竹居熊野神社 (笛吹市)

山梨県にある、竹居熊野神社(笛吹市) を掲載しました。

山梨県笛吹市にある。
中央本線・石和温泉駅から南西に8Kmほどの八代町竹居に鎮座。
地図を見ると、八代町竹居の東隣りに御坂町竹居という地名があるが、竹居という地域が二つの町に分かれてしまったようだ。

石和温泉駅から南下して笛吹川を渡り、中央道を通過して鳥坂峠方面へ向かう36号線から少し東へ入った場所に境内がある。

当社の正式名は「熊野神社」だが、境内の説明板には「柚ノ木熊野神社」とあり、標柱には「竹居熊野権現」とあった。
とりあえず、当サイトでは鎮座地名の竹居を冠して竹居熊野神社としておく。
(実は「柚ノ木」の読み(ゆずのき?ゆのき?)や由来が判らないので)

境内入口は北西向き。
参拝は四月の午後で境内に西日が射しこんでオレンジ色になっていた。

境内に入ると、左手に社殿。ということで社殿は南西向き。
拝殿は瓦葺平入造、後方の本殿は銅板葺入母屋造で美しいフォルムをしている。

境内説明文によると、日本武尊が東夷征討の折り、花鳥山から当社に移り御休息され、竹製の矢筒一本を奉納されたといい、日本武尊により創祀されたとも伝えられる古社。

境内の標柱には「日本武尊の息子、若武彦王の屋敷跡といわれ江戸時代作の十二所御正体の銅板を有す。」とある。

日本武尊が当社へ移る前に居られたという花鳥山は、当社の東5~600mの場所にあり花鳥山遺跡と呼ばれ、日本武尊が祀ったという浅間神社や花鳥杉などがあるらしいが、そのことは家で資料を見返している時に知ったので、残念ながら参拝していない。

ところで、竹居地区が八代町と御坂町に分かれたようだが、御坂町竹居に鎮座している天神社は酒折宮の候補地。
竹居の地名は、日本武尊「たける」が居住したことから出たと伝えられている。

『甲斐国社記寺記』にある慶応四年の当社神主の記述に「私奉仕熊野権現社頭之儀ハ元坂寄宮ト称郷名武居ト書当国草創之霊場ニ而」とある。
同じく竹居に鎮座し日本武尊縁りの当社も、酒折宮の候補とはなっているのだろうか。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:45 午後

青沼浅間神社 (甲府市)

山梨県にある、青沼浅間神社(甲府市) を掲載しました。

山梨県甲府市にある。
甲府駅の南東2Kmほどの青沼に鎮座。
358号線を南下し、青沼通りと呼ばれる通りを東へ進み、青沼通りの南側、総合市民会館の東隣りが当社の境内なのだが、社前の道は北上のみの一方通行なので、青沼通りから南下できないので注意。

境内は東向き。
石造の鳥居には「淺間社」と刻まれた扁額。
鳥居をくぐると左手に手水舎があり、正面に社殿。社殿の右手に神楽殿がある。
社殿の扁額には「淺間神社」とあり、当社の正式名は浅間神社のようだが、山梨県には浅間神社が多いためか、鎮座地名を冠して、通称、「青沼浅間神社」と呼ばれているようだ。
また、境内の外の看板には「青沼鎮座浅間神社」と書かれていた。

参拝は四月の午後、東向きの境内なので西に傾いた太陽に向かって参拝することになり、写真を撮るのに、ちょっと苦労した。
現在の社殿は戦後、氏子の方々の浄財で再建されたもの。
本殿は確認できなかったが、拝殿の後方(内部)に納まっているのだろう。

古くに野良浅間神社とも称された神社。

社伝によると、清和天皇貞観七年(865)の創祀。
武田家をはじめ武門の崇敬篤く、黒印地十一間四面、高三石三升壱合を有していたが、明治四年上知され、明治六年村社に列した。

三代実録によれば、貞観六年五月二十五日、富士山の大噴火があり、これは、富士山を祀っていた駿河国浅間神社の神職の怠慢であるとして、富士山北側にある甲斐国でも、浅間神を祀るべしと、貞観七年十二月九日、勅により甲斐国八代郡に浅間明神の祠を建て官社とした。
「勅。甲斐國八代郡立淺間明神祠。列於官社。」
また、十二月二十日、甲斐國山梨郡にも浅間明神を祀ったとある。
「令甲斐國於山梨郡致祭淺間明神。一同八代郡。」

『日本の神々』によれば、当社は式内社・浅間神社の論社ではあるが、山梨郡に祀られた浅間明神であるといわれているらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:48 午後

敏太神社 (松阪市)

三重県の敏太神社(松阪市) を掲載しました。

三重県松阪市にある。
松阪駅の西5Kmほどの美濃田(みのだ)町に鎮座。
59号線を伊勢自動車道松阪I.C方向に西へ進みインター入口の手前1Kmほどで北上すると、道路に面して東向きに白い鳥居が立っている。

笠木が左右に長い神明鳥居が特徴的だ。
鳥居の右脇に「式内郷社敏太神社」と刻まれた社号標が立っている。

鳥居をくぐると鬱蒼と茂る社叢の中にまっすぐな参道。
参道の左手に神池があり、境内社の祠が一つ。

参道を進むと突き当たりにもう一つの鳥居。
鳥居の後方に割拝殿があり、割拝殿には「敏太神社」「八幡宮」と書かれた2枚の扁額。
割拝殿を通過するとさらに鳥居が立っている。

本殿は境内奥の石組の上。透垣の隙間から中を覗くと、さらに瑞垣があり、その奥に流造の小振りな本殿がある。

本殿への石段の前に「宝永二乙酉八月」と刻まれた灯籠が立っていた。(宝永二年=1705年)
他にも古そうな灯籠がいくつかあるが、それらの銘文は確認していない。
『式内社調査報告』によると元禄二年(1689)八月十五日の灯籠もあるらしい。

参拝は三月の雨の朝。参拝時には小雨になっていたが、ひっそりとした境内に、ときおり響く雨粒の音が心地良い。

当社の社号「敏太」は、資料には「みぬだ」とある。
鎮座地が美濃田(みのだ)なので、ひょっとすると「みのだ」と呼ばれているのかもしれない。

創祀年代は不詳。
式内社・敏太神社に関して津市の敏太(トシタ)神社に比定する説があるが、「敏太」の読みに関して、万葉集に「美努女(ミヌメ)の浦」を「敏馬浦」と表記されている例から「ミヌタ」と読むべきであるとして当社も式内社・敏太神社の論社となっている。

江戸時代には敏太八幡宮と称しており、通称は八幡さんで、『美濃田神社旧記』に、建久年中里人が樹の枝に光る木像(八幡大菩薩及び神功皇后)を得て、社殿を建てこれを祀ったのが始めとあるらしく、敏太神社に八幡宮を合わせ祀ったということだろうか。

『伊勢式内神社撿録』には「八幡ヲ本社トシテ産神八王子ヲ傍ニ祀レリ」とあるようで、本来の敏太神社は、産神八王子ということだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:19 午後

宇佐八幡宮 (南砺市)

富山県にある、宇佐八幡宮(南砺市) を掲載しました。

富山県南砺市にある。
城端線福光駅の西1Kmほどの福光に鎮座。
304号線を西へ進み、小矢部川を渡って10号線(本町通り)を南下すると、福光公園に隣接して、東向きに石鳥居があり、石鳥居の右脇に「郷社宇佐八幡宮」と刻まれた社号標が立っている。

鳥居をくぐり、参道を進むと木製の鳥居。
その鳥居の奥に、東向きの社殿がある。
拝殿は銅板葺き入母屋造。本殿は拝殿の後方に内包されている形式。
拝殿扁額には「宇佐八幡宮」と記されている。

境内の右手に、お堂のような建物があるが、何なのかは未確認。
以前は寛仁寺が支配していたらしいが、その名残りだろうか。
『平成祭データ』には境内社として火伏神社、医王権現社、刀利神社の名が記されている。

社殿の後方、というか境内の周囲をお濠のような池があり、その東側が福光公園。
福光公園を少し歩いてみたが、緑と水が豊富な公園で気持ち良い。
ひょっとすると昔は当社の境内だったのかも。

社伝によると、人皇四十五代聖武天皇の御代、天平勝宝二年(750)大友家持が当国守に任ぜられた時、その子・大伴持豊が福光城にて、石黒庄総社として、宇佐より分霊を勧請。

古来、痘瘡の守護神として崇敬され、寛仁元年(1017)、寛仁寺が建立され、爾来社僧の奉仕するところとなる。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:19 午後

加須夜神社 (伊勢市)

三重県の加須夜神社(伊勢市) を掲載しました。

三重県伊勢市にある。
近鉄明星駅の北東1.5Kmほどの柏町に鎮座。
大堀川の東方に、社域の杜がある。

境内入口は西側、社域の杜に入ると左手に石造の鳥居が立っており、鳥居の右手に「加須夜神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を北上すると木造の鳥居があり、参道の奥に拝殿。
拝殿の奥に、垣に囲まれた神明造の本殿がある。

現社地には昭和になって遷座したもので新しく、境内社などは見られないが、雰囲気のある杜は印象的だ。

創祀年代は不詳。
柏集落の産土神で、式内社・加須夜神社に比定されている古社。

鎮座地である柏は、『神鳳鈔』に「糟屋御薗」とあり、「カスヤ」から「カシワ」に変化したもの。

祭神の出雲笠夜命は、出雲臣の祖・佐比祢足尼の孫で、成務天皇の時、勅により島津(志摩)国造となった人物。

式内社・加須夜神社の鎮座地に関しては、諸説柏町で一致しているが、その該当社、あるいは古跡については、柏殿、古殿、産神社などの候補があった。
だが、現在は当社にすべて集約されているようだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:08 午後

杵衝神社 (笛吹市)

山梨県にある、杵衝神社(笛吹市) を掲載しました。

山梨県笛吹市にある。
石和温泉駅の南東7Kmほどの御坂町尾山に鎮座。
中央道の一宮御坂I.Cから南に3Kmほどの場所。

境内入口は北西向き。
当社は北西3Kmにある甲斐国二之宮・美和神社の古社地と伝えられており、美和神社の方向を向いているようにみえる。

入口の鳥居をくぐり、参道を進むと、美和神社同様、参道の中央に立石が立っている。

拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は銅板葺流造。本殿の後ろに立派な御神木がある。
本殿は比較的新しい印象だが、最近改築されたのだろう。
境内社は見当たらなかったが「八幡大神」と刻まれた石が祀られていた。

参拝は四月の後半。
境内の緑が瑞々しくて気持ち良い神社だ。

創祀年代は不詳。『甲斐国社記・寺記』によると、景行天皇の御宇、国造塩海宿禰によって勧請された美和明神の古廟。
『山梨県神社誌』には、当社は式内社(桙衝神社だろう)であり甲斐国二之宮・美和神社の古社地であるとある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:58 午後