丸山神社 (中津川市)

岐阜県の丸山神社(中津川市) を掲載しました。

岐阜県中津川市にある。
中津川駅から道なりの北西5Kmほどの苗木に鎮座。
木曽川の北、苗木城から直線で1Kmの場所に、こんもりとした丸い山がある。
その山(丘)が当社の社域。

境内入口は丘の西側。
鳥居をくぐり参道階段を上ると開けた境内。
丘の上には、大きな丸い岩がいくつも転がっている。そんな境内。
境内左手にトイレがあるが、その脇にも大岩。

境内右手奥に稲荷社(宇迦之御魂神)があり、その祠の前にも丸い岩。
その稲荷社へ続く参道脇にも大岩があり、参道右手に奇妙な形の岩。
鮒(ふな)岩と名付けられた岩で、魚のように尾をはねた形。
僕にはたい焼きに見えたのだが、なかなか面白い。

境内の鳥居をくぐり階段を上る、横に長い形状の拝殿。
拝殿奥に三棟の社殿が並んでいるが、中央が本殿なのだろう。
本殿の形式は三つの扉の付いた神明造。

参拝を終え、停めていた車の戻る時、
見上げてみると、鮒岩が見えた。
古代の人々にとっては立派なランドマークだったのかもしれない。

創祀年代は不詳。
古くから丸山に鎮座し、元白山神社と称していたらしい。
苗木城主遠山氏の崇敬篤く、享保年間に再建。
明治十二年村社に列した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:13 午前

加茂神社 (射水市)

富山県にある、加茂神社(射水市) を掲載しました。

富山県射水市(旧下村)にある。
北陸本線・呉羽駅の北西4Kmほどの加茂中部に鎮座。
41号線の加茂交差点から西へ入る。
射水市役所下庁舎(旧下村役場?)から西へ500mほどの場所。

参道入口は南東向き。
入口の左手に「左隣接地倉垣庄庄館館趾」と刻まれた石碑が立っているが
左手は広い空き地。北側に下村馬事公園があるが、そのあたりだろうか。

参道入口から200mほどありそうな参道を進むと中間地点に鳥居。
この長い参道で流鏑馬神事などが行われているのだろうか。
鳥居の脇には「倉垣庄之總社加茂神社」と刻まれた社号標。
さらに参道を進むと、社殿のある境内入口にも鳥居。

境内は広く清潔に維持されている。
文化財に指定されている祭事が行われているらしく、
維持管理が行き届いている印象。

社殿の向かい側と境内左手に御旅所が2カ所。
手前の御旅所は加茂祭の御旅所、左手は御田植祭の御旅所。
祭によって御旅所が違うのが面白い。

拝殿は瓦葺入母屋造平入。
背後の本殿は樹木が茂っていて撮影でき無かったが流造のようだ。

当社は「下村の脚気の宮」とも称されており、
脚気に霊験のある神社として有名らしい。

社伝によると、第七十代後冷泉天皇の治暦二年(1066)の創祀。
賀茂御祖神社の御神領(御厨)であった倉垣庄の総社として崇敬された古社。

牛乗式などが行われる加茂祭「やんさんま」や御田植祭は富山県指定無形民俗文化財、
稚児舞は国の重要無形民俗文化財に指定されている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:01 午後

糸岡神社 (小矢部市)

富山県にある、糸岡神社(小矢部市) を掲載しました。

富山県小矢部市にある。
福岡I.C.の南1Kmほどの五社に鎮座。
能越自動車道のすぐ東、九号線の北に境内がある。

境内入口は東向き。
参道入口には「糸岡神社」と刻まれた社号標。
石鳥居をくぐり、100m近くありそうな長い参道を西へ進むと参道左手に手水舎。
境内にも鳥居が立っており、西奥に社殿。
『富山県神社誌』に載っている昔の写真では、境内に樹木が数本あるが、
現在の境内は駐車場のようにコンクリートで覆われている。

拝殿は瓦葺入母屋造。北陸地方に多い前面・側面をガラスで覆ったもの。
拝殿後方が突き出た構造で、中に本殿があるのだろう。

参拝は、10月中旬の午後。太陽が西の山に沈み始めた頃。
当社に到着した時は明るかったが、参拝中に徐々に暗くなり、
参拝を終えて参道を戻り、振り返ると境内は完全にシルエット状態で、
黄昏時(たそがれどき)の神社は、なかなか神秘的な雰囲気だった。

創祀年代は不詳。
正一位五社大神糸岡郷総社と称え、糸岡郷三十二ヶ村の崇敬篤い神社。
式内社・長岡神社の論社でもある古社。
一説には、現在、七社鎮座の長岡神社の古址であるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:52 午前

木曽三社神社 (渋川市)

群馬県の木曽三社神社(渋川市)を掲載しました。

群馬県渋川市北橘町にある。
前橋駅の北11Kmほどの下箱田に鎮座。
八木原駅からは利根川を越えて東へ3Kmほどの位置。
言葉では説明しにくいが、利根川の支流・木曽川の近くに境内がある。

境内入口は160号線に面して南東向き。
鳥居をくぐると、「縣社木曽三社神社」と刻まれた社号標が立っている。
参道を進むと下りの階段があり、階段下に広がる神域にちょっと驚く。
境内入口からは想像できない、広くて深い境内。
境内の右手から左手に清水が流れていて、しっとりとした雰囲気。
参拝は11月の晴天の朝で日射しが強く、写真はコントラストが強くなってしまったが
梅雨の時期に参拝すると、本当に美しい緑と水の境内になるのだろう。

階段を下ると、当社の社殿。社殿前の階段下に祓殿。
階段の脇に、右手に御腰掛石という岩がある。当社鎮座ゆかりの石なのだそうだ。
左手にはかなり破損した当社を創建した木曽遺臣・高梨氏の石像。
階段を上ると、入母屋造の拝殿があり、拝殿の扁額には
「木曽三社太神」「瀧之宮」。
当社は箱田明神とも木曽明神とも滝の宮とも称されたらしいが、
境内の右手の1mほどのささやかな滝のことだろうか。

拝殿の幕には木曽義仲の紋である笹竜胆が染められている。

社伝によると、後鳥羽天皇元暦元年(1184)の創祀。
木曽義仲が深く崇敬していた信濃国(長野県)の延喜式内社である筑摩郡の三座
「岡田・沙田・阿礼神社」を、
木曽柏原の城中に勧請していたが、
義仲が滋賀県の粟津で源義経に討たれた後、
その遺臣であった今井・ 高梨・町田・小野沢・萩原・串渕・諸田等が、
この地に勧請して創建したと伝えられている神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:27 午後

迩幣姫神社 (大田市長久町)

島根県の迩幣姫神社(大田市長久町)を掲載しました。

島根県太田市にある。 山陰本線・静間駅の東700mほどの長久町土江に鎮座。
静間川を越えた場所で、山陰本線の南側に境内がある。

境内入口は西向き。
石鳥居をくぐると石見地方に多い赤い瓦葺の拝殿があり、
後方に背の高い春日造の本殿。

境内では家族連れで何かの作業というか遊んでいたので写真は少なめ。
参拝は10年ほど前の2003年頃なので、
わずかに写り込んだ子供達も大きくなっているはず。

清和天皇貞観三年(861)九月三日の鎮座。
式内社・迩幣姫神社に比定されている古社。
通称は鎮座地名から土江神社と呼ばれているらしく、
土江は迩幣から変化したものと思われる。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:46 午前

放生津八幡宮 (射水市)

富山県にある、放生津八幡宮(射水市) を掲載しました。

富山県射水市(旧新湊市)にある。
万葉線・東新湊駅の北西5・600mほどの八幡町に鎮座。
新湊漁港を背にする位置に広い境内がある。
海に近いせいか、境内は砂地。
昔は日本海の海風に曝されていたのだろうか、
などと考えながら参拝開始。

境内入口は西向き。
脚の部分を金属で補修された木造の大鳥居をくぐると境内。
そのまま正面(東)へ進むと突き当たりに大友家持を祀った祖霊社。
左手に曲ると鳥居が立っており、奥に大きな社殿がある。

拝殿は瓦葺入母屋造平入、本殿は銅板葺流造。
本殿の周りには松の木が茂っている。

拝殿の縁側の部分に大きな狛犬が一対。
参拝は七五三の季節で、拝殿ではお祓いの最中だったので
遠慮して、しばらく待ってから撮影するつもりだったけど、
お祓いが終わった時に御朱印をいただいたので、
狛犬のことはすっかり忘れ、残念ながら写真はない。

境内には大友家持の歌碑がある。
「東風伊多久布久良之 奈呉乃安麻能 都利須流乎夫禰 許藝可久流見由」
(安ゆの風い多久吹くら志 奈呉能海人農 釣春流小舟こ幾隠る見遊)。

また、松尾芭蕉が「奥の細道」の行脚に放生津を通ったとき詠んだ句碑も。
「早稲の香や分け入 右は有磯海」。

社伝によると、天平十八年(746)七月、大友家持が越中国司として赴任し、
天平勝宝三年(751)小納言に昇進、都へ帰るまでの五年間を高岡市伏木の国庁に在任。
奈呉浦の勝景を愛し、豊前国宇佐八幡宮の分霊を勧請して奈呉八幡宮とした。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:09 午後