来宮神社 (熱海市)

静岡県の来宮神社(熱海市) を掲載しました。

静岡県熱海市にある。
来宮駅の北東300mほどの西山町に鎮座。

東海道線の高架をくぐって北上すると、すぐに社域の森に突き当たる。

昔は、鎮座地名も来宮と称していたようだ。

境内入口に橋があり、橋の奥、森の入口に鳥居が建っている。
鳥居の脇には「来宮神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、参道を進むと、
参道左手には「来宮惣社稲荷神社」、
参道右手に「第二大楠」と三峯神社がある。

さらに参道を進み、階段を上ると広い境内。
境内奥(北側)に、一段高く大きな拝殿があり、
拝殿の後方に本殿がある。

参拝した日は天気が良く、
境内の外は、むちゃくちゃ明るかったのだが、
木々の密度が濃いためか、境内は暗く、静かな雰囲気。
樹木の太さが、さすがだ。

境内の右手に「開運出世弁財天」が石の上に鎮座。
本殿右手の石垣に穴があり、何かが祀られていた。
そして、境内左手に、樹齢二千年以上の御神木・大楠の大木。
年季の入った樹皮の表情が、なぜか神々しいのだ。
社伝によると、太古、
大己貴命が熱海の海岸に上陸し、居を構えて国を治めた。
その宮跡が当社であるという。
その後、東征された日本武尊を相殿に祀り、
和銅三年(710)、五十猛命を祀ったという。

昔(和銅三年)、熱海の海岸で漁師の網に一株のボク(木根)がかかった。
漁師は、それを海に捨てたが、何度も網にかかるボクを不思議に思い
よくよく眺めたところ、そのボクは神像のようであった。
そこで、付近の田の畔の松の木の下に置き、持っていた麦こがしを供えた。
その夜、漁師の夢に神が現れ、
「われは五十猛命である。波の音が耳ざわりなので、
西山の山地の楠の地に祠を建てて祀れ」と神託があり、
祀ったのが当社だとする伝承もある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:29 AM

多治神社 (南丹市)

京都府の 多治神社(南丹市) を掲載しました。

京都府南丹市にある。
日吉駅の北東5Kmほどの日吉町田原に鎮座。

田原川に沿って19号線を進むと、
道路の北側に、境内入口の鳥居が建っている。
鳥居の右脇には「式内郷社多治神社」と刻まれた社号標。

広い砂利の参道を進むと、木々の茂った境内。
参道の鳥居をくぐり、小川にかかる橋を進むと、
綺麗に砂利を敷き詰めた、穏やかな雰囲気の神域。

境内左手よりに拝殿があり、
拝殿の後方、垣の中に二間社流造の本殿が鎮座。
本殿は、江戸時代の宝暦五年(1775)、
播州の宮大工室田仁左衛門の作。
創祀年代は不詳。

社伝では、慶雲年間(704~708)、天智天皇第三皇子の
田原左大臣(志貴皇子、施基皇子)が勧請し、多治大明神と称したという。

式内社・多沼神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:30 AM

「式内社の歴史地理学的研究」

先日紹介した「神の系譜 竜の源 新羅」に、秘密の名著として紹介されている「式内社の歴史地理学的研究」

実は、御笏神社のページを書くときに参考にした著作。
発行は昭和52(1977)年なので、今から30年以上昔に出た本、しかも非売品。

僕がいつこの本を手に入れたのか覚えていないのだが、たぶん「日本の古本屋」でネットで手に入れたと思う。

で、問題はこの作者。森谷ひろみ。
昭和13(1938)年に千葉で生まれ、戦後、千葉大学、国学院大学で学び、昭和49(1974)年、千葉大学の助教授に就任。そして、その翌年、36歳の若さで急逝。
ということで、「式内社の歴史地理学的研究」は、御本人の死後、研究成果がまとめられて発行されたものだ。

サブタイトルに「安房国・伊豆国三宅島の場合」とあり、南総や三宅島の式内社について、実に細やかに調査されている。終戦からいくらかの年月は経過していたが、当時、若い女性研究員が一人で行った調査内容に驚くはず。

が、しばらく書棚に閉まっていて、数年前に三宅島に行った時に、ようやく開いて読んだのだ。
で、何故もっと早くに読んでいなかったのか、少なくとも千葉へ参拝に行く前に読んでおけば、もっと面白い参拝旅行が出来たのに、などと後悔したのを覚えている。

いつか千葉(安房)へ行く時には必ず持参しようと決意しているのだが、千葉へ行く予定が立たない日々を無駄に費やしている。



9. 雑…ふと思う — gensyoushi 11:20 PM

御笏神社 (三宅島)

 「神の系譜 竜の源 新羅」には多くの寺社の名前や由来が登場します。
ということで、登場した神社の中で、『玄松子の記憶』に掲載していなかった神社を記念に掲載します。

三宅島の御笏神社(三宅島) を掲載しました。

東京から180Km南にある三宅島にある。
当社は三宅島の北部にあり、
三宅島を循環する212号線に面して北向きの境内がある。
212号線の北側には、島役所跡。
伊豆諸島最古の木造建築らしく、雰囲気のある建物。
その前庭には、捻じれたビャクシンの古木があり、
当社参道が、南へ続いている。

島役所は、もともと東郷に鎮座していた当社の近くにあったが、
当社の遷座とともに現在地に移転されたもの。
前庭のビャクシンは、移転当時に植えられたものらしい。

島役所跡から212号線を渡ると当社境内入口がある。
鳥居をくぐると、左手に祖霊社があり、参道を進むと境内。

参拝した時は、残念ながら拝殿が修築中で
社殿は足場に覆われていた。

拝殿の右手に、古社の雰囲気に似合わない三角柱の石碑が立っている。
本殿などの寄進者の名を刻んだものだが、ちょっと違和感。

拝殿の後方に、狭い階段が上へ延びており
階段上に、綺麗な本殿が鎮座している。

創祀年代は不詳。

式内社・佐伎多麻比咩命神社に比定される古社。
祭神の佐伎多麻比咩命は、三島大神の3番目の后。
『三宅記』によると、
「なこ・かね・やす・てい・したい・くらい・かたすけ・ひんすけ」
の八人の王子が三宅島に居るらしい。

佐伎多麻比咩命神社の「佐伎」に、尊称の「御」が付き、
さらに変化して「御笏」になったとも、
古笏を神体として祀ることから「御笏」と称するようになったとも。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:24 AM

志理太乎宜神社 (東伊豆町)

静岡県の志理太乎宜神社(東伊豆町) を掲載しました。

静岡県の東伊豆町にある。
伊豆半島の東側にあり、伊豆急行の片瀬白田駅の西。
135号線がカーブしている場所に、
道路に面して東向きの境内がある。

地図には「来宮神社」とあり、
鳥居扁額には「来宮社」、拝殿扁額には「来宮神社」と記されている。

鳥居をくぐると、広場のような境内。
参拝は正月二日だったためか、境内にはいくつかの提灯が飾られていた。

境内の西奥、一段高い場所に社殿。
拝殿は瓦葺入母屋造で、後方の覆屋の中に本殿がある。
案内によると、覆屋内部には二棟の流造社殿があるらしく
一方は、別殿の五十猛命を祀ったもののようだ。

本殿は、江戸時代中期の作。
拝殿は、明治三十九年十一月に新築され、
その後、数度の修築を経て、平成四年十月十日に大改修を実施したらしい。
創祀年代は不詳。
棟札によると、康永二年(1343)に再建されたようだ。

式内社・志理太(乎)宜神社の論社とされる神社。

祭神の志理太乎宜命は、
三嶋大神(事代主命)と第三后(佐伎多麻姫命)との間に生まれた
八王子の中の第五王子。『三宅記』には「志たひ」と書かれている神。

因みに八王子とは、
一に「なこ」、二に「加禰」、三に「やす」、四に「てい」、
五に「志たひ」、六に「くら井」、七に「かたすけ」、八に「ひんすけ」という。

鎌倉末期の『三宅記』には、
この八王子は三宅島の丑寅(東北)に生まれたとあり
志理太宜神社(志たひ)は、椎取(しいとり)神社であると考えられている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:06 AM

須賀神社 (新温泉町)

兵庫県の 須賀神社(新温泉町) を掲載しました。

兵庫県の新温泉町にある。
山陰本線・浜坂駅の南15Kmほどの新温泉町宮脇に鎮座。
岸田川に沿って47号線を南下し、さらに9号線を南西へ。
鳥取県との県境にある9号線の蒲生トンネルの手前500mほどで、
262号線を南下して500mほど。
岸田川の東岸の集落の中に、小さな境内がある。

ということで、もう少しで鳥取県という場所にあり、
古代の山陰道の要衝にある神社。

小山の麓にある境内は小さく、
鳥居と拝殿と本殿覆屋のみの簡素な構造。
拝殿は神門を兼ねているのかもしれない。

覆屋の脇に一本の木が聳えていたがヒノキだろうか。
当社のヒノキは、県内第3位と案内に書かれていた。

小さな神社だが、刈り取られた雑草が清々しく
緑の境内で気持ちがよい。
が、小さいのでのんびり過ごす雰囲気ではないが。
創祀年代は不詳。

式内社・湏加神社に比定される古社であり
三代実録に、貞観十年閏十二月二十一日、従五位下に叙された
「菅神」と考えられている神社。
古くは当郡五社内の一ノ宮と称されたらしい。

ただし、神社明細帳には永久二年(1114)創立とあるらしく
再建、修築の間違いだろうと『式内社調査報告』に記されている。
元禄三年に社殿を再建し、明治六年十月村社に列した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:16 PM