長津瀬神社 (上田市)

長野県にある、長津瀬神社(上田市) を掲載しました。

長野県上田市にある。
しなの鉄道・大屋駅の南西3Kmほどの長瀬に鎮座。
152号線を5Kmほど南下して依田橋東詰の長瀬交差点から東へ入った場所。
ただし車は長瀬交差点で東へ入れないので、少し遠回りする。

境内入口は狭い道路脇にあり、
入口の近くに長瀬義民を記念した義民碑がある。

江戸時代後期、小諸藩主となった酒井忠能の悪政により
飢饉の中で重税に苦しんだ農民達が協議し、代表者を決めて幕府に直訴。
上州横川の関所で捕らえられ入牢されるが、関所役人による報告により
藩主入替と年貢半減などの裁断を得たが、
入牢されていた代表者四名は死罪となったという。

境内入口は南向き、参道を進むと木製の鳥居が立っており、
鳥居をくぐると社殿のある境内。
拝殿の後方、覆屋根の中に流造の本殿がある。

家の近くにある神社だけど、152号線から奥まった場所にあり、
なかなか参拝する機会も無く、年末の天気の良い日に参拝してみた。
天気が良すぎて、影のためコントラストが強くて写真としては失敗。

創祀年代不詳。
寛保三年(1743)の棟札が現存するらしい。

旧長瀬村の産土神。
諏訪社の分社として信仰され、明治六年(1873)郷社に列した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:18 午後

御霊神社 (前橋市)

群馬県の御霊神社(前橋市)を掲載しました。

群馬県前橋市にある。
新前橋駅の北西2Kmほどの元総社町に鎮座。
上野国国府推定地の東南にあり、総社神社の北西500mほど。
民家の横の参道の奥、鬱蒼とした林が境内。

当社に到着したのは夜明け前。
真っ暗だったので写真は撮れないが、
まず下見の参拝をと思って境内に入ったが外よりもなお暗く、
御霊の社号も頭によぎってしまったので明るくなってから再訪する事にして、
総社神社駐車場に車を止め夜明けを待つ。
少し明るくなった頃、総社神社に参拝し周囲の神社をいくつか回って
昼前に当社に戻って来た。

夜明け前には気づかなかったが、
境内に入ると参道には沢山の庚申塔が並んでおり、
庚申塔に出迎えられているような印象の中、
参道を進むと鳥居があり、鳥居の奥に社殿がある。
社殿の周りや境内左手にも多くの庚申塔。
社殿脇の由緒書きには「千庚申」とある。
まさか千個はないかもしれないが百個は軽くありそうだ。

創祀年代は不詳。
『上野国神名帳』に「従四位下 學校院若御子明神」とある神社。
国府に近く、国府に仕える役人の子弟を教育する学校があり
その側にあった招魂社が当社の起源であるという。

建武四年(1337)長尾氏一族の長尾景忠が上野国守護代となり、
景忠の長子清景は白井城主となり
四男忠房は父景忠と共に国府を城郭化して蒼海城として当地を支配。
貞治二年(1363)忠房は鎌倉長尾郷より御霊宮を勧請して、
若御子明神に合祀し、現在地に創立して惣社長尾氏の氏神とした。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:48 午後

速川神社 (氷見市)

富山県にある、速川神社(氷見市) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見駅の西10Kmほどの早借に鎮座。
64号線と300号線が合流する地点から300号線を東へ進み、
上庄川を渡って早借へ。早借でさらに上庄川支流を渡ると参道入口の鳥居がある。
鳥居の向きは南向き。鳥居の脇には「村社 速川神社」と刻まれた社号標。
境内は滝尾山と呼ばれる小山上にあり、
鳥居をくぐって狭い道を300m近く登って行く。
境内入口に鳥居があり、鳥居の前には駐車スペースもある。

鳥居をくぐり参道階段を登ると、開けた境内。
あまりにもあっさりした感じだが、昭和六十年発行の『式内社調査報告』には、
社地には椎の古木が多く繁茂し、中には朽ちて倒壊したものもあるとあり、
最近、それらの木々の伐採を行ったのだろう。
社殿の色もまだ浅い色をしていたので、修築されたものだろう。

参道正面には堂々とした社殿。
拝殿はお堂のような感じの瓦葺入母屋造。
拝殿の後方、少し高い位置に銅板葺流造の本殿がある。
拝殿の扉には桐紋と菊紋の彫刻。
拝殿扁額には「速川神社」と記されている。

参拝は秋十月の晴天の日の朝8時頃。
境内の向きは覚えていないのだが、影の方向から考えると南向きかと思う。

創祀年代は不詳。
早借(はやかし)と速川(はやかわ)の類似から、
式内社・速川神社の論社とされる神社。
久目川(今の上庄川)の守護神として、近隣八ケ村
(早借、上田、谷屋、新保、小窪、田江、小久米、日詰)の
総社として崇敬された古社。
滝尾山の鎮座し、滝尾八幡社とも称されていた。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:11 午後

戸部杉山神社 (横浜市西区)

神奈川県にある戸部杉山神社(横浜市西区) を掲載しました。

神奈川県横浜市にある。
京急・戸部駅の南西500mほどの西区中央に鎮座。
西区役所の北、戸部公園の東に境内がある。

境内入口は南向き。
入口に石鳥居が南面して立ち、扁額には「杉山神社」。
鳥居の右手には同じく「杉山神社」と刻まれた社号標が立っている。
当社の正式な社号は「杉山神社」だが、
横浜近郊には杉山神社という名の神社が数十社あり
区別のために、社号を戸部杉山神社と記しておく。
地図にも戸部杉山神社とあるので、
当社の俗称として用いられているのかもしれない。

参拝は三月の休日、曇天の早朝。
日の出の時刻は過ぎた頃だが、太陽は見えず薄暗かった。
ただ、僕の参拝中にも近所のおばあさんが参拝に来られていた。

鳥居をくぐると、参道脇に立ち枯れた御神木があり、
参道を進むと正面に社殿。
拝殿はコンクリートの入母屋造で、本殿は流造。
屋根は銅板で葺かれているようで青くて綺麗だった。

社殿の前に普通の狛犬があるが
その少し前、手水舎のあたりの参道の両脇に
鼠の狛犬というか狛鼠がある。祭神・大己貴神(大国主命)の神使だ。
狛鼠は台座の上が回転するようになっており、
回しながら願いを唱えるのだろう。

面白かったので左の鼠を回していたら参拝中のおばあさんに笑われた。
後で気付いたが、境内案内によると、右がオスで左がメスらしく、
男性はオス(右)を女性はメス(左)に願いをかけるようで、
誤解されたかもしれない。

社伝によると、白鳳三年三月二十日の創建。
杉山一族が当地を開拓し、塩田の浜に出雲大社の分霊を勧請したという古社。
武蔵国の式内社・杉山神社の論社だという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:20 午前

阿部神社 (大町市)

長野県にある、阿部神社(大町市) を掲載しました。

長野県大町市にある。
大糸線・信濃木崎駅の北1.5Kmほどの平に鎮座。
148号線を北上し、木崎湖入口から西へ入り、
湖を右に見て北上すると仁科城(森城)趾に仁科神社が鎮座。
その後方、木崎湖のほとりに当社境内がある。
現在の地図では木崎湖の西岸だが、昔は西側にも湖が延びており
木崎湖に半島状に突き出た丘だったようだ。

鎮座地の字は城浦というが、城の裏ということだろうか。
仁科城(森城)は平安時代から戦国時代まで当地を治めていた豪族・仁科氏の居城。
大町市には仁科氏関連の史跡がいくつかある。

当社には鳥居が存在しておらず、
参道の奥にひっそりとした境内があるだけ。
拝殿は入母屋造、本殿は流造。
社殿の後方に進むと、木立の奥に木崎湖が見える。

神社庁などの資料によると、当社の社号は「安部神社」。
ただし、現地の案内には阿部神社とあり、
祭神は安倍氏で、いろいろと混在しているようだ。

創祀年代は不詳。
仁科氏が祖である安倍貞任・安倍宗任兄弟を祀った神社で、
古くから森集落の氏神として崇敬されてきた。

前九年の役(1061)で奥州から落ちのびてきた安倍貞任は
当地にて仁科姓を名乗ったという伝承があり、
森の城に住んでいた貞任が、ある時、敵に追われて逃げ場を失い
木崎湖の水中に潜って逃げた。
ところが、日ごろ城中で可愛がっていた鶏と犬が主人のあとを追って木崎湖に入り
それが目印となって、貞任が岸へたどり着いた所を捕らえられ殺されたという。
当地にある「阿倍渡」という地名は、貞任が岸に上がった場所。
「阿倍渡」周辺では、鶏と犬を祟りがあるとして飼わない風習が残っており
「トリ」の音を忌んで、当社には鳥居がないそうだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:11 午後

小石神社 (前橋市)

群馬県の小石神社(前橋市)を掲載しました。

群馬県前橋市にある。
両毛線・前橋駅の北西6Kmほどの敷島町に鎮座。
敷島公園の近くの住宅地の中に垣に囲まれた境内がある。

境内入口は南向き。
神明鳥居の扁額に「小石神社」とあり、
右脇の社号標には「宗教法人小石神社」と刻まれている。
鳥居をくぐると砂利の境内。
昭和四十六年七月に現在地に遷座されたらしく
まだまだ新しく、綺麗に整備された街中の神社という印象。

参拝は十一月の早朝、日の出の頃。
境内に朝日が射し込んで、清々しい境内。
境内に入って左手に社務所があり、御守りなども売ってるようだが
参拝した時には閉まっていた。

境内の参道を進むと、コンクリートの社殿。
拝殿・本殿ともに神明造だ。
社殿の前に、祭神・素盞鳴尊が出雲で詠んだ
「八雲立つ 出雲八重垣妻籠みに 八重垣作るその八重垣を」の石碑。
境内右手には1mほどの立石が祀られていた。

社殿の右手には、青色や黄色に塗られた祈願石の小石が積まれ
健康祈願の願い事が書かれていた。
その小石の奥に赤い石が置かれていたが、
これが、当社の社号の元となった小石だろうか。

創祀年代は不詳。
上野国神名帳に「正五位上 小石明神」とある古社。

社伝によると、日本武尊東征のみぎり、
南橘村(現南橘町あたりか)の橘山の山頂に
一つの石を置いて素盞鳴尊を祀り戦勝を祈願したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:20 午前