廣瀬神社 (伊豆の国市)

静岡県の廣瀬神社(伊豆の国市) を掲載しました。

静岡県伊豆の国市にある。
伊豆箱根鉄道・田京駅の南1Kmほどの田京に鎮座。
136号線(下田街道)の三福I.C.の東200mほどにある
交差点に境内入口があるが。
川沿いの道が少し高い位置にあるようで、階段を下りて参道を進む。

参道入口には石鳥居が建っており、
横に「縣社廣瀬神社」と刻まれた社号標が建っている。

鬱蒼と茂る樹木に囲まれた参道を進むと石橋があり、参道脇に御神馬像。
さらに進むと広く明るい境内。

境内中央に、瓦葺入母屋造の大きな拝殿があり
拝殿の後方に流造の本殿。

社殿の後方には、唯一の境内社・祖霊社が祀られている。

参道には木々が多く、広瀬神社の杜として文化財に指定されているゆおだ。
境内の右手奥にも大きな木があり、御神木の楠がある。

創祀年代は不詳。
慶長元年の棟札によれば、天平年間の創立という。

古来、田中五カ村の総鎮守として崇敬され
福沢大明神、深沢大明神と称してきた大社。

明治六年郷社列し、深沢神社と称したが
明治二十八年、廣瀬神社と改称し、明治三十二年県社に昇格した。

式内社・廣瀬神社の論社の一つ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:51 午前

坂益神社 (養父市)

兵庫県の 坂益神社(養父市) を掲載しました。

兵庫県養父市にある。
山陰本線・八鹿駅の南西8Kmほどだが、
道路行程では13Kmほどの大屋町上山に鎮座。

円山川に沿って南下し、大屋川に沿って9号線から6号線へ。
6号線を西へ10Kmほど進み、大屋町樽見付近で東へ進む。
2Km程度走ると大屋町上山の集落があるが、
その集落の南、山の中腹あたりに境内がある。

地図では、当社の場所がよく判らなかったので
そのまま道路を進み、カーブしながら上っていくと、
神社らしき森の横を通過。
車を停めて、神社の後ろから境内に入り参拝。
扁額を見ると、そこが坂益神社だった。
どうやら、道路が神社の後方を通っているようだ。

通常、神社への参拝は、なるべく表参道から行うことにしているので
鳥居から参道を戻り、階段を下って、参道入口から参拝をやり直し。

ということで、狭い階段を上っていくと、上に鳥居が見えた。
参道の途中に、参道脇に向かい合うような建物があるが
社務所だろうか、普通の民家だろうか。
『式内社調査報告』によると大日如来を祀るお堂らしいが。

さらに階段を上ると少し広い境内。
鳥居をくぐり奥へ進むと、社日が立っており
社日の隣に「安藤大明神」と刻まれた石碑が祀られていた。

さらに奥に進むと、石組の上に社殿が二つ。
右側の大きい社殿が、当社の社殿らしく
扁額には「坂益神社」と記されている。
扉の間から中を見ると、金色の祠が祀られていた。
一瞬、仏壇かと思ったが、左右に小さな祠も並んでおり
神を祀っているのだと思う。

参拝はゴールデンウィークの頃。
社殿の横には桜の花が咲いていた。

参拝後、ホテルに戻って地図を確認すると、
どうやら、神社後方の道を進むと樽見の大ザクラという
天然記念物の桜があるらしい。
参拝中は知らなかったので見ていないのだ。残念。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:45 午後

八幡社 (山東町森)

兵庫県の 八幡社(山東町森) を掲載しました。

兵庫県朝来市(旧山東町)にある。
梁瀬駅から、南に4Kmほどの山東町森に鎮座。
与布土川に沿って276号線(檜倉山東線)を南下し、
277号線(溝黒竹田線)との交差点を東へ300mほど進むと
緩やかな坂道の北側に、社域の杜(丘)がある。

境内入口は南西と東側にあるが、南西の入口が表参道のような雰囲気。
石燈籠の間の参道を進み、鳥居をくぐって階段を上ると境内。

境内の南側には舞殿のような建物があり、
北側は、円い塚のような石組になっている。
その塚のような石組の上に社殿。
参道階段の正面に本殿を納めた瓦葺の覆屋がある。
覆屋といっても前面が開放されており、覆い屋根という言い方が正しいかも。

内部の本殿は流造だが、唐破風向拝付きの豪華なもの。
屋根は檜皮葺のようだったが、こけら葺かもしれない。

本殿の右手に、小さな祠があり、こちらはトタン葺きの覆屋の中。
本殿左手には、春日造のやや大きな境内社があり、
その横にも小さな境内社の祠がある。

創祀年代は不詳。

『兵庫県神社誌』には
明治六年十月村社に列し、
大正二年若一王子社、および桜木社を合祀とのみ記されている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:11 午後

大三王子神社 (新島)

伊豆諸島・新島の大三王子神社(新島) を掲載しました。

伊豆七島の新島にある。
新島港の近くにある大三山の中腹に鎮座。

地図を見ると、新島中央部の市街地付近から参道が延びているようだが、
とりあえず、大三山付近の道を散策してみた。
すると、大三山の周囲を廻っている道に参道近道の石碑が建っていたので
入ってみると、鳥居が建っていた。

鳥居から南へ参道を進むと長い階段があり、
階段を上ると、もう一つの鳥居。
鳥居をくぐると、今度は下りの階段があり、
階段を下ると、小川に石の太鼓橋がかかっている。
太鼓橋の奥に、さらに階段があり、階段を上り参道を進むと境内。
ちょうど境内の左手から入る形で、
その入口から見て、右手に社務所兼参籠所。
左手にブロック塀があり、中央に鳥居が建ち、
鳥居の奥は、本殿へ向かう参道階段。

参道の案内に、この本殿への階段は土足禁止とあったので
どうしようかと、しばし迷ったが、靴を脱いで階段を上った。

境内に人がいる場合は、
比較的簡略な参拝で済ましてしまうことが多いのだが
この時のように無人の境内では、かなり律儀に参拝する
そういう自分の性格が好ましいなぁ、
などと心の中で自分を讃えながら上ったことを覚えている。

その階段を上ると、ブロック塀に囲まれた方形の境内があり
中央に本殿の覆屋。覆屋の中に、新しい小振りな祠が祀られていた。
また、方形の境内の隅に、小さな石が祀られていた。

創祀年代は不詳。

『三宅記』によると三島大明神は五人の后を島々に置き、
あたら嶋(新島)の后を、「みちのくちの大后」と言う。
新島の近くの小島・式根島の泊神社に祀られている「みちのくちの大后」には
二人の王子がおり、兄を大宮王子(あるいは大三王子)、弟を第三王子という。

この大三王子を祀っているのが当社。
相殿には弟神の第三王子を祀っているのだが、
大三王子は、三島大明神の三番目の御子神で、第三大明神とも記される場合があり
弟神は第三王子明神と記されて紛らわしい。

大三王子が第三と記される場合は「ダイサン」と読み、
弟の第三王子は「テイサン」と読むらしいのだが、やはり紛らわしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:53 午前

皇足穂命神社諏訪社合殿 (中条村)

長野県にある、 皇足穂命神社諏訪社合殿(中条村) を掲載しました。

長野県の中条村にある。
中条村役場の南西1Kmほどの中条字宮前に鎮座。
31号線を下り、475号線に入って南下すると、
道の東側に境内がある。
475号線をもう少し下ると、白馬長野有料道路がある。

参道入口は、南下する475号線に面して西向きにあるが
境内は475号線に沿って南北に長く、南向きの森の中の神社。

境内入口の鳥居には、
皇足穂命神社と諏訪社の名が記された扁額が掛けられているように
当社は皇足穂命神社と諏訪社を合わせ祀った神社。
正式名は「皇足穂命神社諏訪社合殿」というらしい。

鳥居の前は砂利の駐車スペースになっており東側に筆塚がある。
鳥居の形式は両部鳥居だが、
配色は柱や貫が薄い桃色。島木が赤く、笠木が黒。
上が濃く下が薄い、グラデーションを意識したのだろうか、面白い。

境内全体が斜面にあるため、
鳥居をくぐり参道を進み、階段を下ると社殿のある境内。
境内右手には、社務所(参籠所かも)があり、
境内中央に、赤い屋根の大きな拝殿がある。

拝殿の後方には、西に諏訪社、東に皇足穂命神社の本殿があるのだが
大きな覆屋の中にあり、確認できなかった。残念。

社殿の背後はなだらかに下る斜面で、木々の茂った林になっており、
深く静かな歴史を感じさせる境内で気持ちが良い。
社殿前の境内も綺麗に整備・清掃されて、
氏子の方々の崇敬の念が感じられる神社だった。

創祀年代は不詳。

『明治神社誌料』によると、
当時の今栄村および旧青木、奈良井、伊折地、京原、千納六ヶ村の産土神。
皇足穂命神社を東宮、諏訪社を西宮と称し二殿並んで鎮座している神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:38 午後

桑田神社 (篠町山本)

京都府の 桑田神社(篠町山本) を掲載しました。

京都府亀岡市にある。
亀岡駅の東3Kmほどの篠町山本に鎮座。
山陰本線の線路がトンネルを抜ける地点のそば。
亀岡盆地の西口、保津川(大堰川)を見下ろす高台の上に境内がある。

トロッコ亀岡駅から鵜ノ川を越えて東へ入った場所に境内入口がある。
木々の茂った入口に「延喜式内 桑田神社」と刻まれた社号標が立ち
階段を上ると鳥居が建っている。

鳥居をくぐり参道階段を登ると、南北に長い砂利の境内。
右手に社務所があり、さらに参道を進むと、
境内中央部分に拝殿があり、
拝殿の後方に屋根が続いて、石組みの上に本殿がある。
境内は南北に長いが、社殿は西向き。

参道には赤い旗(幟)が立っており、二匹の鯰が八の字に描かれていた。
持っている資料には記されていないが、当社と鯰は関係があるのだろうか。
写真は撮っていないのだが、手水は鯰の口から水が出ていたような。

天明年間(1781~89)に社殿が焼失したらしく、
創祀年代は不詳。

社伝によると
往古、この地は湖であったが、
矢田町の鍬山神社祭神とともに、
自ら鍬鋤を持って保津の山峽を切り開き
亀岡盆地を開拓した神を祀る神社。

式内社・桑田神社の有力な論社だが、
『篠村史』には、当社は馬堀の同名社からの分祀と記されているらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:58 午後