健田須賀神社 (結城市)

茨城県の 健田須賀神社(結城市) を掲載しました。

茨城県結城市にある。
結城駅の北500mほどの結城に鎮座。
境内入口は北側。入口右手には「縣社健田須賀神社」と刻まれた社号標。

参拝は十月の休日、雨の朝。
上田市の自宅を深夜出発して、
50号線にある栃木県の道の駅で朝まで眠り、
周囲が明るくなった頃に、当社へ到着した。

石の参道を進むと白い鳥居が建っており、
参道は南へ数十mほど続いている。
しばらく歩くと、右手に慰霊殿。
護国の英雄を祀った神社。

さらに進むと社殿のある境内。
参道の正面には舞殿があるが、
拝殿等は参道の右手にあり、当社社殿は東向き。
瓦葺入母屋造の拝殿の後方、垣に囲まれて流造の本殿がある。

本殿の左手に立派な「カヤの木」があるが御神木だろうか。

当社は、明治三年、
現社地鎮座の須賀神社に、小塙鎮座の健田神社を合祀した神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:17 午後

水口神社 (水口町)

滋賀県の 水口神社(水口町) を掲載しました。

滋賀県甲賀市にある。
近江鉄道・水口城南駅の南東300mほどの水口町宮ノ前に鎮座。
僕は北の方角から当社へ向かったが、
車道に当社の鳥居が建っていた。

境内入口は東向き(やや南よりかも)。
参拝は年末休日の朝。
昇ったばかりの朝日が境内を照らし
境内はオレンジの世界だった。

そのオレンジの光を背に受けながら参拝開始。
境内入口には「式内水口神社」と刻まれた社号標が建っている。
石の丸橋の奥が広い砂利の境内。
境内の鳥居には、迎春のための角松が飾られていた。

境内の中央に舞殿があり、
その後方、垣の中に社殿が鎮座。
垣の中央部に神門があり、神門をくぐって参拝。
正面に拝殿があり、拝殿の後方に流造の本殿。

本殿の左右に、玉津米神社と武雄神社が鎮座。
垣内の右手には、日枝神社と水口恵比須神社。
垣の外、左手には稲荷神社が祀られている。

境内の左手に「遥拝所」という場所があるが
どこのお宮を遥拝しているのだろうか。
方角から考えると奈良方向のようだが。

創祀年代は不詳。

中世には山王新宮とも称され、近世には大宮大明神とも称された神社。
式内社・水口神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:03 午後

新川神社 (守山市)

滋賀県の 新川神社(守山市) を掲載しました。

滋賀県守山市にある。
守山駅の北東1Kmの立入町に鎮座。
野洲川左岸、東海道本線の南。

駅から当社へのルートは、言葉での説明が難しい。
新しい住宅地の奥に、鎮守の森が残っている、そんな感じ。
昔は、社前は田畑だったはずだ。

社前に小川が流れ、「新川神社」と刻まれた社号標。
参拝は年末の休日の朝。
境内入口は南東向きで、鳥居正面に朝日が射して
なんだか神々しい雰囲気。
境内に足を踏み入れると、僕の影が境内中央にまで延びていた。

境内の奥に瓦葺の拝殿があり、
少し離れて、後方に流造の本殿。
本殿は垣に囲まれており、本殿の左右に境内社がある。
また、境内の左右にも幾つかの境内社が、まとめて祀られている。

創祀年代は、不詳。

社伝によると、霊亀二年
大新川神霊を野洲・幸津川二邑に分祀するとあり
当社は、式内社・上新川神社の論社。
野洲川下流には、式内社・下新川神社が鎮座。
新川の司水神を祀る、上社と下社の関係にあるものと思われる。

野洲川の対岸には同名の社があり、
同じく式内社・上新川神社の論社となっている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:03 午後

波布比咩命神社 (伊豆大島)

伊豆大島の波布比咩命神社(伊豆大島) を掲載しました。

伊豆大島にある。
大島の南東部にあり、
「波浮の港」や「アンコ椿は恋の花」などの
歌で有名な波浮港に鎮座。
波浮港への道の途中、港にちょっと突き出した場所に境内がある。

道路から少し下る参道があり、
参道をおりると突き当りに鳥居。
鳥居扁額には「波布比咩命」と書かれている。

境内入口は北向きで、
鳥居をくぐって参道を進むと社殿のある境内。
境内の左手に、港へ向かう鳥居が建っており
鳥居から階段を下ると海。

境内は港の口にあたる場所にあり、
出入りする船を見下ろす場所。

その海への階段脇には「波浮神社」と刻まれた社号標。
波浮港にあるため、当社の通称は波浮神社なのだろう。
たしかに波布比咩命神社というのは
通称としては読みにくい。

木々に囲まれた境内の奥(南側)に拝殿と本殿覆屋がある。
境内は、華やかさはないが、落ち着いた港の鎮守という雰囲気。
ただ、覆屋の中の本殿は美しい朱色で、
やはり女神を祀る神社の趣きがある。

創祀年代は不詳。

通称は、波浮明神。
『三宅記』に「三島の神大島に置き給ふ后を羽分の大后と申しける」とあり、
当社は、三島大明神の后神を祀る神社。

波浮港は、もとは美しい清水をたたえた火口池であったらしく、
その当時に創建されたものとする説がある。

式内社・波布比賣命神社に比定され、
斎衡六年(855)正五位下を賜った古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:17 午前

荒木神社 (福知山市)

京都府の 荒木神社(福知山市) を掲載しました。

京都府福知山市にある。
福知山駅の南3Kmほどの堀に鎮座。
地図には「荒木」と記されているが、
資料の住所は堀字荒木山となっていた。
正確には、
室山(親不知、605m)の前山である
荒木山(432m)の北東麓(標高180m)に鎮座。

僕は土師川の方から回り込んだので、
福知山駅からのルートは、ちょっと説明しにくい。
とりあえず、ランドマークとして紅葉丘病院を目指す。
土師川から、その紅葉丘病院を行き過ぎて300mほどの地点から
南西へ入り、500~600mほどの場所に参道入口がある。

参道入口から少し上ると「式内荒木神社」と刻まれた社号標。

参道は山道で、地図で見ると200mほどの距離。
参拝当日は真夏の盛りだったが
参道脇の木々のおかげで、陽射しもなく、雑草もなく
ハイキング気分でしばらく歩くと、
参道中ほどに、数段の階段と鳥居。

鳥居をくぐり、さらに参道を進むと境内へ上る階段がある。
階段の左手に小さな池があり、中央に境内社の祠が一つ。
階段の右手には手水鉢。

階段を上ると社殿のある広い境内。
境内中央に、入母屋造の拝殿があり、後方に流造の本殿。

創祀年代は不詳。
昔の俗称は「十二所権現」、近代の通称は「荒木の権現ざん」。
『三代実録』の貞観元年(859)五月の條に、
「四日己未丹波國荒木神列二官社一」とある古社で、
式内社・荒木神社に比定されている。

境内の右手に、山へ登る階段があり、
その階段脇にも祠が一つある。

で、その階段の先に関して。

このように境内脇に階段がある場合、
通常なら、僕は無意識に登ってしまうのだが、
その祠の先がどうなっていたのか、全く記憶がない。

ひょっとすると、階段は祠までで。その先が無かったのか、
あるいは、暑さのために、朦朧としていたためか、
それとも、参拝しながら、いろいろと考え事をしていたためか、
とにかく記憶がないし、写真も撮ってないのだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:21 午後

禅定神社 (尾花町)

福井県の 禅定神社(尾花町) を掲載しました。

福井県鯖江市にある。
鯖江駅の東11Kmほどの尾花町に鎮座。
北陸自動車道を越えて、東へ。
18号線をさらに東へ進み、
192号線に入って1Kmほど東へ進むを尾花町がある。
その尾花町で北へ入り、少し上った場所に境内がある。

式内社・刀那神社を探している時に、当社に到着。
なんとも良い雰囲気だったので、とりあえず参拝しておこうと立ち寄った神社。

境内周囲には杉木立が多いのだが、
鳥居をくぐった広い境内は、すっきりとした印象。
境内奥(東側)の石組みの上に社殿がある。
で、参拝後に拝殿の扁額を見ると「式内刀那神社」と記されていた。
鳥居には「禅定神社」とあったのに、どういうことだろうか、
と考えながらの参拝。

この参拝時点では、刀那神社が禅定神社に合祀されたのだろうか
などと考えていた。

創祀年代は不詳。

社記によると、
「御神体の儀は人皇二七代継体天皇の茨田皇女、
故ありてこの地三社森にて薨ぜられる。
故にこの地茨田谷と称し、
その後、この地近郷を河和田谷と申す」とあり、
茨田皇女の遺徳を偲んで、三社森のこの地に社を建立し
刀那神社と称して、皇女の御霊を祀り、
近郷一帯の総社として崇敬されたという。

参拝を終え、境内を歩きまわっていると
境内右手(南側)の斜面の下へ続く、細い獣道のような道の下に
社殿の屋根が見えた。
当社の関連社か境内社か、気になったので
その斜面を下ってみると、やや小ぶりな緑の境内があり、
中央に石組の上に社殿。
拝殿の前に石碑が建っており、昔の漢字が使われていて
判読できない部分もあったが、
読んでみると、河和田神社へ合祀後に建てられた石碑で、
どうやら、刀那神社の旧地を示すものらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:04 午後