磐梯神社 (磐梯町)

福島県にある 磐梯神社(磐梯町) を掲載しました。

福島県の磐梯町にある。
猪苗代湖の北西、磐梯山の南西麓。
磐越西線・JR磐梯町駅の北2Kmほどにある
磐梯八幡の並杉地区に鎮座。
史跡慧日寺跡のはずれに境内がある。

7号線にある道の駅ばんだい近くに北へ入る道があり
北上すると平成二十年に復元公開された慧日寺金堂。
金堂の手前で東へ入って行くと、仁王門があるが
その道をずっと東方向へ行くと当社境内の前に到着する。

車を停めて参拝しようとしたら、
「クマ出没注意」の看板があったので
周囲に注意しながら、参拝開始。

境内入口は南向き。鳥居の扁額に「磐梯神社」と書かれ、
鳥居の左手に自然石に「郷社磐梯神社」と刻まれた社号標があり
鳥居の右手にも加工した石の社号標。
その社号標の後方には、磐に注連縄された磐座がある。

鳥居をくぐると広い境内。この境内は、
慧日寺跡の史跡整備事業で平成十二年に移築整備されたもの。
境内の奥(北側)に、その頃新築された社殿がある。

拝殿の右手に守札所・社務所があり渡り廊下で拝殿と繋がっている。
拝殿の扁額には「磐梯大神」。
拝殿の後方には、流造の立派な本殿がある。

参拝は、東日本大震災から三カ月経過した六月。
猪苗代湖ズの『I love you & I need you ふくしま』を聞いて
久しぶりに猪苗代湖を見に来た帰りに参拝。
郡山の近くで車中泊し、日の出直後にやって来たので
慧日寺金堂はまだ開いていなかった。

早朝で曇天だったため、写真はくすんだ色になってしまった。
晴天の明るい日なら、復元された金堂の朱も緑の芝生も、
もっと美しく撮れたかもしれない。

社伝によると、
平城天皇大同二年(八〇七)二月十三日の勧請。
『明治神社志料』には式内社・磐掎神社であると記されている。

境内の碑文によると、
慧日寺(恵日寺)の守護神として奥宮に祀られたとあるが、
本来は磐梯山山頂に本社があり、当地に遥拝所が作られたのだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:03 午後

籔田神社 (南丹市)

京都府の 籔田神社(南丹市) を掲載しました。

京都府南丹市にある。
亀岡市との境からすぐ北の園部町南大谷に鎮座。
亀岡駅の北西14Kmほどの位置で、
372号線から少し西へ入った場所。

古代山陰道の野口驛の近くに、
丹波国府から篠山盆地へ向かう街道の要衝にあり
付近には古墳や中世荘園の野口荘がある。

境内は南西向き。
「したひの森」とも呼ばれる森の中に境内がある。
石垣の参道を進むと境内鳥居。
鳥居の奥に拝殿。
拝殿の後方に流造の本殿を納めた覆屋がある。
現在の本殿は江戸時代に再建されたものらしく
それ以前の本殿は、当社の西300mの普済寺付近にある
天満宮の社殿になっているらしいが、見ていない。

本殿の左手に、本殿と同規模の境内社がある。猿田彦神社のようだ。

その猿田彦神社と本殿の中央に磐座らしき石があるが
『式内社調査報告』には、何も記されていなかった。

志多非(したひ)の森にあり、鎮座地は、かつては志多樋といい
志多樋神社とも称された神社で、
式内社・志多非神社に比定されている古社。

現在の祭神は、月讀命・伊邪那岐命・須佐之男命だが
昔は猿田彦命であったと伝えられ、
『式内社の研究』では、本殿左の猿田彦神社こそが
式内社・志多非神社であるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:05 午後

黒野神社 (香美町)

兵庫県の 黒野神社(香美町) を掲載しました。

兵庫県の香美町村岡区にある。
山陰本線養父駅の北西32Kmほどの村岡に鎮座。
村岡は、江戸時代に山名氏が入部するまで黒野と称されていたらしい。

9号線を北西に進み、482号線へ入って200mほどの場所。
482号線に面して境内入口がある。
地図を見ると、山陰本線江原駅から神鍋高原を越えて
482号線を進んでも社前に到着するようだ。

鳥居の右脇に「縣社黒野神社」と刻まれた社号標が立ち、
鳥居扁額には、「式内 縣社」とあり
黒野神社の左右に志都美下神社、志都美上神社と刻まれている。

鳥居をくぐり参道を進む、階段を上るともう一つの鳥居。
その奥に、入母屋造の堂々とした拝殿がある。
境内の左手に社務所があり、右手には神庫。
拝殿の左右に、上へのぼる階段があり、入母屋造の本殿。

創祀年代は不詳。
式内社・黒野神社に比定されている神社。

一説には、橘諸兄公ゆかりの従三位参議黒野経秀卿が
但馬国に配流された時に創祀したとも伝えられ、
大同二年(807)、境内背後の伊津岐山山頂に鎮座し、
永享八年(1436)麓に遷座したとも伝えられている。

伊津岐山には、式内社・志都美神社二座の社殿も鎮座していたが
永享八年(1436)、当社の遷座と同時に合祀したという。
よって、伊津岐三社大明神とも呼ばれていたというが、
寛永十九年(1642)に当地に入部した山名氏が
伊津岐大明神と改称したとも伝えられている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:04 午後

五百立神社 (奈良市)

奈良県の 五百立神社(奈良市) を掲載しました。

奈良県奈良市にある。
東大寺南大門から大仏殿に向かって北へ130mほど進んで
左手(西)の丘(五百立山)の麓に鎮座。
朱の鳥居の奥に、朱の垣に囲まれて小さな祠がある。

当社の右手に参道が奥に延びており
その先には、「鉄道職員殉職者供養塔」の
石造十三重塔が立っている。

もとはその場所に鎮座していたが、
昭和七年頃、この塔を建立するため、遷座されたらしい。

創祀年代は不詳。
式内社・五百立神社に比定されている古社。

手向山八幡宮の末社として、古来「五百餘所社」と称しており、
一説には、天平年間、大仏殿修造の時に活躍した
五百余人の番匠(現在の大工)を祀るとも伝えられている。

そうであれば、その地に鉄道職員殉職者供養塔があるのも
まんざら場違いではないような気もする。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:19 午後

荏原神社 (品川区)

東京の荏原神社(品川区) を掲載しました。

東京都品川区にある。
京浜急行の新馬場(しんばんば)駅の東200mほどの北品川に鎮座。
河口部では品川とも呼ばれる目黒川に沿って河口部へ進むと境内入口。
社前には赤い鎮守橋がある。

境内入口は東向き。目黒川が少し北東へ流れているので
川に向かって斜めに参道がある。
参道入口に木造の鳥居が立ち、「郷社荏原神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を進むと恵比須像があり、
手水舎を過ぎると、もう一つの石造の鳥居。
この鳥居の奥に堂々とした社殿がある。

拝殿は入母屋造で、後方の本殿は流造。
資料によっては神明造と書かれているようだが。

参拝は東日本大震災の二日前。
天気の良い三月の晴天の日。

社伝によると、
元明天皇和銅二年(709)九月九日藤原伊勢人により勧請され、
貴布禰大 明神と号し、品川総鎮守だったという古社。
元は三ッ木に鎮座しており、後に現在地に遷座された。
旧地の三ッ木(大崎の近く)には今も貴船神社が祀られている。

同じく北品川鎮座の品川神社が北の天王社と呼ばれ
当社の通称は南の天王社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:59 午後

川會神社 (池田町)

長野県にある、川會神社(池田町) を掲載しました。

長野県の池田町にある。
大糸線・安曇追分駅の北東2Kmほどの会染十日市場に鎮座。
高瀬川にかかる高瀬川を東へ渡って100mほどで北上すると
目の前に、社域の森が見えてくる。

長い参道を北へ進むと、森の入口に鳥居。
鳥居扁額には「延喜式内 川會神社」と刻まれている。
鳥居をくぐると、広い境内。
参道正面に額殿(神楽殿)があり、
その後方に少し離れて拝殿。
拝殿の後方にブロック垣に囲まれて流造の本殿がある。

参道脇にはブランコや滑り台などの遊具が並んでおり
周囲の子供の遊び場になっているのだろうか。

境内周囲は、木々に囲まれ、
周囲から隔絶された神域という雰囲気。
天気が良くて、木漏れ日の影のため、写真撮影は失敗。
こういう神社は曇天か朝一の参拝が良いのだが。

創祀年代は不祥。
社伝によると、景行天皇の御宇、
有明の里(安曇の郷)の草創の神を祀った神社であるといい
式内社・川會神社に比定されている古社。

川會の社号は、犀川の支流・高瀬川と
木崎湖より発する農具川の合流地点に祀られたことによる。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:47 午前