久目神社 (氷見市)

富山県にある、久目神社(氷見市) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見線・氷見駅の西12Kmほどの久目に鎮座。
415号線を7Kmほど西へ進み、64号線に入って4Kmほど南下する。

久目の集落に入り、集落の北端。上庄川の東に、社域の森がある。
境内入口は西向き、やや北寄り。
「延喜式内久目神社」と刻まれた社号標が立ち、石鳥居がある。

鳥居をくぐるとこんもりとした森の参道。
参道を進み、階段を上ると、暗く静かな境内に
堂々とした雰囲気の社殿がある。

拝殿は瓦葺入母屋造。周囲が雪除けで囲まれている。
拝殿の後方に、拝殿と比較して小さめの本殿があるが
これは覆屋なのかもしれない。

持って行った地図に当社の位置が記されておらず、
地元の方、何人かに道を聞きながら到着した。

「このあたりに神社はありませんか」と問うと、
「久目には四つの神社があって・・・」という答え。
「久目神社を探してるんですが」とさらに問うと、
「あ、それなら・・・」と教えていただいた。

久目の四つの神社とは、
当社・久目神社と神明社・八幡社・諏訪社の4つ。
3社は、久目神社の境外末社となっているが、
4つの神社が久目の集落を囲むように配置されていて面白い。
当地を開拓した久目部(久米直)の久目(久米)は、
隈(くま)の音転で、隅々まで守るという説がある。
この日の参拝は、氷見を出発して寄り道しながら長野へ戻る予定だったので
他の3社に参拝していないのだが、今になって後悔している。

式内社・久目神社に比定されている古社。

古来、久目部の後裔が、久目八ヶ谷を開墾して
大久目村(池田村)に居住し、祖神を大和から勧請した神社。

久目神社から西へ2Kmほどの見内に戸宮五社という神社がある。
五男神を祀る戸宮五社は、久目神社の外宮と考えられているらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:05 午前

御嶽神社 (上田市)

長野県にある、御嶽神社(上田市) を掲載しました。

長野県上田市にある。
しなの鉄道・大屋駅の南西7Kmほどの御嶽堂に鎮座。
152号線を5Kmほど南下して西へ入り、依田川を越えて西へ行くと
車道に面して、参道入口に赤い鳥居が立っている。

鳥居の左手に灯籠が立ち、右手には「郷社御嶽神社」と刻まれた社号標。
参道入口から、500mほど狭い車道を上って行くと当社に到着するが、
当社の手前100mほどの位置に、木曽義仲館跡がある。

『平家物語』に「木曽は依田城に有りけるが…」とある依田城の候補地。
治承四年(1180)、平家討伐のため木曽を出た義仲は、
依田氏の招聘を受けて当地に逗留し、養和元年(1181)白鳥河原にて挙兵した。

木曽義仲館跡から100mほど進むと当社の社域。
境内入口の鳥居をくぐると、鬱蒼と木々の茂る境内。
参道を進むと石組があり、石組の上に社殿。
拝殿の後方、覆屋根の設置された流造の本殿がある。

石組の手前、境内の左手に石祠が十個並んでいるが詳細は不明。
昔は、境内の左手の山腹に、四つの木造祠と五つの石祠が祀られていたが、
大正八年(1919)四月、上組内に散らばっていた
石尊社・諏訪社・白山社・三峯社・大神宮・稲荷社・金毘羅社を合祀。
平成十年(1998)新しく土台を造って祀りなおしたものらしい。

当社の社号・御嶽神社は『平成祭データ』には「おんたけじんじゃ」とあるが
鎮座地名の御嶽堂(みたけどう)同様、地元では「みたけじんじゃ」と呼ぶ。

創祀年代は不詳。
古来、依田村内の上組の産土神として崇敬された神社。

一説には、依田城に在った木曽義仲が、
「王の御嶽(みたけ)」として信仰していた木曾の御嶽山の神
(大己貴命・少彦名命)を祀ったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:05 午前

中山神社 (高山村)

群馬県の中山神社(高山村)を掲載しました。

群馬県の高山村にある。
高山村役場の東2Kmほどの中山に鎮座。
145号線を東へ進み、500mほど36号線を南に下って
東へ入ると、車道に東面して参道の入り口があり、鳥居が立っている。

鳥居をくぐり、小山へ続く山道を歩いて行くと
参道途中にも石の鳥居。扁額には「八幡宮」とある。
さらに山道を歩いて行くと、当社境内の背後に到着する。

参拝は晩秋十一月の正午頃。
境内は枯葉で覆われて、目に入る茶色と
歩くたびにカサカサと鳴る音と、木漏れ日の暖かさが心地よい、
そんな境内。

社殿は入母屋造瓦葺の拝殿と、後方の垣に囲まれて入母屋造の本殿。

社殿の左手に、大きめの境内社の祠があり、
右側には幾つかの石祠が祀られているが、
各社の詳細は確認していない。

境内は南東向き。境内は小山の南東側にあり、
僕は西側の参道から入って山道をしばらく歩いたが
小山の東側や南側にも境内へ入る参道があるようだ。

創祀年代は不詳。
社伝によると陽成天皇元慶二年(878)
美濃国一の宮南宮神社を勧請した古社で、
『上野国神名帳』に「従四位上 中山明神」とある神社。

現在の祭神の中に、南宮大社祭神である金山彦命は含まれていないが、
南宮大社内の三宮に高山神社という社があり、高山神社の祭神が木花咲屋姫命。
南宮山(中山)山頂には高山神社の奥宮が鎮座しており、
高山という名が、当社鎮座の高山村と関係あるのだろうか。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:45 午後

清水神社 (真島町)

長野県にある、清水神社(真島町) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野駅の南に直線で5Kmほどの真島町に鎮座。
鎮座地の真島は、古くは馬島と記され、
延喜馬寮式の官設牧場であったという歴史ある地。

長野南バイパスから犀川にかかる五輪大橋へ向かう道の南へ少し入った場所。
1998年長野冬季オリンピックで使用されたホワイトリング
(長野市真島総合スポーツアリーナ)の横に細長い境内がある。

境内入口は南東向き。鳥居扁額には「清水神社」。
鳥居をくぐると松並木の100mほどの参道が続く。
参道の左手はホワイトリングの駐車場があり、
駐車場の向こうに、銀色のUFOのようなホワイトリングが見える。

参道の中央に小さな石橋があり、さらに進むと社殿。
境内左手に社務所があり、正面に拝殿。
入母屋造妻入りの拝殿の後方に覆屋根が設置された流造の本殿がある。
また、拝殿の扁額には「式内清水神社」とあった。

参拝は10月初旬の午後。
境内では秋の例大祭の準備をされていたので、
拍手の音も控えめに、邪魔にならないように参拝した。

創祀年代は不祥。式内社・清水神社の論社。

祭神は廣國押武金日命。第二十七代安閑天皇のことだが、
「金日命」の名から金峯山の蔵王権現と同一の神と考えられており、
当社も鎮座地の字名・藏王沖から蔵王権現のことだとわかる。
さらに、文政八年(1825)当社家より
吉田家に提出された文書にも蔵王権現とあるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:58 午後

志乎神社 (宝達志水町)

石川県の志乎神社(宝達志水町)を掲載しました。

石川県の宝達志水町にある。
七尾線・敷浪駅の北東1Kmほどの荻谷、荻島、敷波の入会地に鎮座。
敷浪駅から東へ進み、159号線に入って北上すると、
159号線の東側、道路に面して境内入口があり、
鍵取山と呼ばれる小山の中腹に境内がある。
159号線がカーブしているので境内入口は北向きになるようだ。

参道の階段を上ると「式内郷社志乎神社」と刻まれた
社号標が立ち、さらに登ると石鳥居。
鳥居をくぐると大伴家持の歌碑があり、
木漏れ日の射す参道を歩くと階段の上に神門。
階段を上り、神門をくぐって左手に進むと大きな社殿がある。

入母屋造の拝殿には雪除けの板が貼りめぐらされており
入口には鍵かかっていたが、
昭和五十二年発行の『全国神社名鑑』所載の写真には、この板は無い。
昭和五十二年八月の大雨で崖崩れがあり
土砂流失によって社殿の一部が損壊。その後復旧したという。
その時に取り付けたのだろうか、それとも取り外し可能なのか。

大きな拝殿の後方の斜面に本殿の覆屋がある。
中の本殿は確認していないが、資料には神明造とある。

参拝は天気の良い十月の午後。
社前から見る境内は日射しのため眩しかったが、参道は暗く静か。
だが、神門をくぐると、再び明るく広い境内がひらけ、
とても晴れやかな印象を受けた。

社伝によると、崇神天皇五年、当地に疫病が流行り
多くの死者が出たため、勅して当社を建て祈願したという、
式内社・志乎神社に比定される古社。

通称は鍵取大明神。
毎年神無月(10月)に、各地の神々は出雲へ参集するが、
当社の祭神は、能登国内の諸神社の留守番として
諸神社の鍵を預かり、出雲へ行かずに能登国を守護するという。

鎮座地の宝達志水町は2005年(平成17年)、
羽咋郡の志雄町と押水町が合併して新設された町。
当社は、その志雄町に鎮座している。
この志雄町という町名から当社・志乎神社の社号となったか
あるいは、その逆だったのかわからないが、
合併によって「志」だけが残ったことになる。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:18 午後

河内神社 (沼田市)

群馬県の河内神社(沼田市)を掲載しました。

群馬県沼田市にある。
上越線・沼田駅の北方、地図上の距離で10Kmほどの
宇楚井(うそい)町に鎮座。
みなかみ町と沼田市の境にある三峰山(1123m)の中腹に境内がある。

沼田駅から三峰山を目指して北上し、
関越自動車道を越えて道なりに上って行くと
車道の突き当たりに広い駐車場がある。
その駐車場からさらに0.9Kmほど歩く。

駐車場からしばらく舗装された道を歩いて上る。
この道は山上で作業する人達の車道のようで
車道の終端にはUターン用のスペースしかなく、
駐車できないので歩くしかない。
その道の途中に天狗岩入口という看板が出ていたが
先の道が良く見えなかったので無視して上る。

舗装された車道の終端に、二つの祠。
一つは吾妻という社号を確認したので、駐車場脇の由緒にあった
吾妻谷社だと思う。もう一つが雷電社だろうか。
その祠の脇から、未舗装の狭い山道を上って行く。
歩きにくい山道だが、道の脇には大きな岩があり、面白い。

途中、休憩して水を飲んでいると、上の方から鈴の音。
三峰山登山を終えた人達が熊除けの鈴を付けて下って来る。
用心のため、僕も持参の鈴を腰に付けて登って行く。

山道の突き当たりに石の階段があり、階段上に鳥居。
鳥居をくぐると当社の境内。
中央に黒い入母屋造の屋根に渋い赤色の拝殿。
拝殿の後方には、これも入母屋造の美し本殿がある。

通称は三峰様。
創祀年代は不詳。一説には二條天皇平治元年の創祀と伝えられ、
あるいは、『上野国神名帳』に「従三位 大社明神」とある古社。

河内の社号は、『全国神社名鑑』などの資料によると、
利根川と片品川の内にあるためとある。

ただし、駐車場脇の由緒書きによると、
社頭の宮下氏の祖である宮部右馬頭藤原義信は河内国の領主であったので、
河内国から河内国一宮の枚岡神社を勧請したことからとある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:01 午前