彼方神社 (宇治乙方)

京都府の 彼方神社(宇治東内) を掲載。


京都府の宇治市にある。
宇治駅の東100mほどの乙方に鎮座。
宇治橋東詰から東へ100mほど、緩やかに坂道を上ったところ。
道路の北側に小さな境内がある。

境内入口に「式内彼方神社」と刻まれた社号標が建ち、
源氏物語の登場する「椎本之古蹟」と刻まれた石碑が建っている。
境内に二本の椎の古木があるらしいが、植物はわからない。

数段の階段を上ると南向きの鳥居があり、
社殿は小さな祠が一つ。

境内には石灯籠が2・3基あるが、
灯籠の足には「諏訪大明神」と刻まれていた。

境内奥の三角コーナーのような場所に
大きな石が祀られている。

創祀年代や由緒は不詳。

『日本書紀』の神功皇后の項にある
忍熊王が謀反し、武内宿禰がこれを討たんとした地、
「彼方の疎林(あらら)の松原」は、当地のことであるという。

彼方(おちかた)というのは、宇治川の流れ落ちる方向という意味らしい。
あるいは、宇治川が急に落ちる、つまり流れが速くなる場所。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:02 午後

亀戸天満宮 (江東区)

東京の亀戸天満宮(江東区) を掲載しました。

東京都江東区にある。
錦糸町駅と亀戸駅の中間。JR線路から500m北の亀戸に鎮座。

参道入口は蔵前通りに面しており、
参道を進むと赤い大鳥居。
鳥居をくぐると、男橋と呼ばれる太鼓橋があり
橋を渡って、池の中の島を通ると女橋。
女橋を渡ると、正面に大きな社殿がある。
社殿の前には、神牛の像が置かれ、左に白梅、右に紅梅が咲いていた。

この太鼓橋は、安藤広重の『名所江戸百景』にも描かれている橋。
当社境内は、江戸庶民の憩いの場だったのだろう。
池の島は、紅白200本以上の梅の木のある梅園と藤棚になっており、
藤の名所として知られ、広重の版画にも藤の花が描かれている。

社殿は入母屋造、銅葺の朱の社殿。
境内の斜め後方には、スカイツリーが聳えており
今昔の組み合わせが面白い。

社殿前の手水舎には亀。当然、池の中にも亀。
境内右手奥には、亀井戸跡が残っており
亀に似た朽ちた贔屓の上に石碑が立ち、
横にも亀に似た石が置かれていた。

当社の正式名は、「亀戸天神社」だが、通称は「亀戸天満宮」、
境内入口の鳥居扁額や拝殿前の提灯には「亀戸天満宮」とあり
拝殿扁額には「亀戸天神社」とある。
他に、「亀戸天神」「本所宰府天満宮」「東宰府天満宮」
などとも呼ばれていたらしい。

正保三年(1646)二月、
太宰府天満宮神人菅原信祐、夢の中に道真公が現れて詠んだ
「十立ちて栄ゆる梅の稚枝かな」という神詠の句に感じ、
飛梅をもって神像を刻んで、諸国を巡って江戸に達し、
寛文元年(1661)八月、
現社地の東方6・700mの位置の元天神に奉斎。

時に、明暦三年の大火によって焦土と化した下総より葛飾を割き、
武蔵に加えて本所の地を開拓するにあたり
新開地の総鎮守たるべしとして、
寛文二年(1662)徳川家綱より境内地の寄進を受け、
太宰府の杜を模して、社殿、楼門、廻廊、心字池、太鼓橋等を造営し
奉斉したのが当社の起源。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:23 午前

六之丞八幡宮 (足利市板倉町)

栃木県の六之丞八幡宮(足利市板倉町) を掲載しました。

栃木県足利市にある。
足利駅の北西1Kmほどの板倉町に鎮座。
67号線を北西に7Kmほど進み、
渡良瀬川の支流、松田川にそって北東へ2.5Kmほど。
板倉橋を渡って東へ200mのあたりに、
「羽黒古墳」への案内板と庚申がある。
その脇の小道を進むと、境内がある。

参道の途中から右手へ進むと羽黒古墳だが
参道を直進すると鳥居が建っている。
鳥居扁額には「六之丞八幡」とあり、
さらに参道を進んだ階段の上に社殿が建っている。

社殿の右手には「濟世救民者丈夫之本懐」と刻まれた由緒石碑があるが
一部よく読めないので転載はあきらめた。

当社は文化年間(1804~1818)の創祀。
当地の義民・堀江六之丞命とその妻・よねを祀る神社。

創建当初は堀江神社と呼ばれていたようだが、
現在は、六之丞様、六之丞八幡と呼ばれているらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:51 午後

高尾神社 (御田長島町)

栃木県の高尾神社(御田長島町) を掲載しました。

栃木県宇都宮市にある。
東北本線・雀宮駅の南東2Kmほどの御田長島町に鎮座。
田畑に囲まれた集落の西端に南向きの境内がある。

南側の境内入口に石の鳥居が建ち、
鳥居の右手に「高尾神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると、広場のようなオープンな感じの境内。
境内は最近整備されたようで、参道には新しい石灯籠が並んでおり
境内奥には、新しい社殿がある。

社殿の形式は、拝殿の中に本殿を納めたもののようで
社殿は、この一つだけだった。

その社殿の左手に、東向きの石祠が一つ。
境内の右手には、幾つかの石祠や庚申塔が並んでいる。
その並んだ石祠の一番右に、鈴木源之丞命を祀った喜国神社がある。

当社の創祀年代や由緒は不詳。

境内の喜国神社の祀られる鈴木源之丞命は、
一揆の首謀者として打ち首になった当地の義民。

寛延二年(1749)、肥前国島原から宇都宮城主となった松平忠怒は、
藩の財政立て直しのため領内の農民に対し年貢米の増税を行った。
これには反対した農民らによって一揆が発生。
この一揆により年貢は従来通りとなったが、
一揆の指導者であった鈴木源之丞ら三名は捕えられ町内を引廻しの上、
打ち首となった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:54 午後

秋葉神社 (台東区)

東京の秋葉神社(台東区) を掲載しました。

東京都台東区にある。
地下鉄日比谷線の入谷駅から言問通りを東へ100mほど進み、
仲入谷交差点から200mほど南下すると、入谷南公園の南に境内がある。

境内入口は東側と西側にあり、東参道には神明鳥居、西には明神鳥居。
鳥居をくぐり参道を進むと、境内中央に南向きの朱の社殿がある。

拝殿は入母屋造。本殿はコンクリートの流造らしいが、よく見えなかった。

参拝は夕方。日は沈み、暗くなり始めた頃。
境内は砂利が敷き詰められ、清浄な雰囲気。
境内にいると、都会の喧騒が聞こえなくなるのが不思議だ。

当社は、もとは江戸城内紅葉山に祀られていた鎮火の神。

明治初年に東京府内に火災が頻発し、
東京府一円の火災鎮護の神として、
明治二年十二月の東京大火災の後、今の秋葉原に奉遷された。

明治二十一年、鉄道駅設置のため、
境内地は大日本鉄道(現JR)に払い下げられ、現在地に遷座した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:21 午前

許波多神社 (宇治市木幡)

京都府の 許波多神社(宇治市木幡) を掲載。


京都府の宇治市にある。
JR奈良線・木幡駅の北200mほどの木幡東中に鎮座。
JR線の西側に西向きの境内があり、参道入口も西向き。

参道入口には「式内郷社許波多神社」と刻まれた社号標があり、
鳥居をくぐって、100mほど東へ進み、少し右へ曲がると境内入口。
ちょっと不自然に曲がる参道だが、境内入口の鳥居の正面に、
垣に囲まれて塚のようなものがあるためだと思う。
その垣の中に何が祀られているのか、御神木なのかはわからなかった。
ひょっとすると下記に記した、大海人皇子の柳を
当地へ遷座した際に、移植したものかもしれない。

その垣の正面にある鳥居をくぐって境内に入ると
左手に手水舎があり、正面に拝殿。
拝殿の後方、少し離れて垣に囲まれた本殿がある。
本殿は二棟並んだ流造。
向かって右手の本殿が少し大きいようだ。

現在は、許波多神社と称されているが、
『式内社調査報告』には木幡神社とある。

創祀年代は不詳。
社伝によると、皇極天皇の夢に告げがあり
藤原鎌足に詔して社殿を造営し、大化元年九月十日に奉遷したとある。

五ヶ庄にも同名社が存在し、ともに式内社・許波多神社に比定される古社。

もとは柳山に鎮座していたため、柳大明神とも称されていた。

壬申の乱に先だって近江から吉野へ向かった
大海人皇子が当社へ参拝し、鞭として使っていた柳の枝を
社頭に挿して戦勝を祈願し、その柳が繁茂したため
柳山と称するようになったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:35 午後