總社大神宮 (越前市)

まだまだ、総社を続けます。

福井県の 總社大神宮(越前市) を掲載しました。合計1809社。

福井県越前市(旧武生市)にある。
武生駅から西へ、まっすぐ500m進むと、
当社入口に、突き当たる。

境内の一角には、「越前国府」の石碑が立っている。
武生は府中と呼ばれ、広大な越前国の国府があった場所だが、
当社境内にあったということではないので注意。

創祀年代は不詳。

越前国総社として崇敬されてきた古社。
現在地は、前田利家の府中城築城の際に移転された場所で、
旧社地は、府中城二の丸の位置。
武生駅の西側にある市役所の場所あたりだろうか。

鎌倉時代に描かれた『一遍上人絵伝』に、
時宗二祖である他阿真教が、正応三年(1290)
越前惣社に参籠したことが載せられている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:29 午前

府中八幡宮 (上越市)

まだまだ、総社が続きます。

新潟県にある 府中八幡宮(上越市) を掲載しました。合計1808社。

新潟県上越市にある。
直江津駅の北西500mの西本町に鎮座。
スーパーの北に、道路に面して南向きに境内入口がある。

雨の早朝に境内に到着。
境内の会館に、朝から大勢の人達が集まっており、
参道は駐車場と化していた。

その雨の参道を歩くと、正面に社殿。
境内右手に会館があり、左手に池。
雨のためか、境内の芝は青々として瑞々しい。

創祀年代は不詳。

八幡宮に越後総社と諏訪社の合体した神社。

三柱の神々を祀っており、
八幡宮祭神は応神天皇、諏訪社は建御名方神だから、
総社祭神は、沼河比賣となるのだろう。

合祀された時期は明確ではないが、
創立時点で、すでに相殿に祀られていた可能性もあるだろう。

中世には府中六所と呼ばれており、
社伝によると、往古は阿比多御館といい、
高志惣社であるという。
鎮座地の西には、国府という地名もあり、
越後一ノ宮とされる居多神社も鎮座している。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:05 午後

三宅神社 (鈴鹿市国府)

さらに、総社を続けます。
三重県にある 三宅神社(鈴鹿市国府) を掲載しました。合計1807社。

三重県鈴鹿市にある。
鈴鹿駅の西9Kmの国府町に鎮座。
鈴鹿サーキットからは、北西4Km。

41号線と54号線が交わる交差点のそばに東向きの境内。
鳥居の右に、『延喜式内 三宅神社』の社号標。
『総社 三宅神社』と扁額を掲げた鳥居をくぐると、正面に社殿。
社殿は、わりと新しい。最近、改築されたのだろう。
拝殿の後方に、垣に囲まれて流造の本殿。
本殿もまた新しい。

午前中の参拝なので、朝日を正面に受けた社殿と、
青空と、流れる雲と、みな良い雰囲気。

伊勢国国衙のあった国府町に鎮座し、
江戸時代までは、惣社大明神と呼ばれていた古社。

伊勢国総社と考えられる神社で、
鈴鹿郡の式内社・三宅神社の論社のひとつでもある。

主祭神は、国常立之命と大穴牟遅命だが、
明治41年に国府町の各社を合祀したため、
現在、祀られている祭神は、とても多い。

この時に合祀された江神社(旧村社)は、
式内社・江神社の論社。
樫木大明神と呼ばれ、国府城の北東にあったが、
明治の神社整理により、当社へ合祀された。
明治八年には教部省達によって式内社と決定された神社でも
整理されてしまったということだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:34 午後

総社神社 (小浜市)

前回に続いて、総社です。
福井県の 総社神社(小浜市) を掲載しました。合計1806社。

福井県小浜市にある。
小浜駅の西2Kmほどの府中に鎮座。
北川と多田川に挟まれた集落にある。
境内は砂利の駐車場で、府中集会所がある。

舞殿のような社殿があり、その横に拝殿と本殿。
拝殿の扁額には、「惣祠」とあり、
左右に、「天満神社」と「山神神社」の2枚の扁額。
これは合祀されている神々のものだろう。

若狭国総社と思われる古社。

文永二年(1265)十一月「若狭国惣田数帳」に
「惣社宮」とあるのが初見。
ただし、神田は一町に満たないことから、
当時、惣社の重要性は、さほど高くなかったらしい。

延宝三年(1675)の『若州管内社寺由緒記』に
神主なく年代由緒存たる者もない、と記されているという。

神社明細書によると、
「往昔、彌和神社と称したが後に、総社大権現と改めた」とある。
明治元年に神仏分離の令に従い、「総神社」と改称。
昭和二十一年二月二十八日、総社神社と改称した。
ということで、大正建立の社号標には『総神社』とあるが、
現在の正式名称は、総社神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:54 午後

六所神社 (鶴岡市上藤島)

山形県にある 六所神社(鶴岡市上藤島) を掲載しました。合計1805社。

山形県鶴岡市(旧藤島町)にある。
藤島駅の南300mほどの上藤島に鎮座。
境内のそばに藤島川が南北に流れている場所。

境内入口は南側。
間口の広い境内で、垣などに囲まれていないが、
木々が多く、緑の境内。

社殿の屋根の上が、物見櫓のように飛び出した建築。
といっても窓があるわけではなく、
神紋らしき三つ巴の彫刻が付けられている。
現代の建物なら、時計などを設置するだろうと思われる形式。
この様式をなんと呼ぶかは知らないが、面白い。
社殿そのものは、あまり古い印象ではないが、
昔からの伝統の様式なのかもしれない。

桓武天皇の御代、延暦十三年(794)の創祀。
社伝によると、出羽国総社として国司奉幣の古社である。
藤島町は、和銅元年、出羽郡出羽国が置かれた地。

『日本「神社」総覧』には、出羽国総社として
藤島町(現鶴岡市)三和の六所神社が記載されているが、
該当する神社に参拝した感じは、総社の雰囲気ではなかった。
もちろん、現在寂れているからといって、
古代から、そうだったと決め付けるのは良くないが、
違和感を感じていた。

その後、『平成祭データ』記載の当社由緒に
出羽国総社という文字を発見し、参拝してみた。
印象で語ると、やはりこちらが総社だと思う。

境内の左手に、言われなければ気づかないような低い塚がある。
そのそばに「伝、一品守永親王御陵花山院」と書かれた標が立っている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:13 午後

波宇志別神社 (横手市)

秋田県にある 波宇志別神社(横手市) を掲載しました。合計1804社。

秋田県横手市。
大森町にある保呂羽山(438m)の山頂近くに鎮座。
東北地方には幾つか保呂羽山と称する山があるが、
保呂羽山信仰のオリジナルはここ。

29号線から、山頂近くまで車道がウネウネと続いている。

山頂付近、車道から北へ登る道があり、車でも入って行けそうなコンクリート道。
その入口にゲート(開いていた)がある。
前回、保呂羽山を訪れた時は、車はこれ以上入ってはいけないのかと思い、
ゲート前の空き地に車を止めて、歩いて登ったが
車で入っても特に問題はなさそうな感じだった。
というわけで、今回は、行ける所まで車で登る。
しばらく登ると、登山道入り口に到着。
山道入口から、約500mで山頂に到達するので、そこからは歩いて登る。

社伝によれば、天平宝宇元年(757)八月、
神主大友吉親が、大和国吉野の蔵王権現を勧請し、
金峰と称したのが始まり。

祭神は、蔵王権現と同じと考えられる安閑天皇。
近世には、安閑天皇の他に、天日鷲命も主祭神であったらしく、
天日鷲命の方が古くから(修験道以前)の祭神であるとの説もある。
保呂羽山信仰は、地主神が猛禽信仰と結合して成り立ったもので、
神使は山鳥らしく、鷲の名を冠した神が採用されたのだろうか。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:28 午前