岩瀬諏訪神社 (富山市)

富山県にある、岩瀬諏訪神社(富山市) を掲載しました。

富山県富山市にある。
富山駅の北7Kmほどの岩瀬白山町に鎮座。
当社の通称は浦の宮。神通川の河口部にあり富山港の近くに境内がある。

地図を見ると、富山ライトレールという路面電車の競輪場前駅の西100mの位置にあり、
競輪場は駅の東側、当社は西側にある。
鎮座地名の岩瀬白山町は、当社近くの白山神社に由来するもののようで、
白山神社の地に、当社が後から遷座してきて、当社の方が大きくなった感じ。

境内入口は西側の1号線に面しており、西向きに鳥居が立っている。
鳥居の脇には「諏訪神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると手水舎や神馬像があり、参道を右に曲がると社殿。

参道脇に大黒様を祀った摂社が祀られているが、
雪の多い北陸らしく、境内社にもガラスの雪除けの中にあるのが面白い。

参道を進むと正面に銅板葺入母屋造の堂々とした拝殿。
拝殿の後方に流造の本殿がある。
拝殿には「山王社 諏訪社 神明社」の名が記された扁額。
左手には「聖廟」「天満宮」という扁額も掲げられているが
これは合祀された尾山神社のものだろうか。

当社の正式名は「諏訪神社」だが、
境内の由緒書には「岩瀬諏訪神社」と記されていたので
当サイトでは岩瀬諏訪神社としておく。

創祀年代は不詳。
万治二年(1659)、神通川が洪水で東に転流した時、
住民移住の際に産土神である婦負郡西岩瀬の諏訪神社を東岩瀬に遷座。
その時に、各種材木や道具などを運んだ運搬車が
当社の曳山車の始まりであるという。

その後、文政十年(1827)に諏訪町(富山マリーナのあたりか?)に遷座。
昭和十七年に、富山市の都市計画による富岸運河掘削のため、
諏訪町から現鎮座地である白山町に遷座された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:41 PM

阿智神社 (阿智村)

長野県にある、阿智神社(阿智村) を掲載しました。

前宮
奥宮

長野県の阿智村にある。
阿智町役場の北西3Kmほどの智里(ちさと)に鎮座。
阿知川を遡って153号線を西へ進み、
256号線に入って1Kmほどの昼神温泉に阿智神社前宮(前社)がある。

256号線から北へ入った場所に境内があるのだが、
入る場所を間違えて、僕は境内の裏から参拝した。
ということで、一度境内を通過し、表参道に戻って参拝開始。
参道の坂道を上ると鳥居が立っており、鳥居の奥に手水舎。
手水舎の前を通過し、階段を上ると、もう一つの鳥居。
鳥居をくぐると、社殿のある林の中の境内。

「鳥居をくぐる」と記したが、実際にはくぐっていない。
参道の二基の鳥居には、細い注連縄が張られているのだが、
胸の高さの位置に張られているため、くぐる事をためらった。
通常の神社の鳥居では、注連縄は上部の貫(横棒)の位置にあるのだが、
阿智村周辺の神社では、鳥居の脚の部分の中ほどに張られているようだ。

境内の奥、北側に南向きの社殿。
入母屋造妻入りの拝殿の後方に、本殿を納めた覆屋が接続した形式だ。

拝殿の左手の木に、白い御幣が掲げられていた。
なにか意味のあるものだと思うが、詳細は未確認。
西側にあることから、奥宮を遥拝するものなのかもしれない。

創祀年代は不詳。
社伝によると人皇第八代孝元天皇五年春正月、
天八意思兼命が御子神を従えて信濃国に天降り鎮座したという。
式内社・阿智神社に比定されている古社。

前宮から、さらに阿知川を2Kmほど遡った場所、
本谷川と黒川が合流して阿知川となる三角に突出した半島状の地に当社の奥宮(奥社)がある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:28 PM

妙義神社 (富岡市)

群馬県の妙義神社(富岡市)を掲載しました。

群馬県の富岡市(旧妙義町)にある。信越本線・松井田駅の西4Kmほど、
上越自動車道の松井田妙義I.C.の南2Kmほどの妙義に鎮座。
196号線を進むと、右手に褐色の大きな鳥居が立っており、すぐ近くに道の駅。
境内は妙義山系の白雲山の東麓。道の駅から白雲山がよく見える。

妙義山は、富岡市・安中市・下仁田町の境界に聳え、
奇岩・奇峯の連続する上毛三山の一つ。
大きくは白雲山・金洞山・金鶏山の三山の総称。
さらに相馬岳・御岳・丁須ノ頭・谷急山などを合わせて妙義山と呼ぶ。
当社妙義神社は、その白雲山を神体とする神社。

鳥居をくぐり緩やかな参道坂道を上って行くと、
目の前に聳える白雲山の中腹に「大」の文字が見えてくる。
この「大」の字は妙義大権現の「大」。
中山道を歩く人々の遥拝の目標とされたらしい。
境内の案内によりと、境内から大の字まで50分。
大の字から当社の奥の院まで40分程度らしい。
昔なら奥の院まで登っていたはずだが、最近、体力の衰退を自覚しだしたので
今回の参拝では奥の院まで参拝していない。
今考えるとちょっと後悔。暖かくなったら登ってみたい。

白雲山を眺めながら参道を進むと朱塗りの立派な総門。
この総門は、かつて当社の別当であった石塔寺の仁王門だったもの。
総門から左手に参道を進み、階段を上ると銅の鳥居。
銅鳥居の扁額には「白雲山」とあった。

銅鳥居をくぐった右手に旧波己曽社殿。
宝暦六年、現在の妙義神社本社が建立された時に旧社殿を波己曽社としたもの。
以前はは、妙義神社本社社殿の右手にあったようだが、
昭和四十四年現在地に復元された。

参道をまっすぐ進み、さらに階段を上ると随神門。
随神門をくるぐと、石垣の上、垣に囲まれた境内があり、
中央部東側に唐門、南に南門、北に北門。
中央の唐門の奥に、復旧された当社の権現造の社殿がある。
黒を基調に金の細工や彩色された彫刻が美しい。

本殿の後方には天狗社が祀られ、天狗面が置かれていた。
また、本殿の右手(北側)にはいくつかの岩がある。
『日本の神々』には、境内に影向岩があると記されているが、この岩だろうか。
あるいは、境内右手の参道脇にある大岩のことだろうか。

長野に引っ越してのち、当社へも参拝したのだが、
その時はカメラを持参しておらず、近くなので、すぐに再訪するつもりだったが、
平成十九年九月の台風により、当社の社殿が被害を受け、
復旧工事が終了したのが平成二十四年十二月。
その一年後の年末に参拝してみた。

妙義の名は、後醍醐天皇に仕えた権大納言藤原長親がこの地に住み、
明々巍々たる山の奇勝から「明巍」と名付けたものが、
後世「妙義」へと変化したものらしい。

創祀年代は不詳。
一説には宣化天皇の二年、または欽明天皇の御宇の創建という。
あるいは、権大納言藤原長親による創設とも、妙義法師・法性房尊意の創建とも。

古くは波己曾明神と称し、
『三代実録』の貞観元年(859)三月二十六日に、
「授上野國正六位上波己曾神從五位下」とあり
『上野国神階帳』に「従二位 波己曾大明神」とある古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:54 PM

諏訪神社 (馬籠宿)

岐阜県の諏訪神社(馬籠宿) を掲載しました。

岐阜県中津川市にある。
観光地として有名な、中山道四十三番目の宿場馬籠宿にある。
といっても馬籠宿の中心は馬籠上、馬籠下らしく、
当社のある馬籠荒町は、少し離れた場所。
馬籠宿から北東へ進むと馬籠峠があり、峠を越えると妻籠宿がある。

以前は、馬籠も妻籠も長野県に属していたが、
馬籠のある山口村が平成十七年(2005)に岐阜県中津川市へ
県を超えて合併をしたので、現在は岐阜県。馬籠峠が県境となった。

馬籠宿には、島崎藤村生家跡の藤村記念館や、
古い石畳、枡形などが残っているらしいが、
観光客が多そうだったので僕は行っていない。

馬籠宿の中心から南西へ下る道に面して境内がある。
境内入口は北西向き。
参拝は晩秋、十一月の後半。紅葉が良い雰囲気だった。

入口の鳥居の脇には「村社諏訪神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると、木々の鬱蒼と茂った長い参道。
雨後の静かな参道を歩くと突き当たりに鳥居があり、
その鳥居をくぐると、少し広い境内で、奥に社殿。
社殿の向きは西向きになる。
拝殿は寄棟風、後方の本殿は流造だった。

残念ながら当社の詳細は未確認。

社伝によると、承平元年(931)、藤原伊房公により奉斎。
その後、子孫が代々神官を務めて来たという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:30 PM

前橋八幡宮

群馬県の前橋八幡宮を掲載しました。

群馬県前橋市にある。
前橋駅の北西1Kmほどの本町二丁目に鎮座。
西向きの境内は公園になっている。

石鳥居をくぐり参道を進むと左手に手水舎。
赤い灯籠が並ぶ参道を進み、階段を上るとコンクリートの社殿がある。
全体的に流造の構造の社殿だが、本殿が良くわからない。
ひょっとすろと、この社殿の中に安置されているのかもしれない。

市街地にある、初めて訪れる神社の場合は、
車で探すので、なるべく早朝、交通量の少ない時に参拝するが、
当社への参拝も11月後半の早朝、日の出前なのだ。

当社の正式名は「八幡宮」。ただ通称は前橋八幡宮と呼ばれており、
他の八幡宮と区別するため、当サイトでは前橋八幡宮としておく。

「前橋風土記」によると、貞観年間、在原業平の子孫である長野業重が、
京都の石清水八幡宮から勧請したという。
ただし、一説に「国府八幡宮」とも言われているようで、
創建は更に古いものとする考えもあるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:28 PM

八幡宮 (氷見市一刎)

富山県にある、八幡宮(氷見市一刎) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見駅の北西12Kmほどの一刎(ひとはね)に鎮座。
70号線から少し西へ入った場所に南向きの鳥居が立っている。

鳥居の脇に「八幡宮」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、なだらかな参道を上って行くと空き地のような境内。
境内の中央に瓦葺のどっしりとした拝殿があり、
拝殿の後方、斜面の上に本殿を納めた覆屋がある。

参拝は晩秋の晴天の日。
山深い山村の神社だけれど、綺麗に刈り取られた境内の草の緑と青い空が
晴れ晴れとした雰囲気で気持ちの良い神社。
ただ、『富山県神社誌』に載っている写真では、
社殿の周りに木々が茂っているので、整備された結果なのかもしれない。

創建年代は不詳。
『式内社調査報告』には当社の記載は無いが、
『富山県神社誌』によると、当社は式内社・草岡神社であるという。

終戦の年、「村が無くなるとも氏神遺せ」と、
九十余戸の山村だけれど、壮大な総檜造千鳥破風の現社殿を造営したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:19 AM