御嶽神社里社若宮 (黒沢口)

長野県にある、御嶽神社里社若宮(黒沢口) を掲載しました。

長野県の木曽町にある。
中央本線の木曽福島駅から西へ12Kmほどの三岳三つ屋に鎮座。
木曽福島駅から19号線を南下し、木曽川と王滝川が合流するあたりで西へ。
王滝川に沿って20号線を進むと、木曽町役場の三岳支所があり、
さらに700mほど進むと、「御嶽神社」と刻まれた社号標の立つ当社の参道入口。
そこから車道を上って行くと、当社境内の入口に到着する。

ただし、その入口は裏口になるようで、境内に入ると社殿の後方。
正面から参拝したかったので、社殿の横を通過して東側の参道を少し戻り参拝開始。
11月の晩秋の早朝、桧の林の中を歩くと、昇ったばかりの朝日が差し込んで気持ち良い。
当地はブッポウソウの繁殖地らしいので、上を眺めながら歩くが見当たらず。
社殿の前に到着。大きな拝殿のような神楽殿のような社殿の後方に、
拝殿があり、「御嶽神社」の扁額が掲げられている。
拝殿の後方には幣殿と流造の本殿。

境内の左手に祖霊殿があり、右手に土俵。
本殿の左手には境内社の豊受社、長田社、諏訪社、

長野県に引っ越してきた頃から、いつかは御嶽山に登ってみたいと考えていたが、
いつになるかわからないので、まず里宮をと、参拝してみた。
とにかく広く清々しい林の中の境内で、とても気持ちの良い神社だった。

当社は御嶽山(3067m)を奉拝する里宮の一つ。

御嶽山への一般的な登山口は、黒沢口と王滝口にあり、
黒沢口側では、御嶽山頂上剣ケ峰の頂上奥社と里社本社、
そして里社若宮である当社の三社を総称して御嶽神社(奥里三社)と呼び、
王滝口側では、王滝口頂上本社と里宮の二社。
だが、他にも別殿や遥拝所など、御嶽山全体に多くの関係社や史跡が点在している。

黒沢口御嶽神社の由緒によると創祀は光仁天皇宝亀五年(774)。
信濃国内に悪疫が流行した際、信濃守石川朝臣望足が御嶽に登山し、
大己貴命、少彦名命の二神を祀り、疫病除祓を祈ったのが起源。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:10 PM

坂本神社諏訪社 (中津川市)

岐阜県の坂本神社諏訪社(中津川市) を掲載しました。

岐阜県中津川市にある。
美乃坂本駅の南、直線距離で2.5Kmほどの茄子川字津戸井に鎮座。
19号線から北へ入った場所、東へ行くと中津川公園がある。

参道の入口は北向き。
大きな鳥居が立っており、鳥居の奥は木立の参道。
参道を抜けると小さな橋。橋を渡った森が当社の境内。
境内入口に鳥居が立ち、鳥居の脇には
「式内坂本神社」「坂本天満宮」と記された社号標がある。
鳥居扁額にも「坂本神社」とあるが、
当社の正式名は諏訪神社。ただし、境内入口の由緒石碑などには
「坂本神社諏訪社」とあるので、当サイトでも坂本神社諏訪社としておく。

境内入口の鳥居をくぐり参道を進むと、もう一つの鳥居。
さらに進むと直会殿があり、直会殿の前から左手に参道階段を登って行く。
階段上には神楽殿があり、さらに階段を上った場所に当社の社殿が並んでいる。
つまり、社殿の向きは西向きなのだ。
拝殿は壁の無い形式で、拝殿の奥に流造の本殿がある。

参拝は晩秋の朝。
枯葉の散った境内は茶色くて美しい。
境内には何本もの立派な御神木があり、根元の苔も美しい。

社伝によると、文武二年(698)の創祀。
当時は豊城入彦命を祭神とする坂本神社として、
現在地の北1Kmほどの深沢に鎮座していたという。

延喜式にも記載される大社であったが、
延文二年(1357)三月野火のために焼失し、現在地に遷座。
建御名方神外二柱を奉斎し、江戸時代の延宝・慶長以降修復を加へて
諏訪神社と称するようになったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:26 PM

春日神社 (砺波市高波)

富山県にある、春日神社(砺波市高波) を掲載しました。

富山県砺波市にある。
JR城端線・砺波駅の北西5Kmほどの高波に鎮座。
48号線に面して北北西向きに境内入口がある。

鳥居の左脇に「春日神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると、左手に東宮森公民館。
境内は、雑草が刈り取られ、参道には花が植えられており、
地域の方々によって、綺麗に維持されている神社だとわかる。

拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は覆屋の中。
拝殿の前面に鉄の門扉が設置されており、輪宝紋が付けられていた。
拝殿屋根の上部にも輪宝紋があり、当社の神紋だと思う。

参拝は晩秋の日の午後。夕方近く。
社殿にオレンジ色の夕陽があたっていた。

創祀年代、由緒は不詳。
『式内社調査報告』に、式内社・長岡神社の論社として宮森の社が挙げられており、
東宮森の春日社か、西宮森の八幡社の何れかを長岡神社とする説があるらしく、
この「東宮森の春日社」が当社のことだと思う。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:11 AM

八幡宮 (砺波市高波)

富山県にある、八幡宮(砺波市高波) を掲載しました。

富山県砺波市にある。
JR城端線・砺波駅の北西5Kmほどの高波に鎮座。
道順は言葉では説明できないが、田の中にポツンと一つ、社域の森がある。

東向きに参道入口があり、「八幡宮」と刻まれた社号標が立っている。
参道を進むと、境内入口の鳥居。境内や社殿は北向き。
鳥居をくぐると、右手に「西宮森集落農事集会所」、つまり公民館がある。
鎮座地の字が西宮森なのだと思う。
『平成祭データ』には、当社の通称は川田八幡宮ともある。

境内の南奥に社殿。拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿覆屋も瓦葺。
残念ながら本殿の形式は判らない。

境内左手に由緒を刻した立派な石碑が建てられている。

参拝は晩秋の日の午後。夕方近く。
境内はそれほど広くは無いが、雑草は綺麗に刈り取られ、
植栽も美しく、氏子の方々に大事にされている農村の神社だ。

社伝によると、垂仁天皇の頃、阿彦という凶賊がおり
阿彦討伐の勅命を受けた大若子命が、下向の際、
越の小竹野において戦略会議を行っていた時、白姥(白髪の老婆か)が現れ、八権布八折を授けた。
大若子命は、教えに従い、その布で八鉾の幡を作り、阿彦を攻め、これを平らげた。
大若子命凱旋の途次、ここに祠を建て、八鉾の幡を納めて八幡宮として祀ったという。

『式内社調査報告』に、式内社・長岡神社の論社として宮森の社が挙げられており、
東宮森の春日社か、西宮森の八幡社の何れかを長岡神社とする説があるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:12 AM

大間々神明宮 (大間々町)

群馬県の大間々神明宮(大間々町)を掲載しました。

群馬県のみどり市(旧大間々町)にある。
わたらせ渓谷鉄道わたらせ渓谷線・大間々駅の北東、
渡良瀬川の高津戸峡の「ながめ公園」の脇に境内がある。

境内から高津戸峡を見渡せる場所があるのだが、
樹木が密生して、何も見えなかった。
境内の近くにある、「はねたき橋」や周辺の遊歩道に行けば
美しい写真が撮れるかもしれない、と思いながら参拝し、
参拝を終えたら、すっかり忘れてしまって、残念ながら写真はない。

境内入口は南西向き。
338号線から、緩やかに下る参道があり、境内入口には石造の神明鳥居。
鳥居をくぐると、左手に手水舎。境内右手に神楽殿。
広く美しい境内の奥に、神明造の社殿がある。

境内の由緒書によると、鎮座六百五十年、中興遷座四百年の記念事業として
平成十二年に社殿が新築されたようで、社殿の右手に旧社殿らしき祠がある。

社殿の背後は、渡良瀬川。
境内の左右には林が広がり、散策路になっているようだ。
木漏れ日の射す晩秋の林は、とても気持ちが良い。

拝殿の扁額には「皇大神宮」とあるが、当社の正式名は神明宮。
ただ、御朱印に鎮座地の「大間々」が筆書きされていたので、
当サイトでは、大間々神明宮としておく。

社伝によると、南北朝時代の貞和三年(1347)、
現在地の東100mほどの渡良瀬川の伊勢ケ淵岩頭に、
天照皇大神が文袋坊によって祀られ、
黒川郷(渡良瀬川流域の里)の一宮として崇敬された神社。

慶長二年(1597)大間々町の鎮守として、現在地に仮宮をたて、
慶長四年(1599)正式に遷座したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:22 PM

中山神社 (恵那市)

岐阜県の中山神社(恵那市) を掲載しました。

岐阜県恵那市(旧串原村)にある。
恵那駅の南33Kmほどの串原に鎮座。
矢作川に近い山の上にあるゴルフ場の横に境内がある。

僕は西にある阿智町方向から当社へ向かったが、
403号線の車道の脇に鳥居が立っていた。
気になったので車を停めて見てみると、鳥居の脇に「中山神社」と刻まれた社号標。
地図を見ると、そのあたりから山へ入る道があるようで、
昔は、その鳥居付近から参道が境内へ続いていたのかもしれない。

あいにく、時刻は夕方近く、そろそろ暗くなりそうだったので、急いでゴルフ場を目指す。
ゴルフ場の前に当社の境内入口があり、車を進めると広い駐車場。
駐車場の脇に参道入口の鳥居が立っており、鳥居の前には、
ゴルフ場造成の時に移転した「弁慶の踏割石」がある。
鳥居をくぐり参道を進むと鬱蒼とした樹木の茂る境内。

参拝は晩秋の日の夕方。境内に入った頃から徐々に暗くなってきて、
社殿には灯りが灯っていた。
境内の地面は一面の落ち葉で、黄色いジュータンを敷き詰めたようだった。

境内の鳥居の左手に参籠殿のような二階建ての建物があり、
右手奥の階段の上に当社の社殿。
拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は元禄四年建立の銅板葺流造。

本殿の左右に狛犬の像が2体ずつ置かれており、
1対は狐のように耳が立っており、1対は耳が垂れた狛犬。
当社は山犬を神使としており、通称は「おいぬ様」。その山犬の狛犬だろうか。

『平成祭データ』によると、宣化天皇四年(539)、
大和国金峯神社の分霊を勧請したという古社。
ただし『美濃国神名帳』恵奈郡七社に当社の記載は無いようだ。

『明治神社志料』では、創祀年代は不詳だが、
串原城主遠山家が吉野の金峯神社の分霊を勧請、鎮祭し、
府城の鎮護神として崇敬した神社とある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:10 PM