許波多神社 (宇治市五ヶ庄)

京都府の 許波多神社(宇治市五ヶ庄) を掲載。


京都府の宇治市にある。
JR奈良線、京阪宇治線・黄檗駅の西1Kmほどの
五ヶ庄古川に鎮座。
245号線を西に進むと、小学校の西隣りに境内入口がある。

入口に二基の社号標が立っており
古い社号標には「式内郷社 許波多神社」と刻まれ
新しい社号標には菊紋が彫られている。

参道を北に進むと鳥居が立っており
鳥居をくぐり、木々の参道を進むと境内。
境内入口にも朱の鳥居が立っている。

参拝は2月の初日。
境内では節分祭の準備のためか
何人かの氏子の方々が作業していたので
邪魔にならないようにひっそりと気配を消しながら参拝。

瓦葺の大きな拝殿は割拝殿のような構造で
奥に進むと中門があり、朱の垣に囲まれた社殿。

中門の脇の扉から中に入ると
重要文化財の流造の本殿がどっしりと鎮座しており
本殿の左右に多くの境内社が並んでいた。
各境内社の祠には、
蜜柑や海苔、米、饅頭、きのこの神饌が供えられていた。

創祀年代は不詳。
社伝によると、孝徳天皇大化元年(645)勅願によって
皇祖の御神霊を奉祀するために創祀されたという。

かつては、現社地の東方、柳山に鎮座していており
柳神社と称していたが
明治九年十月、陸軍省の火薬庫建設により
御旅所であった現社地に遷座し、社号を許波多神社に戻したらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:11 午後

氷銫斗賣神社 (長野市)

長野県にある、氷銫斗賣神社(長野市) を掲載しました。

長野県長野市にある。
信越本線・長野駅の南5Kmほどの下氷鉋に鎮座。
犀川にかかる丹波島橋を南下し、117号線が35号線を交わる
下氷鉋の交差点を西へ300mほど進むと参道入口。

民家と田圃の間に参道があり、参道入口には
「延喜式内氷銫斗賣神社」と刻まれた社号標。
参道の中ほどに木製の両部鳥居があり、さらに進むと
石の垣に囲まれた境内。

境内は、一見広い砂利の駐車場だが、
境内左手には、新しい社務所兼公民館。
境内の奥、北側に社殿が並んでいる。

瓦葺入母屋造の拝殿の左手には、
立派な社殿の境内社、津島社(須佐之男命)があり、
津島神社の左手に石祠の伊勢社(天照皇太神)。
拝殿背後の本殿は、覆屋の中にあり確認できなかった。
その覆屋の右手には八幡宮(誉田別命)と幾つかの庚申の石祠があり
左手には小さな天満宮(菅原道眞)。
他にも養蚕社(保食命)なども祀られている。
資料には秋葉社(迦具土命)の名も載っていたが確認を忘れた。

参拝は秋の日の午後。
参道右手には黄金色の稲穂が風にうねっていた。
『式内社調査報告』に載っている数十年前の写真では
参道の両脇が田圃だったようだ。
いつか、右側の田圃も無くなってしまうのかな、
などと思いながらの参拝。

社号「氷銫斗賣」は「ひがのとめ」と読む。
銫は「かんな」と読み、鉋と同じ文字で、
鎮座地名は鉋の文字を使い、
地図や資料にも当社は「氷鉋斗賣神社」とあるが、
当サイトでは、社号標や鳥居扁額の「氷銫斗賣神社」を用いる。

余談だが、銫はセシウムとも読むらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:29 午後

宮川神社 (亀岡市)

京都府の 宮川神社(亀岡市) を掲載しました。

京都府亀岡市にある。
亀岡駅の西13Kmほどの宮前町宮川に鎮座。
372号線を西へ進む、宮川交差点付近から西へ入った場所。
山頂に金輪寺のある神尾山(神野山)の東麓、
集落の奥に境内がある。

灯籠の立つ参道入口を進むと
「延喜式内宮川神社」と刻まれた社号標があり石鳥居が立っている。
鳥居をくぐると白土塀の参道。
北東から参道を進むと、奥に境内があるが、社殿は東向きのため、
社殿の斜めから入る形で、ちょっと変わってる。

境内中央に拝殿があり、拝殿の後方、階段上に本殿を納めた覆屋。
本殿は檜皮葺流造のようだ。
その本殿の後方に大きな磐が、今にも落ちそうな位置にある。

本殿の左手に林に続く小道があり、
小道の中に貴船大神や玉依姫命を祀る小祠がある。

参拝は八月の暑い日だったが、
林の小道は苔むした静かで涼やかで気持ち良い。
ただ、あまりじっとしてると蚊に襲われるかもしれない。

神尾山(神野山)の山麓にあり、
神尾神社、神野神社とも称された神社。

社伝によると、文武天皇の大宝年間(八世紀初旬)に
山上に伊賀古夜姫命を祀ったのが創祀。
式内社・神野神社に比定されている古社。

また、それ以前の欽明天皇三十二年(571)に
宇佐八幡宮が山中に勧請されていたらしいが、
天正五年(1577)の明智光秀と波多野秀治の合戦の際に
両社とも焼失し、その後落雷や不作などが続いたため
正保四年(1647)山麓の現在地に社殿を造営し
山上にあった神野神社、山中の八幡宮を合わせ祀り
宮川神社と改称した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:10 午後

高杜神社 中社 (中野市)

長野県にある、高杜神社中社(中野市) を掲載しました。

長野県中野市にある。
飯山線・蓮駅の南東5Kmほどの赤岩に鎮座。
高社山(こうしゃさん)1351mの東麓、というか中腹にある。

当社中社から西へ数百mの位置に里社があるが、
里社は高社山山頂奥社への遥拝所。

里社は夜間瀬川そばにあった集落の上位にあったが
応永十三年の大洪水によって集落が山側へ移動。
里社が集落の下位になったため、
明治十三年、集落の上位に当社中社を建立し現在の三社構成となった。

赤岩集落から高社山へ向かって東へ坂道を上り
奥社への登り口から1Kmほど西の中腹に境内。
参道突き当たりにあるが、字名が馬場東だから
このまっすぐな参道は馬場だったのだろう。

入口の鳥居付近に境内社らしき祠や石祠があるが詳細は未確認。
鳥居をくぐり階段を上ると社殿。
平入拝殿の後方に垣に囲まれた流造の本殿がある。

本殿の左手に立派な境内社・宣澄社。
戸隠神社の修験者だった宣澄霊人を祀る社。
戸隠講に盆じゃもの系統の踊りを譲る代わりに
戸隠の宣澄さんの信仰を持ち帰ったという。

参拝は曇天の日の午後。
上記のように、当社境内は明治になって
氏子によって寄進されたものだが、
今ではすっかり深遠な神域となっている。

山頂の奥社、麓の里社の創祀年代は不詳。
赤岩の産土神で、式内社・高杜神社の論社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:05 午後

高那彌神社 (美浜町)

福井県の 高那彌神社(美浜町) を掲載しました。

福井県の美浜町にある。
東美浜駅の北12Kmの竹波に鎮座。
敦賀半島の西側、若狭湾を左に見ながら北上し、
美浜原発の手前、竹波海水浴場付近で、東へ入る。

参道脇には「式内村社高那彌神社」と刻まれた社号標が立っている。
参道を進み、石鳥居をくぐると
丘の麓の斜面に比較的狭い境内がある。

鳥居の右手に手水舎があり、
境内の左手に神楽殿らしき社殿。
階段の上に、新しい覆屋(蛸屋)があり、本殿はこの中。
資料によると、本殿は流造らしい。

『福井県神社誌』に、平屋造の拝殿が記されているが
覆屋の左にある社殿が拝殿なのだろうか。
だとすると、本殿の側面に面した不思議な配置。
あるいは、階段下境内左の神楽殿らしき社殿が拝殿か。

創祀年代は不詳。
『若狭国神階記』に「正五位 竹波明神」とあり
式内社・高那彌神社に比定される古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:55 午後

澤村神社 (いわき市)

福島県にある 澤村神社(いわき市) を掲載しました。

福島県いわき市にある。
草野駅の西1Kmほどの下神谷字岸前に鎮座。
言葉では上手く説明出来ない場所にあり、
地図を見ながら、狭い道を上って到着。
参道入口は南側にあるようだが、車を境内の社務所横に停めて参拝。

石鳥居をくぐると、左手に手水舎があり、正面に社殿。
拝殿は入母屋造で、後方の本殿は流造。
本殿は垣ではなく、金属の手すりのようなもので囲まれていた。

社殿の左手に石碑が数本立っていたがよく読めなかった。

拝殿扁額には「澤村神社」と書かれ、桐紋の幕がかかっていた。
社殿の屋根には三巴紋も見られたが、どちらが神紋かは未確認。

参拝は天気の良い6月の午後。
木立の茂る境内で、気持ちが良い。
社務所に宮司らしき方がおられたので由緒をいただいた。

いわきの地は慶安年間の頃、
大旱害におそわれ農作物は全滅の危機に瀕していた。
城主・内藤忠興は、藩士・澤村勘兵衞勝爲に命じ、
領内の被害状況を検視させた。

農民たちの苦しみに心を動かされた澤村勘兵衞勝爲は、
許可を得て夏井川の用水建設に着工。
苦労の末に用水は完成したが、
奸臣によって不実の罪を着せられて死罪を命じられ、
明暦元年、割腹して果てた。享年四十三歳。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:32 午後