加積雪嶋神社 (滑川市)

富山県にある、加積雪嶋神社(滑川市) を掲載しました。

富山県滑川市にある。
中滑川駅から西へ直線で500mほどの加島町に鎮座。
富山湾の海岸沿いの道路に面して、境内入口がある。
ただし堤防で遮られており、境内から海を見ることはできない。

北向きの入口の鳥居の脇には「郷社加積雪嶋神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると参道左手に手水舎があり、参道を右手に曲ると社殿。
ということで社殿は東を向いている。

参拝は10月後半の午後3時頃。
傾き始めた太陽の日射しを正面に浴びながらの参拝。
沈み行く太陽に向かって参拝しているようで面白いのだが、
写真撮影には苦労する。

拝殿は瓦葺入母屋造で、北陸の神社らしくガラスで覆われていた。
背後の本殿は堂々とした流造で、こちらは不透明な樹脂製のトタン板で囲われて
細部を確認することはできなかった。

芝生の境内は東西に長く、広くてとても気持ちが良い。
境内の東側の狭い路地には、多くの庚申塔が並んでいる。

当社の社号「加積雪嶋神社」は、資料によっては
「かずみゆきしま」「かづみゆきしま」「かつみゆきしま」とさまざま。

創祀年代は不詳。
古くは社域も広大で、社家・社僧が奉祀した大社であったという。
櫟原神社(東の宮)に対し、当社の通称は西の宮。

源義経が奥州へ下る時に武運を祈願し、拝殿に沓を残されたいう古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:41 午前

松尾神社 (長和町)

長野県にある、松尾神社(長和町) を掲載しました。

長野県の長和町にある。
長和町役場長門庁舎の南東1kmほどの長久保に鎮座。
142号線から少し北へ入った場所に鳥居と社号標があり、
社号標には「郷社松尾神社」と刻まれている。
鳥居は木製だが、足の部分が赤く見えているのは金属の補強。
笠木や貫は木製で、足は金属で覆われ、稚児柱は石でできているハイブリッドだ。

鳥居をくぐり参道を進むと、良い感じの木の橋が小川にかかっている。
依田川の支流・五十鈴川だろうか。
橋を渡ると境内の左手になるので、社殿は左手。
正面には靖国霊社や日露戦争戦没者慰霊碑が立っている。

拝殿は入母屋造の平入り。
拝殿の前に御神木の保存樹・椹(サワラ)があり、脇に大きな石。
拝殿の後方、斜面に廊下があり、
少し高い場所に、垣に囲まれて流造の本殿がある。
現在の本殿は長門町指定文化財。
諏訪の宮大工・三代立川和四郎富重の建築で
万延元年(1860)再々建されたもの。

拝殿の由緒書きによると、以前は、長久保の町裏、
大欅の森にに鎮座していたが小学校の垣帳のため、
昭和三十三年五月、現在地に移転したらしい。
その時、略式の四神の祭祀があることが発見されたともあるが、
どういう意味か、良くわからない。
祭神が四柱だったということだろうか。

創祀年代不詳。
正親町天皇弘治三年(1557)に再建された記録があることから
数百年の歴史のある古社であることは明らかだろう。

山城国松尾大社の分霊を祀った地方の古社で、
拝殿の由緒書きに日本三社と記されていた。
日本三大松尾神社ということだろうか。
一つは松尾大社だろうが、もう一つはどこだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:26 午後

稲毛神社 (川崎市)

神奈川県にある稲毛神社(川崎市) を掲載しました。

神奈川県川崎市にある。
川崎駅から東へ500mほどの宮本町に鎮座。
市役所通りと第一京浜(15号線)との交差点の北側に境内がある。

境内入口は西側と南側にあり、第一京浜脇の南側入口には大きな鳥居が立っている。
西側参道入口には「郷社稲毛神社」、南側(第一京浜側)参道入口には
「稲毛神社」と刻まれた社号標が立っている。

南側の大きな鳥居をくぐり参道を進むと左手に手水舎や神楽殿。
右手に境内社が並び、さらに進むと垣に囲まれて社殿がある。

社殿は東向き(やや南寄り)。
社殿の前に享保三年(1718)建立の大鳥居。
大鳥居の奥に鉄製の扉があり、その奥にコンクリート造の社殿がある。
拝殿は神明造平入、後方の本殿も神明造。ともに銅板葺のようだ。

社殿の前には、左右に天地睨みの狛犬。
右は背伸びして天を祓い、左は伏せて地を祓う姿。
上半身の願いは右の狛犬を、下半身は左の狛犬を撫でて願うらしい。

社殿の正面には立派な御神木の大銀杏(樹齢一千年)があり、
その周囲の柱の上に十二支の像が置かれ、銀杏の周りを回って
御神木大銀杏十二支めぐりをするようだ。

また、社務所の横には旧御社殿跡。
旧御社殿は、江戸中期の宝永年間に田中田中休愚によって造営された建物だが、
昭和二十年の空襲により灰塵と記してしまった。
境内には、その田中休愚が享保十四年(1729)川崎宿鎮守山王社(現稲毛神社)に
奉納した手洗石や、小土呂橋遺構などがある。

参拝は三月後半。
横浜から上田市に戻る途中に途中下車して参拝。
電車の時刻が気になったので、御朱印などは割愛したが
今は、ちょっと後悔している。

創祀年代は不詳。
社伝によれば、第十二代景行天皇東国御巡遊のおり、当社にて賊難を避けられたといい、
第二十九代欽明天皇の御代、この地方に動乱が絶えなかったため、
天皇は当社に幣帛・七串を奉り、新たに経津主神、菊理媛神、伊弉諾神、伊弉冉神を配祀し、
社領を寄進して勅願所とした。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:45 午後

吉倉八幡宮 (富山市吉倉)

富山県にある、吉倉八幡宮(富山市吉倉) を掲載しました。

富山県富山市にある。
富山駅の南10Kmほどの吉倉に鎮座。
神通川の東岸、富山県総合運動公園の南西に境内がある。

境内入口は、道路に面して東向き。
境内は石の垣に囲まれ、入口に鳥居。
鳥居をくぐり境内に入ると左手に手水舎。
参道正面に社殿がある。

拝殿は瓦葺切妻造の平入り。後方の本殿は銅板葺きの神明造だ。
本殿の左手に石碑が祀られているが、刻まれている文字は読めなかった。
境内社だろうか。

参拝は10月後半、天気の良い日の昼。
太陽が真南にあり、影が西へ向かう参道を横切っている、そんな頃。

当社の社名は『平成祭データ』によると「八幡社」。
『富山県神社誌』や拝殿の扁額には「石清水 八幡宮」とあり、
地図には「吉倉八幡宮」とある。

ということで、当サイトでは他の八幡との区別が容易な、
「吉倉八幡宮」と記しておく。

八幡宮なので神紋は三つ巴かと思ったが、
拝殿の屋根には「蛇の目七曜紋」が付けられていた。
当社の神紋かどうか確認していないが、珍しいので載せておく。

社伝によると、当社は大宝二年の杉原神社創建の後、三十三年目の年に当地に勧請され、
聖武天皇の天平六年、神官野上常陸守が京都石清水八幡宮の分霊を
吉倉の地に奉賽し、以来、吉倉、押上、福居南中田三ケ村の総社として崇敬された。
当社は杉原神社と石清水八幡宮を合わせ祀った古社なのだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:33 午後

石武雄神社 (氷見市)

富山県にある、石武雄神社(氷見市) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見線・氷見駅の南西5Kmほどの堀田に鎮座。
415号線を1.5Kmほど南下し、361号線を西へ進み、
361号線の道なりに、さらに南へ下り296号線と合流する手前。
道沿いに掘りのような用水路のような流があり、
道路に面して西向きに境内入口がある。

参道を進むと、境内入口の鳥居。
鳥居の脇には「村社石武雄神社」と刻まれた社号標が立っている。

鳥居をくぐり参道を進むと、もう一つの鳥居があり、参道階段を上る。
階段の途中で参道を左折し、さらに階段を上ると社殿のある境内。
よって境内そのものは南向きということになる。

境内左手に手水舎があり、正面に社殿。
拝殿は切妻造瓦葺平入。
側面には雪除けのためか半透明の樹脂製のトタン板で覆われていた。
拝殿後方の本殿は全体がそのトタン板で作られた覆屋の中。
ということで、本殿の様式は確認できなかった。

参拝は10月後半の早朝。
深夜に長野の家を出て高速を走って氷見に着いたのはまだ夜明け前だった。
近くの広場で車を停めて仮眠し、周囲が明るくなって来た日の出の頃に当社に参拝。

創祀年代は不詳。
『富山県神社誌』によると、古くから石武雄神と称え、
『三代実録』に陽成天皇元慶三年(879)十月二十九日、
「正六位上石武雄神従五位下」とある式外の古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:20 午後

須賀神社 (沼田市)

群馬県の須賀神社(沼田市)を掲載しました。

群馬県高崎市にある。
上越線・沼田駅の東1.5Kmほどの中町に鎮座。
120号線の中町交差点から南へ入った場所に
公園のような雰囲気の境内があり、その北隅に社殿。
社殿の前に鳥居が立っているだけの簡素な神社。

拝殿は入母屋造平入で、扁額には「須賀大神」と書かれている。
参拝は、11月初旬の昼頃。
拝殿には足場が組まれていて工事中だった。
境内にいらした方にお聞きすると、雨漏りのため瓦葺を銅板葺に変更中とのこと。
今頃は、きらびやかな銅板葺の拝殿になっているのだろう。

拝殿後方の本殿は流造。こちらはすでに銅板葺で緑青色の屋根だった。
本殿の後方には、県指定天然記念物の大ケヤキがあり、
樹齢400年以上と推定されているらしい。
当社が現在地に遷座して400年ほどなので、
鎮座の頃に植えられたのだろうか。

社伝によると、文和年間(1353~1355)、
沼田城主沼田小次郎が城下の鎮守として
鍛冶町に住吉社と天王宮を祀ったのが当社の起源。

関ヶ原の戦い後、真田昌幸の長男・真田伊賀守信幸が沼田を治め、
慶長十七年(1612)台地の上に本格的なまちづくりを始め、
鍛冶町・本町・材木町等の町割りを行い、
当社を沼田城内より中町に遷座させたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:15 午後