白鳥神社 (松代町)

長野県にある、白鳥神社(松代町) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野電鉄屋代線の松代駅から南へ2Kmほどの松代町西条に鎮座。
388号線を南下し、青垣公園付近で東へ入ると警察学校があるが、
境内入口は、警察学校の裏側(南側)。
ノロシ山(844m)の北麓に境内があり、入口は北向き。

鳥居の右脇に「白鳥神社」と刻まれた社号標が立っており、
約300mの参道の坂道を上る。
警察学校の裏にあるので、セキュリティーは万全だな、
などと考えながら登っていたが、
この300mが、運動不足の身体にはしんどかった。
参道には、30mごとに杭があり、その杭を数えながら登って行く。

参道を上りきって左を向くと、斜面に西向きの社殿。
参道をまっすぐに進むとノロシ山登山口がある。

境内には朱の両部鳥居が立っていて、階段を上ると惣門。
垣に囲まれて拝殿があり、拝殿の後方、高い場所に本殿がある。
残念ながら惣門が閉まっていたので、
社殿に近づくことは出来なかったが、拝殿は瓦葺入母屋造。
本殿も瓦葺で、大きな流造のような感じだった。

社殿は大きくて荘厳なのだが、
あまり参拝客の来るような神社ではないのは、
あの参道のせいかもしれない。

社伝によると、寛保元年(1624)の創祀。
松代初代藩主である、真田信之が上田から松代への移封にあたり
崇敬していた海野郷の白鳥神社を勧請したもの。

伝説によると、
真田信之の駕籠の上に白い鳥が舞い降りて、
信之と共に松城へ移りたいと訴えたとあり、
鎮座地の名は舞鶴山という。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:14 午前

意布伎神社 (久美浜町三分)

京都府の 意布伎神社(久美浜町三分) を掲載しました。

京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・丹後神野駅の東2Kmほどの三分に鎮座。
178号線の平田交差点付近から668号線へ入り、
佐濃谷川を越えて集落に入って、ウロウロしていたら到着した。

境内入口は西向き。
数段の階段を上ると鳥居が立っており、
鳥居の左手に「式内意布伎神社」と刻まれた社号標。
境内の右手には、三分公民館がある。

鳥居をくぐり石畳の参道を進むと、
正面に当社の社殿。拝殿は入母屋造瓦葺で、
拝殿の後方、廊下の奥に、覆屋に入った本殿がある。
この本殿は明治二十二年に改築したものらしい。
拝殿から覗くと、本殿の扉は確認できるが
屋根の部分が見えないので、本殿の形式は確認できなかった。

本殿の左右に境内社が一ずつあり、
左が住吉神社(上筒男命 中筒男命 底筒男命)、
右が稲荷神社(倉稻魂命)。

境内の左手の林の中に境内社が散在。
各祠にちゃんと名札が付いていた。

参拝は午前中だったため、逆光の中の参拝。
眩しくて仕方なかった。
午前中は東向きの神社に参拝すれば良かった。

創祀年代は不詳。社伝によると、
垂仁天皇の御代、丹波道主命によって勧請された古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:41 午後

吉野山口神社・高鉾神社

奈良県の 吉野山口神社・高鉾神社 を掲載しました。

奈良県の吉野町にある。
近鉄吉野線・大和上市駅から北東へ5.8Kmほどの山口に鎮座。
竜門岳(904m)の南麓、津風呂湖の北に境内がある。

境内入口は、28号線から一本北へ入った道に面して南西向き。
旧伊勢街道と竜門滝への道の岐路に立つ。
入口の左脇に「龍門滝」と刻まれた石碑があり、
社前の左の道を進むと、竜門滝があるらしい。

鳥居の右手には「式内 高鉾神社 吉野山口神社」と刻まれた社号標。
当社は式内社・吉野山口神社境内だが、
式内社・高鉾神社を境内に遷座した、二社並立の神社。

鳥居をくぐり参道を進むと、
割拝殿のような大きな拝殿がある。

境内には何基もの灯籠が立っているが、
参道左の灯籠には「天満宮」、右の灯籠には「高鉾社」と刻まれている。
また、拝殿前の二基の灯籠にも「天満宮御宝前」「高鉾社御宝前」とある。
この二基の灯籠は、紀州藩主であった徳川吉宗が
参勤交替の長途の安全を祈って寄進したもの。
代々の紀州藩主は、参勤交替のおりに必ずこの宮に参詣したらしい。

拝殿の後方には、吉野山口神社の本殿が鎮座。
極彩色の春日造の本殿が、石垣の壇上、透玉垣の中にある。

その本殿の右手奥には、高鉾神社の本殿。
吉野山口神社本殿と同規模の社殿で、造りも似ている。

吉野山口神社本殿の左には、意賀美神社。
元は竜門滝の脇にあったらしく、八大龍王、あるいは闇淤加美命を祀る。

境内の神宮寺本地堂跡には、素盞鳴尊を祀る牛滝社がある。

竜門岳山頂に嶽神社が祀られており、
高鉾神社の本宮、あるいは元宮と呼ぶ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:07 午後

伊勢社 (長野市高田)

長野県にある、伊勢社(長野市高田) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野駅の東3Kmほどの高田に鎮座。
58号線から少し南に入った場所。小学校の向い(西)に境内がある。

参道入口は道路に面して東向き。
50m以上ある狭い参道を進むと、木々に囲まれた境内。
境内入口には、金属製の鳥居が建っており、
扁額には「伊勢社」とある。

鳥居をくぐり境内に入ると、広くて明るい砂の境内。
鳥居正面、境内の西奥に当社の社殿。
拝殿は赤い屋根の大きな入母屋造。
背後の本殿は、同じく赤い屋根の神明造。
本殿の千木は、内宮と同じ内削ぎ。

境内左奥に二斗八升神社という祠がある。
二斗八升神社の創祀は延宝年間。
当時、海津城主の政治は非常に過酷で、
民百姓は籾俵に付き三斗という重い年貢に苦しんでいた。
農民たちは何度も減免を願い出たが聞き入れられず、
各地の名主は善光寺境内に集まって協議。
助弥は一身を投じて善光寺平の百姓を救うことを決意し、
中心となって幕府へ直訴した。

直訴の首謀者として捕えられた助弥は、
最後に「二斗八のお許しあれば、至上の喜び也」と言い残して
鳥打峠の刑場にて首をはねられた。享年十八歳であったという。

その結果、幕府を事情を調査し藩主へ減免を命じ、二斗八制となったという。

善光寺平の人々は助弥に感謝し、「二斗八様」として密かに信仰し、
郷里の高田村の伊勢社に祀ったが、
公儀をはばかって天神社と称するようになった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:03 午後

頤氣神社 (松代町)

長野県にある、頤氣神社(松代町) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野電鉄屋代線・松代駅の北1Kmほどの西寺尾に鎮座。
上信越自動車道の長野I.C.の西、35号線を越えて数百mの場所。

境内入口は、南西側。
道路に面して入口があり、少し奥に木造の鳥居が建っている。
入口の右脇には「延喜式内頤氣神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると、細く長い境内。
入口から社殿まで100m近くあるかもしれない。そんな境内。

境内には、多くの石祠や石碑が祀られている。
石祠の詳細はわからないが、
石碑には、水神、山神、庚申などと刻まれている。

境内の中程、右手には古峯神社(日本武命)。
少し進んだ左手には農産神社(保食神 大宜都比賣神 和久産巣日神)。
さらに進むと、当社社殿が鎮座。

拝殿は、入母屋造平入の堂々とした社殿。
拝殿の後方、石組の上には流造の本殿がある。
社殿の左右には、信濃の神社らしく御柱が建てられている。

本殿の左手に、境内社のものらしき石鳥居が建っており、
本殿の左右にも境内社の祠があるが、社名は未確認。
資料には、天神社(菅原道眞)があるらしいのだが。

参拝は、晴天の秋の午後。
日射しが強くて、砂地の境内がちょっと眩しかった。

以前は諏訪大明神とも称された神社。

現在の社号の頤氣神社は、「いけじんじゃ」と読むが、
一般には「いきじんじゃ」と呼ばれているらしい。
更級郡池郷鎮座の式内社・頤氣神社の論社の一つ。

祭神の池生神は、諏訪明神の御子神十三柱の一柱。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:18 午前

御門主比古神社 (羽咋市)

能登の御門主比古神社(羽咋市)を掲載しました。

石川県羽咋市にある。
金丸駅の南東3Kmの大町に鎮座。
159号線バイパスから西へ200mほど入った場所に境内がある。
こんもりと茂る木々と大きな鳥居が建っており、
遠くからでも、位置はよくわかる。

境内入口、鳥居の脇に「延喜式内御門主比古神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると、よく整備された参道が延び、
参道の正面に大きな社殿がある。

拝殿は入母屋造、瓦葺で、北陸の神社らしく、
周囲に雪囲いの板が貼られている。
拝殿の後方に、瓦葺の本殿覆屋があり、本殿はこの中。
『式内社調査報告』によると、本殿は杮葺流造らしい。

参拝は休日の朝。
境内では、氏子の方々が掃除中だったので、
邪魔にならないように、急いで参拝した。

創祀年代は不詳。

御門主六所大明神と称された神社で、
式内社・御門主比古神社の論社の一つ。

往古は、東南3Kmにある鉾ケ峰の宮山に鎮座していたが
山崩れにより社殿流出し、現在地に遷座したという。

旧鎮座地の宮山にはメオト石と呼ばれる巨石があり、
これが御門石らしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:52 午後