賣布神社 (網野町)

京都府の 賣布神社(網野町) を掲載しました。

京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・木津温泉駅の
東500mほどの網野町木津に鎮座。
境内入口は西向き(やや北寄り)。
「式内賣布神社」と刻まれた社号標と石造の鳥居が立っている。

鳥居をくぐると砂地の境内。
参道の左手に一段高く社殿が並んでいる。
社殿の向きは南東向き。

瓦葺の拝殿の後方に、本殿を納めた覆屋がある。
覆屋のため本殿は見ることは出来なかったが
境内の案内板に、流造の素朴な本殿の写真がある。

参拝は八月の炎天下。
砂地の境内が眩しかったが、
境内左手の木陰が気持ち良かった。

社伝によると、
垂仁天皇九十年春二月朔日、常世国へ渡航した田道間守が
景行天皇元年三月十二日に帰国し、
田神山にて神籬を設けて神典をあげたことを創祀とする。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:36 午後

二方神社 (新温泉町)

兵庫県の 二方神社(新温泉町) を掲載しました。

兵庫県の新温泉町にある。
浜坂駅の東2.5Kmほどの指杭に鎮座。
岸田川と久斗川が合流する地点から東へ500mほど。
久斗川の北に広がる田畑の中に小さな社域があり、
遠くからでも確認できる。

幾つかの木々が聳える小さな森で
残念ながら鳥居や社殿はない。

鎮座地は、現在は指杭という地名で、
東隣りに田井という地があるが、
昔は指杭もすべて田井だったらしく、
境内入口に「田井村」と刻まれた灯籠が二基あるのみ。

創祀年代は不詳。

式内社・二方神社に比定される古社で、
土原大明神とも、国主大明神とも呼ばれた神社。

明治六年十月村社に列せられた。

大正九年、大洪水で社殿が流出したが
村人が下流で御神像を見つけ再び祀った。

戦後のいつかは調べていないが、大雪で社殿が倒壊し
現在は指杭の氏神である兵主神社に移されているらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:59 午後

鹿嶋神社遥拝殿 (佐野市)

栃木県の鹿嶋神社遥拝殿(佐野市) を掲載しました。

栃木県佐野市にある。
東武佐野線・田沼駅の北西3Kmほどの戸奈良町に鎮座。
66号線を進み、旗川に架かる羽室橋を越えて
1Kmほどの交差点から北東へ少し入った場所。

境内全体は南西向きだが、
境内入口は道に面して南東側にあり、
境内に入って参道を直角に曲がると正面に社殿がある。

当社へ参拝した目的は境内社の包孝神社。
当地の義民・石井包孝五右衛門を祀る石祠だ。
よって鹿嶋神社そのものに関しては下調べをせずに参拝したため
帰宅後に調べて見ると、
実は、僕が参拝した境内は鹿嶋神社の遥拝殿らしく、
遥拝殿から北へ500mの位置に、鹿嶋神社の本社があるようだ。

ということで、帰宅後に知ったので
当社の本社には参拝していないのが残念だ。

その遥拝殿の社殿の右手に境内社の石祠が二つあり、
左が護国の英霊を祀る報国神社、右が目的の包孝神社だ。

参拝はゴールデンウィークの頃。
境内には大輪の桜が咲いていた。

境内社・包孝神社の創建は弘化三年(1846)。
祭神・石井包孝五右衛門命は明和八年(1771)三月に
上多田村須藤沢右衛門宗明の二男として生まれ
戸奈良村石井池の養嗣子となった人物。

当時の戸奈良村は彦間川と野上川の間に位置し、
平地少なく沿岸の地は常に荒廃していた。
そこで、文化年間より毎年数百両の私財を投じて
堤防を築き河流の改造を行ったのが石井包孝五右衛門である。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:19 午前

芝大神宮 (港区)

東京の芝大神宮(港区) を掲載しました。

東京都港区にある。
浜松町駅の西300m、港区役所の東、地下鉄大門駅のそばに鎮座。

参道入口は15号線に面して東向き。
参道を200mほど西へ進むと大きな白い石の鳥居。
鳥居の左手には生姜塚と社号標。

当宮創建当時、周辺が生姜畑であったらしく、
境内や近辺で盛んに生姜が売られていたという。
江戸時代には当宮の生姜市は有名だったようで、
広重によって生姜市がいくつか描かれている。

鳥居をくぐり参道階段を上ると神明造の社殿。
階段上にある左右の狛犬の台座には「め組」と刻まれている。

歌舞伎「め組の喧嘩」は当宮境内で開催された相撲興行での
「め組」の火消し・辰五郎と力士・九竜山の喧嘩の話。

僕は「め組の大吾」を連想してしまったが
当地域周辺は火消し・め組の管轄らしい。

境内に力石が置かれているが港区指定の文化財。
港区には十四点の力石が確認されているらしい。

社殿の脇から本殿が見えるのだが、木々が茂って撮影できなかった。
形式はやはり神明造のようだった。

神明宮、日比谷神明、飯倉神明宮、芝神明宮ともよばれた神社。

平安時代、寛永二年(1005)一条天皇の御代の創祀。
古く飯倉山芝公園丸山(東京タワ-付近)に鎮座していたが
慶長三年(1598)に現在地に遷座した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:47 午後

大生部兵主神社 (薬王寺)

兵庫県の 大生部兵主神社(薬王寺) を掲載しました。

兵庫県豊岡市にある。
と言っても京都府との県境誓い但東町薬王寺。
山陰本線・豊岡駅の南東へ35Kmほどだが
京都府にある福知山駅からは北西に22Kmほどの位置。
当社から63号線を東へ数百メートルすすむと京都府。

出石川の支流・薬王寺川を遡った場所に鎮座。
道に面して10段程度の階段を上ると鳥居。
鳥居脇には「縣社大生部兵主神社」と刻まれた古びた社号標。
鳥居扁額には「牛頭天王」。

鳥居をくぐり参道を進むと、横向きの社殿がある。
拝殿の後方に入母屋造の美しい本殿があり、
本殿の前方に、切妻造の幣殿が付属し、
参拝時は、その幣殿の前で参拝する形式。

参拝はゴールデンウィークの頃。
豊岡のホテルを日の出前に出発し、日の出の頃に当社に到着。
だが、まだまだ暗くて写真撮影できなかったので
少し明るくなるのを待って撮影開始。

社殿の左手に立派な御神木があり、
垣で囲まれて大事に保護されているのだが
その表面に幾つかの穴が開いていた。

その横の社殿に、昭和五十三年の地元の新聞が掲示されており
そこには「呪い釘の風習」の記事と共に、当社神木に打たれた釘跡の写真。

夜、この御神木の前に立ち、憎い相手を呪いながら釘を打つ姿を
夜が明けたばかりの薄暗い境内に一人で想像してしまった。

牛頭天王(素盞鳴尊)を祀るため、
天王社、薬王寺天王社、牛頭天王社とも呼ばれる神社。

創祀年代は不詳。
式内社・大生部兵主神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:33 午後

磐井神社 (大田区)

東京の磐井神社(大田区) を掲載しました。

東京都大田区にある。
京浜急行の大森海岸駅の南200mほどの大森北に鎮座。
京浜急行線路と第一京浜道路に挟まれて、東向きの境内。

境内入口は第一京浜向き(東向き)。
鳥居をくぐると広い砂利の境内。
正面に社殿があり、右手に境内社の稲荷社。
稲荷社の奥に神楽殿があり、
神楽殿と社殿の間に、江戸文人石碑群。

社殿は、渋い色の入母屋造拝殿と流造の本殿。
拝殿扁額には「武蔵国八幡總社 磐井神社」。

社殿の左手に社務所がある。

実は、境内の左手に池があり
笠島弁天社が鎮座しているらしいのだが、
参拝時に、左手は駐車場だと思い込んで、
ちゃんと見ていないし写真も無い。

境内の案内板には、万葉集の
「草陰の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ」
という歌が、この笠島弁天社のことだと記されていたのに。

また、第一京阪沿いの歩道に、社号の「磐井」の井戸があるらしい。
これも見ていない。残念、というより後悔。

江戸文人石碑群の中に、烏石碑がある。
社務所内に保管されている烏石は、江戸の文人・松下烏石が寄進した
烏の模様が浮き出た自然石。

また、延暦年間(七八二~八〇六)に武蔵国国司の石川氏が奉納した
神功皇后ゆかりの石・鈴石があるらしいが、これは非公開(らしい)。
その石を打つと鈴の音がするということで、
鈴が森の地名が残っている。

人皇三十代敏達天皇二年(573)八月の創祀。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:57 午後