大岡神社跡 (豊岡市)

兵庫県の 大岡神社跡(豊岡市) を掲載しました。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・江原駅の北西13Kmほどの日高町大岡に鎮座していた。
482号線を西へ進み、大岡山(664m)の南麓から山頂へ進む。
大岡山の山頂はゴルフ場になっているようで車でも大丈夫らしいので登ってみた。

山頂へ上る道の9合目付近に、国の名勝に指定されている
旧大岡寺庭園があり、大岡神社はその大岡寺内に祀られていた古社。

昭和の初期に発行された『兵庫県神社誌』を見て訪れたが
戦後、山上の民家が山麓へ集団疎開し、
大岡寺も昭和四十二年に移築されたそうで、現在は庭園だけが残っており、
大岡神社も跡地を示す石碑だけが残っていた。

参拝した時には「廃絶してしまったのか」と思っていたのだが、
帰宅後に「平成祭データ」で調べると、
以下の住所に大岡神社という神社が存在しているようで、
大岡山東麓に遷座されたのかもしれない。
(兵庫県豊岡市日高町大岡字小田278-1)
あるいは大岡寺と同時に大岡寺内あるいは
近くに移築されているのかもしれないが調べていない。

次回、兵庫県に行った時に確認してみようと思いながら
数年経過したので、とりあえず、神社跡だけ掲載しておく。

『三代実録』に貞観十年(868)十二月二十一日、
「但馬國正六位上大岡神。左長神。・・・並從五位下」とある式外社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:17 午後

師岡熊野神社 (横浜市港北区)

神奈川県にある師岡熊野神社(横浜市港北区) を掲載しました。

神奈川県横浜市にある。
東急東横線・大倉山駅から東へ800mほどの師岡町に鎮座。
大倉山駅から東へ進み、新幹線の高架を越えて綱島街道へ。
綱島街道を200mほど北上すると右手に当社の社号標があったと思うが、
写真を撮っていないので自信がない。
とにかく、右手へ入って行くと、当社の社前に到着する。

社前(南側)には「いの池」と呼ばれる池があり、
中央部に水神社が祀られている。
この池は「い・の・ちの池」と呼ばれた三つの池の一つ。
「のの池」は当社社殿の後方にあり、神事などに用いられる。
「ちの池」は西500mほどの場所にあった溜池だが、
現在は埋め立てられて公園になっているらしい。

境内は南向き。鳥居の脇の社号標には
「聖武帝神亀元年創立 関東随一大霊験所 熊野神社」。
鳥居扁額には「関東随一大霊験所熊埜宮」とある。

階段を上ると社殿のある境内。
中央に入母屋造の美しい社殿。後方の本殿は覆屋根の下にある流造。
拝殿の扁額はよく読めなかったが、
「関東随一大霊験所熊埜三社大権現」と書かれているのだろうか。

社殿後方に、小さな「のの池」があり、
背後の丘には散策道「みくまの通り」がある。

資料には当社の社号は「熊野神社」とのみ記されているが
師岡町鎮座のため、師岡熊野神社を用いているようだ。
神社公式ページにも師岡熊野神社と表記されている。
通称は、おくまんさまと呼ばれているらしい。

社伝によると、第四十五代聖武天皇神亀元年(724)、
全寿仙人によって和歌山県熊野三社を勧請創祀された古社。

社前の由緒書きによると、
全寿仙人が当地で不思議な霊威を感じ、御神木梛の大木のうろで法華経を読み続けると
ある晩、夢枕に熊野大神が立たれ、そのお告げに従って大和国春日明神に参籠。
神霊を感得してこの地に帰り、熊野大神を祀ったとある。

仁和元年(885)七月、光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が当地に下向し、
「関東随一大霊験所熊野宮」の勅額を賜わり、
以後、宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられたという大社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:38 午前

諏訪神社 (箕郷町東明屋)

群馬県の諏訪神社(箕郷町東明屋)を掲載しました。

群馬県高崎市にある。
信越本線・高崎駅の北西12Kmほどの箕郷町東明屋に鎮座。
榛名山の東南麓、長野氏の居城・箕輪城跡の南東に境内がある。

小学校の北、26号線が二股に分かれる場所に、
東向きに境内入口があり、参道入口は26号線に面している。
参道を歩くと石鳥居があるが、扁額には「満行宮」とある。
満行宮は榛名神社の別名だが、当社には村内にあった榛名神社が合祀されており
その当時の鳥居を移築したものだろうか。

参道を進み、道路を横切ると境内入口。
「諏訪神社」と刻まれた社号標が立っており、
境内入口の石鳥居には「諏訪大明神」。
鳥居をくぐり参道を進むと、社殿のある境内。
中央に拝殿があり、拝殿の後方、斜面の上に本殿の覆屋がある。
覆屋内の本殿は文政五年の建造物で優れた彫刻があるらしい。

拝殿の右手奥に、「榛名神社」と刻まれた石碑がある。
榛名神社を合祀した記録なのだろう。
拝殿の左手に鳥居があり階段を上ると、
本殿の横に小さな石祠に祀られた天満宮がある。
その鳥居の左手に「石上神社」と刻まれた大きな石碑がある。
これは石上神社を合祀した記録だろう。
石上神社の隣りに小さな石祠があるが、稲荷社だろうか。
境内や参道には、他にも「秋葉大権現」「御嶽山大神」などの石碑や、
いくつかの石祠が祀られており、可愛い夫婦の道祖神もある。

創祀年代は不詳。
境内の由緒書きによると、箕輪城落城後に当地に勧請された旧村社らしい。
ということは戦国時代から江戸初期の創祀ということだろう。

同じく由緒書きによると、当社に合祀されている石上神社は
『上野国神名帳』に「従四位下 石神明神」とある古社。
箕輪城の鬼門寺で、在原業平の創建とも伝えられる石上寺の鎮守として、
貞観十六年、大和国山辺郡石上神宮より布瑠明神(石上神)を勧請したもの。
明治維新後、神仏分離により石上寺境内の外に祀られていたが
太平洋戦争後、当社・諏訪神社に合祀されたらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:01 午前

松原諏方神社 (松原湖)

長野県にある、松原諏方神社(松原湖) を掲載しました。

長野県の小海町にある。
小海線・松原湖駅の南西2Kmほどの松原湖畔に鎮座。

松原湖は、西から大月湖、猪名湖、長湖と並ぶ三つの湖の総称だが、
一般には、一番大きな猪名湖のことを松原湖と呼ぶ。
標高1123mにある湖で、八ヶ岳の爆裂で生じた
丘陵窪地に大月川が氾濫して生成されたもの。
猪名湖の周囲は1.98Kmほどあるらしい。

その猪名湖の南西、480号線に面して東向きに境内入口がある。
参道に木製の両部鳥居があり、道祖神を祀る御神木を通過すると
湖に面して西向きの境内がある。

階段を上ると堂々とした大きな入母屋造の拝殿。
拝殿の後方には流造の本殿がある。
信州の諏訪社なので、拝殿の斜め前には一本の御柱が立っている。

鳥居や拝殿の扁額には「松原諏方神社」とあるが、
資料には「諏訪社上下二座」とあり、それが正式名なのかもしれない。
「上下二座」とあるように、諏訪湖の諏訪大社同様、
松原湖の南に当社・上社があり、北岸に下社が鎮座している。

社伝によると、下社は神功皇后の御宇、上社は天智天皇の御宇の創祀。
御霊代には天慶二年(939)八月十五日の文字があり、
その頃に、当地の伴野氏が創建したとも考えられている。

松原湖には、以下のような畠山重忠の龍伝説がある。

昔、源頼朝がらい病にかかった時、
龍の生胆を飲めば良いという神のお告げが夢に現れ、
頼朝は畠山重忠に龍の生胆を取って来いと命じた。

どこで手に入れれば良いかと、重忠が途方にくれていると、
「信州松原湖にすむ龍の生胆を取るが良い」と、ある夜の夢のお告げがあり
すぐに松原湖に出かけて行くと、松原神社から弁天島へ下る大弥太坂で母と行き合った。

重忠が母に頼朝の命令の話をすると、
「私が湖中にはいって蛇体となるから肝を取って主君に奉れ」といって入水し、
たちまち水面に水柱が立ち、大蛇が姿を現した。

重忠は、今はもう躊躇する時ではないと決意し、
ついに龍を殺して生胆を取り、頼朝に献上した。
頼朝の病気はたちまち治ったので、
湖畔の神光寺の境内に重忠の母のために五重塔を建てて供養したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:11 午後

若雷神社 (横浜市港北区)

神奈川県にある若雷神社(横浜市港北区) を掲載しました。

神奈川県横浜市にある。
横浜市営地下鉄・新羽駅の北1,5Kmほどの港北区新吉田町に鎮座。
新羽駅から北上すると、参道入口の鳥居が見える。

南向きの石鳥居の左脇には「若雷神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を進むと、もう一つの鳥居があり、階段を登る。
社殿のある境内は丘の上にあり竹や木の茂る参道は良い雰囲気。
だけど、丘の上は住宅地になっており
参道の印象とは全く異なって明るい境内がある。

参道は南向きだったけど、丘の上の境内は東向き。
入口には大きな新しい社号標が立ち、鳥居をくぐると明るい砂利の境内。
鳥居の近くに綺麗な楕円形の石があり「龍玉石」と刻まれていた。
(草書なので違うかもしれないが)力石だろうか。

境内の参道正面に瓦葺切妻造平入の赤い拝殿があり、
拝殿の後方には流造の本殿。
社殿はともにコンクリート造のようだ。
拝殿の由緒書きによると、寛政十年建立の本殿が老朽化したため、
昭和四十七年三月に本殿を内蔵した新本殿を再建したとあるので
現在見えている本殿は、木造本殿を納めて覆屋なのかもしれない。

社殿の左手に赤い鳥居があり、奥に「伏見稲荷分神」とある稲荷社、
右手にはオレンジ色の鳥居があり、奥に春日神社が祀られている。
由緒書きによると、この春日神社は当社勧請以前に、
京都の吉田神社から勧請されたもので、鎮座地の吉田の起源となっているらしい。

社伝によると、人皇五十六代清和天皇の御代、
山城国上賀茂神社の賀茂別雷神を勧請した古社で、
『三代実録』貞観六年七月廿七日に「武藏國從五位下若雷神從五位上」とある式外社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:10 午後

咲前神社 (安中市)

群馬県の咲前神社(安中市)を掲載しました。

群馬県の安中市にある。
安中駅の南西5Kmほどの鷺宮に鎮座。
安中駅と磯部駅の中間あたりに、道路に面して東向きの境内がある。

境内入口には赤い鳥居。
鳥居の左脇に、嘉永二年に建立された、
当社宮司による「登志月の先へまわりぬ初霞」という詩を刻んだ句碑がある。

鳥居をくぐり参道階段をのぼると砂利の境内。
参道の右手に手水舎があり、参道を進むと左手に神楽殿。
小祝神社から伝えられた安中市重要無形文化財の太々神楽が奉納されるらしい。

参道の正面には、瓦葺入母屋造平入りの拝殿があり、
拝殿の後方に銅板葺流造の本殿。
本殿の後方に回ると、狛犬らしきものが置かれていた。
原形を留めないほど風化しているので、古いものなのだろう。

参拝は天気の良い晩秋の十一月。
七五三の季節で、休日には多くの参拝客が訪れるのだろう。
境内には休憩用の日除けテントとベンチが置かれていた。

『上野国神名帳』に「従五位上 咲前明神」とある古社で、
「咲前」の社号は抜鉾神社(一の宮貫前神社)の旧鎮座地(前宮)と伝えられるため。

神代の昔、経津主神が建御名方神を追って、
上野・信濃両国の境である上州下仁田の荒船山に御出陣の際、
当地(鷺宮)に宿陣されたと伝えられている。

社殿の右手に、境内社の絹笠神社。
同じ社殿内には金刀比羅神社も祀られており、男根形の奉納品が並んでいた。
当社には白いヘビがいると云われ、
白いヘビを拝んで借りて帰ると「蚕が当たる」という信仰があるらしい
白いヘビは蚕の神様らしい。蚕を食べるネズミの天敵だからだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:21 午前