手向神社 (氷見市)

富山県にある、手向神社(氷見市) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見駅の南2Kmほどの柳田に鎮座。
415号線に面して、南西向きに境内がある。

参拝は10月の早朝。日の出の頃。
鳥居をくぐり境内に入ると、社殿の灯りがオレンジ色に灯っていた。

鳥居の右手に「手向神社」と刻まれた社号標。
参道の右手には手水舎があり、左手に境内社。
『平成祭データ』には摂末社として金比羅社(崇徳天皇)の名が載っているが、
『富山県神社誌』では本殿の祭神として記されている。

参道を進むと、堂々とした社殿。
瓦葺入母屋造の拝殿があり、拝殿の後方の本殿は覆屋の中。
拝殿の扁額には「手向神社熊㙒宮」とあるが、
かっては熊野社とも荊宮(いばらのみや)とも称されていたらしい。

創祀年代は不詳。
『三代実録』に、元慶二年(878)五月八日、
「授越中国正六位上手向神従五位下」とある古社。

『富山県神社誌』によると、元来、手向の神というのは、
開道の時に熊野大神に手向け給えた時の御名であるとあり、
万葉集の「多麻保許乃美知能可未多知麻比波世牟
(たまほこのみちのかみたちまいはせん)」は、
越中の美知能神(道の神)が手向けした神徳を詠ったものという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:13 午後

小祝神社 (高崎市冷水町)

群馬県の小祝神社(高崎市冷水町)を掲載しました。

群馬県高崎市にある。
高崎駅の北10Kmほどの冷水町に鎮座。
25号線を北上し、染谷川を越えて西へ200mほど入り南下すると
染谷川を渡る橋の手前、東側に境内、というか石祠がある。

橋の西側には、綺麗に整備された「おぼりの森公園」があり、
数台だが駐車スペースもある。
この「おぼり」の名は当社社号の「小祝」と書くのだろう。

『式内社調査報告』には、
「冷水町字川窪」「染谷川左岸低地」にあると記されていたので、
この「おぼりの森公園」にあるものと思い込み、
公園の周囲や、川沿いの小道を歩いて探してみたが見当たらず、
公園の北にある大日堂の周囲を探し、
最後に、道路の東側を見ると石祠があった。

雑草の茂った低地に石祠があり、
石祠の前面左側に「小祝神」、
右側には「妙見堂乳母神」と刻まれていた。

創祀年代は不詳。

『式内社調査報告』の式内社・小祝神社の項によると、
上野国神名帳に、「小祝」と称される神社が三社あり、
一つは「従一位小祝大明神」で、高崎市石原町鎮座の式内社・小祝神社。
一つは、「従三位息災寺小祝明神」とある社で、息災寺(現在の妙見寺)の鎮守神。
最後の一つが、「従四位上小祝明神」とある、当社であるという。

妙見寺の由緒書によると、花園星神記に
和銅七年秋、上野大掾忠明という人が妙見寺に来て一宿、
夜半目覚めて庭に出ると乾(北西)の方に光明が立ちのぼった。
不思議に思って侍臣を遣して調べると冷水村の小祝池からと判った。
そこで水底をさぐらせると、目が赤く首の白い不思議な亀を得た。
忠明は早速、時の帝に献じたところ大変喜ばれ
和銅七年九月二日、年号を霊亀と改めたという



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:18 午後

稲含神社 (下仁田町・甘楽町)

群馬県の稲含神社(下仁田町・甘楽町)を掲載しました。

下仁田町栗山 稲含神社
甘楽町秋畑 稲含神社

群馬県の甘楽郡にある。 下仁田町と甘楽町にまたがって聳える
稲含山(1370m)の山上に鎮座。
山頂の少し下、下仁田町側と甘楽町側に二つの稲含神社社殿がある。

創祀年代は不詳。
登山道にあった由緒石碑では、第二十九代欽明天皇の御代、
秋畑稲含神社境内の案内では、第二十八代安閑天皇の御代の創建とある。
(実際は、安閑天皇は第二十七代なので誤記だと思う)

『三代実録』に元慶四年五月二十五日、
従五位下を授かった稲褁地神とある国史見在社。
『上野国神名帳』の一之宮貫前神社所蔵本に「正一位 稻含大明神」とある古社。
ただし、『上野国神名帳』の他の写本にはこの記述は無い。
貫前神社所蔵本にのみ記されているのは
貫前神社との関係が深かったからかもしれない。

境内の案内板によると、祭神は豊稲田姫。
印度から来て、養蚕や稲作を日本に広めた女神であるという。
豊稲田姫は名前から、稲作の神と考えられ
宇迦御魂神、豊宇気毘売神、倉稲魂神、保食神、御食神などと同神と思われる。

豊稲田姫は、日本に稲の種子を持ってくる時に、
口に含んで隠して持って来たことから、稲含山の名となったようだ。

秋畑の稲含神社では、太々神楽が奉納される。
この神楽は、安政年間(1854~1859)、稲含神社の領有をめぐり、
下仁田町栗山と争った結果、秋畑が勝ったことを祝って奉納したのが始まりらしい。
ただし、稲含山山頂は下仁田に所属している。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:27 午後

榛名神社 追記

群馬県の榛名神社の古社地との伝承がある椿名神社跡に行って来たので追記。
榛名神社


『式内社調査報告』によると、
箕郷町西明屋に鎮座していた椿名神社は、
当社・榛名神社の古社地であるという伝承があるらしい。

昔は鬱蒼と木々が茂ったであろう丘の上には、
今は何も残っていないが、仏塔や石碑などが周囲にある、



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:22 午後

蓼科神社里宮 (立科町)

長野県にある、蓼科神社里宮(立科町) を掲載しました。

長野県の立科町にある。
立科町役場の南2Kmほどの芦田に鎮座。
芦田川に沿って40号線を南に進むと、
道路の右手に境内入口の鳥居が立っている。
『平成祭データ』には、字高井とあるが、他の資料には古町。
芦田川対岸に芦田城跡がある。

数段の階段を上ると、右手に「蓼科神社」、
左手に「立科嶽里宮」と刻まれた社号標が立っている。
当社は、南20Kmほどに聳える蓼科山(2530m)を祀る里宮。
蓼科山山頂には奥社があるらしい。

鳥居をくぐると右手の木の根元に高井稲荷の小祠。
広い草の参道を進むと、左手に巨大な神代杉(高井杉)が立っており
参道脇には水神などの石碑や石祠があって
参道突き当たりの森の入口に狛犬。

社域の森に入ると、参道階段が上に延び、
階段下両脇に、天満宮と愛宕神社が祀られている。
階段の手前に八角形の石が置かれているが、旧本殿跡らしい。

階段を上ると、冠木鳥居があって、やや寂れた印象の境内。
境内奥、階段の上に社殿がある。
拝殿は入母屋造。背後の本殿は流造だが、覆屋の中にある。

境内の左手に赤い橋があり、奥に天照皇大神宮が祀られている。
境内の後方に道路があり、道路の向こうに
「蓼科神祠碑」と刻まれた社号標と古木の焼け残りがある。
道路から境内に入ると、社名のわからない境内社が一つ。
祠の前に割れた石の扁額の下の部分が置かれており「見神社」とある。
もとは「妙見神社」と刻まれていたのだろうか。

当社社号の「蓼科」は、町名にもなっている「たてしな」と読むが、
『明治神社誌料』などには「たでしな」となっている。
また、『日本の神々』には、明治八年「蓼科神社」と改称し、
現在は立科神社と改めたとあるが。

創祀年代は不詳。
社伝によると、蓼科山の奥社は、日本武尊東征の頃から祀られているという。
また、里宮は推古天皇十二年の奉祀と伝えられている。

三代実録に「陽成天皇元慶二年七月十六日
信濃國正六位下蓼科神授従五位下」と記されている国史見在社の式外社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:02 午前

宮津八幡宮 (魚津市)

富山県にある、宮津八幡宮(魚津市) を掲載しました。

富山県魚津市にある。
魚津駅の南4Kmほどの宮津に鎮座。
角川に沿って33号線を南下し、宮津で東側、集落の奥に入った場所。
北陸自動車道の有磯海SA(下り線側)の近くに境内がある。

当社に到着したのは日の出前で真っ暗だったので有磯海SAでしばし休息。
有磯海SAの脇に駐車場があり、SA内に車は入れないけど外からも利用できる。
車の中で仮眠し、少し明るくなった頃に境内に戻ったが、
雨と風が激しくなって、雨に濡れながら参拝。
写真では明るく見えるけど、まだ外灯が灯っている時刻。

境内入口の鳥居の脇には「村社 八幡宮」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると砂利の境内で、境内を囲う垣などは無く
オープンな雰囲気の神社。
拝殿は瓦葺入母屋造。拝殿の扉は黒色で、
瓦も雨に濡れて良い感じに黒光りして美しい。

拝殿の扁額には「加積郷總社 正八幡宮」とあるが、
当社の正式名は、社号標にあった「八幡宮」のようだ。

宮津に鎮座しているので、通称が宮津八幡宮。

創祀年代は不詳。
往古より、新川郡加積郷の総社として崇敬された古社。

現在の魚津市、滑川市、上市町の一部を含む加積郷の守護神・加積神を祀り、
「三代実録」に清和天皇貞観十五年(873)十二月、
従五位下を叙されたと記されている、国史見在社である式外社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:51 午後