前橋八幡宮

群馬県の前橋八幡宮を掲載しました。

群馬県前橋市にある。
前橋駅の北西1Kmほどの本町二丁目に鎮座。
西向きの境内は公園になっている。

石鳥居をくぐり参道を進むと左手に手水舎。
赤い灯籠が並ぶ参道を進み、階段を上るとコンクリートの社殿がある。
全体的に流造の構造の社殿だが、本殿が良くわからない。
ひょっとすろと、この社殿の中に安置されているのかもしれない。

市街地にある、初めて訪れる神社の場合は、
車で探すので、なるべく早朝、交通量の少ない時に参拝するが、
当社への参拝も11月後半の早朝、日の出前なのだ。

当社の正式名は「八幡宮」。ただ通称は前橋八幡宮と呼ばれており、
他の八幡宮と区別するため、当サイトでは前橋八幡宮としておく。

「前橋風土記」によると、貞観年間、在原業平の子孫である長野業重が、
京都の石清水八幡宮から勧請したという。
ただし、一説に「国府八幡宮」とも言われているようで、
創建は更に古いものとする考えもあるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:28 午後

八幡宮 (氷見市一刎)

富山県にある、八幡宮(氷見市一刎) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見駅の北西12Kmほどの一刎(ひとはね)に鎮座。
70号線から少し西へ入った場所に南向きの鳥居が立っている。

鳥居の脇に「八幡宮」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、なだらかな参道を上って行くと空き地のような境内。
境内の中央に瓦葺のどっしりとした拝殿があり、
拝殿の後方、斜面の上に本殿を納めた覆屋がある。

参拝は晩秋の晴天の日。
山深い山村の神社だけれど、綺麗に刈り取られた境内の草の緑と青い空が
晴れ晴れとした雰囲気で気持ちの良い神社。
ただ、『富山県神社誌』に載っている写真では、
社殿の周りに木々が茂っているので、整備された結果なのかもしれない。

創建年代は不詳。
『式内社調査報告』には当社の記載は無いが、
『富山県神社誌』によると、当社は式内社・草岡神社であるという。

終戦の年、「村が無くなるとも氏神遺せ」と、
九十余戸の山村だけれど、壮大な総檜造千鳥破風の現社殿を造営したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:19 午前

恵那神社 (中津川市)

岐阜県の恵那神社(中津川市) を掲載しました。

岐阜県中津川市にある。
中津川駅の南西10Kmほどの正ヶ根に鎮座。
363号線から東へ登った場所。
長野との県境に聳える美濃国第一の高山霊峰恵那山(2190m)の西山麓に境内がある。

恵那山山頂に本社(奥宮)があり、山麓のこの地に前社(前宮)が鎮座。
山頂付近、参道に沿って六つの摂社も祀られているらしい。
山頂本社が二十合目にあり、最初の摂社が十九合目なので少し離れて点在しているようだ。

参拝は晩秋、11月の終り頃。
363号線から当社を目指して車を走らせていると
車道の脇に猿が座っていた。野生動物が山から下りてくる、そんな場所。

境内入口は東向きだけど、鳥居をくぐるとすぐに右手(北)に参道を曲がる。
階段を上り、参道の鳥居をくぐって、さらに階段を上ると正面に社殿。
ということで、社殿は南向きだろうか。

階段の下、左手に末社の祠(豊受社・山神社・天伯社)。
拝殿の前、階段の左右に立派な夫婦杉。
樹齢600年~800年と推定される岐阜県天然記念物。
拝殿は周囲に壁の無い形式。拝殿の奥に流造の本殿がある。

境内の右手(東側)に恵那山山頂本社(奥宮)への遥拝所がある。
老杉の聳える晩秋の境内は、枯葉で茶色だった。

創祀年代は不詳。

社伝によると、恵那山は「胞衣山」とも書かれ、
神代の昔、天照皇大神が誕生した時、血洗池で出産の穢れを洗い、
御胞衣(胎児を包んでいる膜と胎盤)を恵奈嶽に納めたことから
恵那山と呼ばれるようになったという。

当社は式内社・惠奈神社に比定されており、
『美濃国内神名帳』恵奈郡の項に「従五位上 恵奈明神」とある神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:10 午後

臼谷八幡宮 (小矢部市)

富山県にある、臼谷八幡宮(小矢部市) を掲載しました。

富山県小矢部市にある。
北陸自動車道の小矢部市I.C.の西4Kmほどの臼谷に鎮座。
北陸自動車道の北、27号線から少し入った場所に南向きの境内。
左右からの道がカーブしながら合流する場所にあるためか、
社前が広くなっている、そんな境内。

境内入口に「八幡宮」と刻まれた社号標。
当社の正式名は「八幡宮」だが、社前の案内板では臼谷八幡宮とあった。
他の八幡宮と区別するため、当サイトでも臼谷八幡宮としておく。

階段を上ると鳥居があり、広くて新しく綺麗な境内。
当社は、平成十七年四月二十四日、不審火のため焼失してしまったが、
平成十九年九月再建されたものなのだ。
短期間にここまで綺麗な神社として復興されており、
氏子の方々の崇敬の篤さに頭が下がる、そんなこと考えながら参拝。
古くて長い歴史を氏子の方々の手によって守られてきた神社も良いけど、
新しく生まれ変わった神社も、また美しい。

参道を進み階段を上ると当社の社殿。
拝殿は銅板葺入母屋造りで北陸に多いガラス張りになっている。
拝殿の後方の階段の上に、本殿を納めた覆屋がある。

本殿の右手に臼谷の大杉と呼ばれる、富山県指定天然記念物の大杉。
樹高37メートル、幹まわり8.5メートルだったらしいが
火災のせいか上部が切断されており、黒く焦げている。

創祀年代は不詳。
臼谷の地は、往昔、藪波里と称していたようで
式内社・荊波神社の論社とされている古社。
蟹谷郷の総社として崇敬された神社。

当地から西へ向かい金沢へ抜ける道は「小原越」と呼ばれ、
北陸街道の脇道として古代から栄えた道らしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:00 午後

玉村八幡宮 (玉村町)

群馬県の玉村八幡宮(玉村町)を掲載しました。

群馬県の玉村町にある。
玉村町役場の西500mほどの下神田に鎮座。

354号線(日光例幣使街道)の北側に朱の大きな一之鳥居が立っている。
地図を見ると、境内の北にも354号線が東西に走っているが、
こちらは旧道になるのだろうか。

鳥居をくぐり参道を進むと駐車スペースがあり、
慶応元年(1865)の建造の立派な随神門がある。
当社には戌亥八幡信仰というものがあるそうで、
随神門には「戌年・亥年生れの守り神」とある。

随神門をくぐると広い境内。随神門から敷き石の参道が続いている。
昔、商人風の男が突然現れ、石工や人夫を雇って参道に石を敷きつめ、
名前も告げずに去ったという話が残っている。

参道を進むと石造の二之鳥居があり、神橋を渡ると中門。
中門の奥が社殿のある境内。
拝殿は銅板葺き入母屋造。幣殿で繋がった本殿は流造。
永正四年(1507)建立、慶長十五年(1610)移築された本殿は
国指定重要文化財になっている。

社伝によると、
鎌倉初期の建久六年(1195)源頼朝が新田館から三原へ赴く途中、
鳥川の畔で休息し、その地形が鎌倉の由比ケ浜に似ていたために
上野奉行安達藤九郎盛長に命じ、鶴岡八幡宮の御分霊を角渕の地に勧請したのが当社の創祀。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:28 午後

神坂神社 (阿智村)

長野県にある、神坂神社(阿智村) を掲載しました。

長野県の阿智村にある。
阿智村役場の西12Kmほど、中央道の園原I.C.からは3.5Kmの智里に鎮座。
岐阜県との県境、神坂山(1684m)の南東側麓。
古代の東山道最大の難所といわれた神坂峠への登り口に境内がある。

園原I.C.から西へ、信濃比叡と呼ばれる広拯院月見堂を通過して
整備された車道を上って行くと到着。
社前には広い駐車スペースもある。

当社の正式名は「神坂(みさか)社」のようだが、
境内の鳥居や由緒書きには「神坂神社」。境内入口の社号標には「神御坂神社」とある。

参道を進むと右手に大きな石。
境内の由緒書きに日本武尊の腰掛石とも古代祭祀の磐座ともいう大石とあるが
この石のことだろうか。

さらに参道を進むと鳥居が立っており、階段の上に当社の社殿。
社殿の前や右手に巨木が聳えており、まさに神域といった感じ。
社殿そばの日本杉は、もとは二本あったが明治二十五年の暴風雨で倒れ、
その年輪では樹齢二千年以上だったらしい。
日本武尊が食事に使った箸をさしたところ巨木に成長したという伝承がある。

境内の左手奥に古代東山道の細い山道が続いている。
県境の神坂峠まで3.5Kmほどの自然歩道らしい。
徒歩で約3時間らしいので今回は断念した。

創祀年代は不詳。
住吉様とも称される神社で、墨江三前大神を主祭神とする神社。
一説には、筑前国を本拠とする安曇族が当地に移住し、峠の下に海神を祀ったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:15 午後