古八幡神社 (甲府市)

山梨県にある、古八幡神社(甲府市) を掲載しました。

山梨県甲府市にある。
甲府駅の北2.5Kmほどの古府中町に鎮座。
31号線(武田通り)を北上し、武田神社に突き当たって西へ。
相川小学校の南西隅にあり、社前に武田神社の駐車場がある。

階段を上ると、峰本自治会館の建物があるが、その裏手に当社がある。
裏手といっても自治会館と離れておらず、自治会館が通常の神社の拝殿のような位置関係。
裏に回ると、石祠や事比羅大神と刻まれた石柱が立っており、自治会館脇から入る扉がある。

扉を開けて中に入ると、木造の祠が一つ、東向きに祀られている。

資料などによると、当社の正式名は「八幡神社」。通称は「古八幡神社」。
自治会館の案内板では鎮座地名を含めて「峰本古八幡神社」と記されていた。

もとは甲斐国総社として崇敬された神社。

甲斐源氏の始祖新羅三郎義光より四代石和五郎武田信光が、承久年中、鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を石和の館に勧請。
武田家の氏神として国衞八幡宮(今石和若宮八幡)と称へ尊崇。

永正十六年、武田信虎躑躅ヶ崎に築城の際、躑躅ヶ崎館(現武田神社)の西方の現社地に遷座された。

その後、浅野長政天正十二年、甲府城を築城の際し文禄四年、宮前の地に遷座されたのが現在の八幡神社。

古社地には、当社・古八幡神社が当地の氏神として祀られてきたが、
相川小学校の開校や体育館の建設などで、社地が数度移転したようだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:00 午後

蘭宇氣白神社 (松阪市)

三重県の蘭宇氣白神社(松阪市) を掲載しました。

三重県松阪市にある。
松阪駅の西22Kmほどの柚原町に鎮座。
166号線を西へ進み、伊勢道を越えて29号線へ。
29号線を9Kmほど西へ進んで、柚原町で南下する道へ入って1.4Kmほどの場所に境内がある。

川を背にして、東向きに鳥居が立っており、鳥居の左脇に「蘭宇氣白神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり神橋を渡ると、参道は左手(南)に折れ、川沿いの道には木製の鳥居が並んでいる。

その鳥居をくぐると、突き当たりに手水舎。
そこで、川を背にして、参道を右手(西)へ進むと参道階段が上に延びており、
階段上に社殿。階段の左手には数本の巨木。
夫婦杉と呼ばれる、根元で繋がった2本の杉の巨木が二組あり、歴史の深さを実感する。

参拝は3月の雨の日。
式年遷宮を終えた伊勢神宮に参拝し、三重県滞在の最終日。
本来は松阪市内の神社にお参りして長野県へ戻る予定だったけど、あいにくの雨。
雨の市街地での運転は面倒くさいので、松阪市のはずれにでも行こうと、山間部の地図を眺めていて「蘭宇氣白神社」という社名を発見。
感覚的に「白い蘭の花が群生している場所」などを期待して来て見れば、そこは、川と巨木の清涼な神域だった。

当社の蘭は、花の蘭(ラン)ではなくアララギと読み、イチイの別名らしい。
「化物語」が頭をよぎるが、夜、独りで参拝するのは覚悟がいるかも。

創祀年代は不詳。

明治末期の一地区一社の合祀令により、宇気郷地区の氏神として、当地にあった蘭神社に、宇気比神社(与原・後山町)、白山神社(飯福田町)の旧村社を合祀し、各社の社名を取り組み合わせて「蘭宇氣白神社」の社名とした。

蘭神社のアララギに関して、『三重県神社誌』には、当地には、このアララギに対する信仰があり、境内に六樹存在するとあるが、参拝時には知らなかったので未確認。

また、明治二十二年の町村合併で「宇気郷」という新村名が作られたが、この地域周辺に多く宇気比神社が分布していたことによる。
「宇気比」とは記紀にある誓約(うけひ)のことであり、須佐之男命と天照大御神によって誕生した五男三女の八柱の神々を祀る神社のこと。

八柱の神々から武塔神の八人の王子である八王子を連想され、伊勢では蘇民蒋来信仰が盛んなのだ。
『備後風土記逸文』の蘇民将来神話によると、北海にいた武塔神が、南海の神の娘のもとへ通う時、日暮れてしまい、備後国の地で宿を求めた。
備後国には将来兄弟が居り、弟の巨旦将来は豊かであったが宿を与えず、兄の蘇民将来は、貧しかったけれども、宿を貸す。
武塔神は、南海から八柱の御子を率いての帰路、当地で報復を行うことになるが、蘇民将来の子孫には、腰に茅の輪を付させて目印とし免れたという。
武塔神は、その時「吾は速須佐雄の神なり」と名乗ったという。

蘭神社の主祭神は、その建速須佐之男命だが、アララギのアラが荒ぶる神である須佐之男命に通じるのかもしれない。
また、神に仕える斎宮では仏教的なものを禁忌し、仏教的な言葉を忌み詞として別の言葉で置き換えるが、延喜式の斎宮式には、塔を「阿良良伎」と称するとある。
この塔から、須佐之男命の別名とされる、蘇民蒋来信仰の武塔神に通じるのかもしれない。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:46 午後

諏訪神社中社 (北杜市大武川)

山梨県にある、諏訪神社中社(北杜市大武川) を掲載しました。

山梨県北杜市にある。
中央本線の富士見駅の南5Kmほどの大武川に鎮座。
20号線を南下し、立場川が釜無川と合流するあたり、長野県と山梨県の県境でもある釜無川を渡って山梨に入り西へ。大武川の西端に当社の境内がある。

境内入口は東向き。
境内の周囲には動物除けの高いネットで囲まれていた。
入口のネットのフックをはずして入ると正面に鳥居。
鳥居の扁額には「諏訪神社中社」と書かれていたので、当社の正式名は「諏訪神社」だが、当サイトでは諏訪神社中社としておく。

鳥居をくぐると広い境内。
境内の西隅に北向きの社殿がある。
拝殿は流造。後方の本殿は、たぶん覆屋の中に納められているのだろう。

当社一体は石灰岩地で、当社の社叢は石灰岩地帯特有の植物が群生し、山梨県指定天然記念物となっている。

往古、建御名方命が出雲国よりこの地にいたり、武甕槌命と和議を結んだと伝えられ、崇神天皇の御宇、建沼川別命東征の功によって、本州西辺の地に封ぜられ、その孫大臣命、諏訪国造に任ぜられた時、この地に廟を建てたという。よって、当地を大武川と呼ぶ。

境内の案内板によると、諏訪武井祝の日記に諏訪明神、上ノ社、下ノ社のほかに当社を加えて三カ所の諏訪方と称し、当社は中ノ社にあたるとある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:47 午後

八王子神社 (明智町)

岐阜県の八王子神社(明智町) を掲載しました。

岐阜県恵那市(旧明智町)にある。
明知鉄道・明智駅の東200mほどの場所、戦国時代の山城、明知城の北西麓に鎮座。
駅から東へ直進すると境内入口がある。

境内に入ると正面に鳥居。鳥居の脇に「金幣社 八王子神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると参道階段が上に延びており、左手には明智西宮恵美寿神社。
階段を上ると唐門があり、唐門の奥が広い公園のような境内。

参拝は晩秋の十一月。
唐門の脇に御神木の榎があり、周囲の木は真っ赤に色づいていた。

唐門を抜けた境内の東奥に当社の社殿。
入母屋造の堂々とした拝殿に、流造の本殿。
現在の社殿は、延宝四年(1678)、領主遠山半九郎伊次による造営で、
県の重要文化財に指定されている。
社殿の左手前に、当地出身とも伝えられる明智光秀による手植の楓と、光秀建立と伝えられる柿本人麻呂社。こちらも県の重要文化財らしい。

社伝によると天暦三年(949)の勧請。
当時の社領二千石、 明知、串原、高波、浅谷などの諸村を領していたという。

天正二年(1574)三月、武田勢のために明知城と共に焼かれ、その後衰微。
慶長八年卯年(1603)十三代遠山利景により明知城が再興され、当社も寛永十四年(1637)旗本遠山勘左衛門(あるいは地頭遠山藤四郎)により再建された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:33 午後

祭宮神社 (甲府市)

山梨県にある、祭宮神社(甲府市) を掲載しました。

山梨県甲府市(旧中道町)にある。
甲府駅の南12Kmほどの右左口町に鎮座。
358号線を南下して笛吹川を越えて4.5Kmほど。
29号線に入って西へ進み、100mほどで北へ入った場所。
宮沢川を渡ると社域と赤い鳥居が見える。

境内は道路より高い石垣の上。
社前に赤い鳥居が立っており、鳥居の左手に、「右左口の 名のはじめとも お左口さん」と刻まれた石碑。
当社が鎮座地、右左口町(うばぐちちょう)の地名の由来とされているらしい。

その当社の社名に関して。
『山梨県神社誌』には「祭宮神社」とあり、『全国神社名鑑』には「祭宮社」、『生成祭データ』では「斎宮社」、鳥居扁額には「御左口神社」とあって複雑。

御左口の「左口」が「斎宮」「祭宮」と変化したか、あるいはその逆なのかもしれない。

で、鳥居にある「御左口」の読み方。
僕は「みさぐち」だと思っていたが、石碑に「お左口さん」とあり、また、鎮座地名「うばぐち」の由来だとすると「おばぐち」と読むのだろうか。
とりあえず、読み方のわかる祭宮神社を上には記しておいた。

鳥居をくぐり階段を上ると、広場の奥に、燈篭と石祠があるだけの簡素な境内。

創祀年代は不詳。
社伝によると、第二代天皇である綏靖天皇の頃、珊瑚珠姫がこの地に参り、養蚕や農業などを教えたと伝えられ、その姫を農業の神として祀ったという神社。

故に、祭神を食物の神である保食神とする資料もある。

この珊瑚珠姫の珊瑚(さんご)も、左口や斎宮からの変化なのかもしれないし、その逆なのかもしれない。
また、珊瑚珠姫はどのような方か判らないが、斎宮であったのかもしれない。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:21 午後

相生神社 (多気町)

三重県の相生神社(多気町) を掲載しました。

三重県の多気町にある。
紀勢本線の多気駅から東へ1Kmほどの兄国(えくに)に鎮座。
421号線を進むと、421号線の北側に社域の杜が見える。
421号線に「相生神社」と刻まれた社号標が立っており、参道を進むと鳥居。
境内は421号線と櫛田川に挟まれた場所にあり、境内の向きは南向き。
杜の入口にも鳥居が立っており、鳥居の前には砂利を敷き詰めた駐車スペースがある。

参拝は3月の雨の朝。
当社に到着した時には土砂降りだったため、車の中でしばらく寝て、小降りになるのを待っていた。

入口の鳥居をくぐると砂利の境内。左手に手水舎があり、正面に社殿。
拝殿の前、右手には「皇大神宮遥拝所」と刻まれた石柱が立っている。
境内右手に数本の木があり、木の根もとには小さな祠が祀られていた。

拝殿内に入ると、左手に氏子中の戦死者を祀る若宮社。
正面に垣に囲まれた白い神明造の本殿があるが、本殿までの空間に屋根が設置されていた。

創祀年代は不詳。
兄国村の創立に際し、天忍穗耳命を産土神として奉祭したのが始まりという。

式内社・大分神社の所在地に関して、『伊勢式社案内記』には「兄国村黒田山ノ麓、大還ニ清水アリ、是ヲ水分ト云フ」とあり、『神風徴古録』では「大水神社、兄国黒田山」、『古屋草紙』では「兄国水分神社亡社黒田山」とあるらしく、『伊勢式内神社検録』では、当社が大分神社の遺するところとされている。

かつて、多気駅西側の河田地区と、兄国地区の間に、大分という地があったようで、大分神社は、その辺りに鎮座していたと考えられており、多気郡合祀濟神社明細帳には「多気郡兄国村字バンハ」に無格社・大分神社が載っているが、その大分神社は、明治四十年十一月三十日、当社に合祀されている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:26 午後