入善神社 (入善町)

富山県にある、入善神社(入善町) を掲載しました。

富山県の入善町にある。
北陸本線・入善駅の南500mの入膳に鎮座。
花月公園の南側に、道路に面して西向きの境内がある。

参拝は晩秋の十一月、雨の午後。
花月公園の駐車場に車を停めて参拝。

境内入口には白い両部鳥居が立っており、右手には「郷社入善神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり境内に入ると、参道正面に社殿。
拝殿は銅板葺入母屋造。拝殿の後方に中門があり、瑞垣に囲まれた流造の本殿。
拝殿や本殿はガラスで覆われていた。北陸の神社に多い形式だ。

社殿の左手に「入善町戦没英霊の碑」が立っているが、その奥、表忠碑の上に女神像が置かれていた。
右手に釣竿を持って、左手に何かを捧げているような姿をしている美しい姫神。
入善町になにか、姫や女神に関する伝説でもあるのだろうか。
残念ながら調べていないのだが、とても印象に残っている。

創祀年代は不詳。
平城天皇大同元年(806)、山王という地に社地を替えたという古社。

後白河天皇第四皇子である茂仁親王北陸の宮と称し、治承年間(1177-1184)、木曽義仲義兵を挙げるに際し武運長久を祈願したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:51 午後

金重明神社 (笛吹市)

山梨県にある、金重明神社(笛吹市) を掲載しました。

山梨県笛吹市にある。
山梨市駅の南4.5Kmほどの一宮町金田に鎮座。
202号線を南に下り、日川を渡って211号線を1Kmほど南下して東へ500mほど入った場所。スモモ畑の中の石祠に祀られている。

『郷土を救った人々―義人を祀る神社』(神社新報社)を見て訪ねた神社。
本には祠の場所について、金田のスモモ畑の中としか記されておらず、現地で探してみようと思ったが、金田は広く、同じような畑ばかりの土地だった。

とりあえず、農道を車でゆっくりと走り回り、それらしき場所は歩いて探したが見当たらず。
せめて祭神・金子重右衛門命の墓所のある西運寺だけでも、と思い、金田の南側にある西運寺へ。

西運寺の入口には「義民重右衛門之墓所」と刻まれた石碑が立っていた。
こちらなら祠の場所をご存じだろうと、呼び鈴を押し、出てこられた方(お聞きするのを忘れたけど、たぶん住職)にたずねると、わざわざ祠まで案内していただいた。感謝。

西運寺からまっすぐ東へ100mほど進み突き当たった場所にあるスモモ畑の前に、「義民重右衛門之碑」と刻まれた石碑が立っており、畑の中の石組の上に、小さな祠が一つ祀られている。

当社の「金重明神社」の読み方について、これもお聞きするのを忘れたので、「かねじゅうみょうじんしゃ」としておいたが、地元では別の読み方をしているかもしれない。

文久三年(1863)の創建。

寛政年間、山梨・八代郡にまたがる六十三ヶ村は田安候田中代官所の支配を受けていたが、代官所に山下治助という役人が配属された。山下治助は悪智恵に長けた悪代官で、
年貢米を測る一升桝を大きく作って不正な取り立てを行った(太桝事件)。

農民たちは苦しさの余り代官所に訴え出たが、逆に牢に入れられたり罰を受けた。
見かねた金田村の金子重右衛門大人、綿塚村の三沢重右衛門大人、熊野村の鮎沢勘兵衛大人をはじめ、各村の庄屋たちは協議し、資金を集めて、寛政四年十二月末、同志二十一名が死を決して江戸へ上り、寺社奉行根岸肥前守に直訴した。

しかし直訴は受理されず、代表たちは投獄され、過酷な拷問の末、鮎沢勘兵衛は牢死。
金子重右衛門と三沢重右衛門は、田中日川河原に引き出されて処刑され、七日間のさらし首の上、財産を没収された。

金子重右衛門の首は金田村風間市之丞の畑に埋葬されたが、金田村の人々によって文久三年祠に祀られ、金子の梅天神、金重大明神と崇められた。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:55 午前

金櫻神社 (山梨市牧丘町) 追記

【旧社地である奥社跡地へ行って来たので追記】金櫻神社 (山梨県山梨市牧丘町)=仁寿3年(853)3月、天台宗智証大師により大和国から勧請。金峰山を神体山とする神社。

金櫻神社(山梨市牧丘町)



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:43 午前

穂見神社 (穴山) 追記

【素盞嗚命の神霊がこもる巨霊石を追記】穂見神社 (山梨県韮崎市)=延喜式記載の古社で逸見諸郷の租稲を収める屯倉の鎮守に祭祀された。

穂見神社 (穴山)



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:00 午後

大滝神社 (北杜市小淵沢町)

山梨県にある、大滝神社(北杜市小淵沢町) を掲載しました。

山梨県北杜市にある。
中央本線小淵沢駅の南東2Kmほどの上笹尾に鎮座。
17号線から東へ608号線に入ると鳥居が立っている、
参道を中央本線が横切っているので、歩行者は線路下のトンネルをくぐって参拝する。
車の場合は、608号線を進み、線路を越えてから戻る方向へ。

その車道の脇に、神供石とよばれる大きな石がある。
「大滝社由来」(文化元年、1804年)によると、
「大石の上に一本の篠竹あろければ、旅人急ぎて供物を捧げ三拝九拝し」とあるらしく、
ミシャグジ神が降臨する石だそうだ。

その神供石を回り込んで線路脇を北へ進むと、大滝沸水公園がある。
当社・大滝神社を中心とした公園で、参拝した四月には桜の花が美しかった。
秋には紅葉が美しいらしい。

境内は石垣の上。
拝殿は、どっしりとした銅板葺入母屋造で、後方の本殿は覆屋の中。
資料によると本殿は流造らしい。

社殿の左手には樋を通して清らかな湧水が流落ちている。
僕が到着するのと入れ替えに、近所の方が水を汲んでポリタンクで運んでいた。

この湧水は、大滝湧水と呼ばれ、「日本名水百選」に選ばれている八ヶ岳南麓高原湧水群の一つ。
標高820mの地に湧き出し、水量は日量22000立方メートルで、一年を通して水温は常に12℃。
水田の灌漑やニジマスの養殖に用いられてるらしい。
社前の水田にはわさびが植えられていた。

社伝によると、崇神天皇十年、四道将軍の一人・武渟川別命が当国巡視の時、清水の湧出を御覧になり、農業の本、国民の生命、肇国の基礎と称賛され、みずから祭壇を設けて祭祀し、王子の武川別命を留めて祭主としたのが当社の起源。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:07 午前

火地神社古社地 (明和町岩内)

三重県の火地神社古社地(明和町岩内) を掲載しました。

三重県の明和町にある。
参宮線・多気駅の東2Kmほどの岩内に鎮座。
119号線から529号線へ進み、岩内に入って北の小道に入ると、
狭い道に面して、松高山光安寺が鎮座。その光安寺の入口階段を上ると、
右手に東向きの小祠がある。それが当社・火地神社。

2014年の参拝だが祠は新しい。最近新築された様子。
祠の前には二基の灯籠と鳥居が立っており、
鳥居の前に「禁殺生」「火地神社」と刻まれた石標。
小さな手水鉢も置かれている。

当社の社号「火地」の読みに関しては、 資料によって「ひち」「ほち」「ほと」などがあるようだ。

創祀年代は不詳。
式内社・火地神社の論社だが、現在は竹神社に合祀されているので、
当社は古社地ということになる。

『式内社調査報告』によると、岩内の地名が俗に「伊保知」と読まれ、
式内社・火地神社の論社となったという。

もとは光安寺の裏側、城山にあったが
天文年間北畠倶教が光安寺の前身・観音寺を建立。
寛文二年、光安寺として再興され、境内に火地神社が移転。
神社跡地は畑になっているらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:15 午後