今城青坂稲實池上神社 (上里町忍保)

埼玉県の 今城青坂稲實池上神社(上里町忍保) を掲載しました。

埼玉県の上里町にある。
高崎線・神保原駅の北1.5Kmほどの忍保(おしぼ)に鎮座。
駅前の道を北上し、17号線を越えて突き当たると石神社があり、左手の道を進むと当社の社域の杜に到着する。杜の前に社号標が立っており、入口には石の鳥居。

鳥居をくぐり木漏れ日の中の参道を進むと社殿のある境内。
左手に手水舎があり、赤い両部鳥居が立っている。
鳥居の扁額には「延喜式内 今城青坂稲實池上神社」とあるが、「坂」の土偏が師の偏となっており「阪」に近い文字。こういう文字があるのだろうか。

その鳥居をくるぐと正面に社殿。拝殿は瓦葺入母屋造で、後方の本殿は覆屋の中。

参拝は四月の後半。早朝日の出の頃。朝日が射し込む、清々しい境内だった。

創立年代は不詳。社伝によると和銅四年(711)勧請の古社で忍保庄の総社。
式内社・今城青坂稲實池上神社の論社の一つ。今城青坂稲實池上神社の論社は多いが、鎮座地の小字が稲実であり当社は有力な論社とされている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:21 午後

畠田神社 (明和町)

三重県の畠田神社(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北6Kmほどの中村に鎮座。
23号線中村3交差点から北に入った中村集落の北東隅に境内がある。

境内入口は南東向き。
入口の正面に神宮遥拝所の石が祀られ、その近くに「式内畠田神社」と刻まれた社号標が北向きに立っている。

数段の階段を上ると鳥居があり、鳥居の奥が境内。境内社殿の前にも鳥居があり、境内左手に手水舎。右手には横向きに祖霊社が祀られている。

拝殿は切妻造平入だが左右に突き出して二重になっており、前面には千鳥破風がせり出したような構造。後方の垣の中には神明造の本殿がある。

創祀年代は不詳だが、式内社・畠田神社三座に比定される古社。

『三重県神社誌』によると、平安時代には当地周辺は藤原と称し、一所に三座並立に祀られていたが、吉野朝時代に伊勢国司北畠顕能卿が藤原を、南藤原・中藤原・北藤原の三村に分離。畠田神社三座も三村に分祀されたという。

明治三十九年十二月二十五日、神饌幣帛料供進社に指定され、明治四十一年四月一日、北藤原の畠田神社に境内社八幡社ほか中村の畠田神社、南藤原の畠田神社など旧下御絲地区(中村、北藤原、南藤原、川尻、内座、養川、田屋、志貴、八木戸、濱田、根倉)の二十四社を合祀し、畠田神社と単称。同年十月十日、中村の畠田神社旧社地に遷座し、現在に至る。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:39 午後

石田神社舊跡 (明和町)

三重県の石田神社舊跡(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。近鉄線斎宮駅の北6Kmほどの養川(ようかわ)に鎮座。23号線養川交差点から707号線を北へ400m入った場所、707号線の西側にある。

東西に長い敷地の西奥に石組があり、その上に「石田神社舊跡」と刻まれた石碑が立っている。当地は、現在中村鎮座の畠田神社に合祀されている石田神社の跡地。

石田神社の創祀年代は不詳。一説には、人皇六十八代後一条天皇の御宇、萬寿二年(1025)十一月二十二日、熊野三所権現を勧請したという養田村(現在の養川)の産神で、熊野三所権現、十二社権現とも称されていたらしい。

明治三十八年十二月十八日、無格社宇気比神社および天神社を合祀。明治四十一年三月二十七日、北藤原鎮座の畠田神社に合祀され、同年八月十三日、その畠田神社は中村へ遷座した。

当社は式内社・石田神社の論社だが、異説も多い。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:47 午前

宇留布都神社古社地 (明和町)

三重県の宇留布都神社古社地(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北6Kmほどの内座に鎮座していた。
23号線の養川交差点から北へ600mほど、小学校の北、幼稚園の横にある。

現在は宇呂豆の大日堂と呼ばれる小さなお堂が立っている。

『式内社調査報告』によると、当地には昔、式内社・宇留布都神社が鎮座していたという。

城主北堂左京大輔崇敬の神社で、元享年中(1321~1324)当地の東200mほどの自然堤防の上に遷座された。

また、弘仁年間(810~824)、空海がこの地に立寄り当社祭神の大日孁命の本地仏として大日如来を刻み、一寺を建てて奉安したという。

保元年間(1158~1159)に兵火にかかり焼失。江戸時代、里の西方大日山(現在地か)に一宇を建て、江戸末期頃に金剛界大日小像を祀ったという。

宇留布都神社は後に八王子社となり、慶応四年、宇気比神社と改称。明治五年、村社に列し、明治四十一年、北藤原鎮座の畠田神社に合祀され、合祀時点の古社地は田圃整備で消滅した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:45 午前

御山御前神社跡地 (明和町)

三重県の御山御前神社跡地(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北7Kmほどの濱田に鎮座。
祓川の右岸、河口部近くの濱田集落の西側、「浜田公民館」の南にある。

『式内社調査報告』によると、畠田神社に合祀された式内社・守山神社の論社である御山御前神社は、かつて濱田に鎮座しており、古社地に山神が祀られているとあったので、同書の地図の印の位置に行ってみた。

方形の石台の手前に数段の階段があり、「山神」と刻まれた石碑が数本。
いくつかの灯籠の残骸があり、奥の木の根元にも石碑があるが、摩耗してよく読めなかった。

たぶん、ここが御山御前神社の古社地だと思うが、他の畠田神社に合祀された神社の古社地のような案内板や石碑が立っておらず、周囲に話を聞ける人もいなかったので、確証は無いのだが。

御山御前神社の創祀年代は不詳。
当地は『神鳳抄』に「外宮領濱田御薗」とある地。
御薗や神田があり、漆や桑の木の森林があり、漆液や桑の葉などを献上していたという。

その森林を神山、御山と呼び、その守護神として山神が祀られ、江戸時代には守山神社、俗に御山御前と呼ばれていたようで、式内社・守山神社の論社となっている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:03 午後

伊呂上神社舊跡 (明和町)

三重県の伊呂上神社舊跡(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北7Kmほどの八木戸に鎮座。
23号線行部2交差点から北に入った場所、伊勢湾に流れる笹笛川の河口付近、八木戸橋の東詰にある八木戸集落にある。

当地は、現在中村鎮座の畠田神社に合祀されている伊呂上神社の跡地。
八木戸の南側にある公園の奥に「伊呂上神社舊跡」と刻まれた石碑が立っている。

伊呂上神社の創祀年代は不詳。
明治までは八王子社と称された八木戸村の産土神。
明治四十一年三月二十七日(あるいは四月一日)、北藤原鎮座の畠田神社に合祀され、同年八月十三日、その畠田神社は中村へ遷座した。

伊呂上神社は式内社・伊呂上神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:46 午後