白山神社 (南越前町)

福井県の 白山神社(南越前町) を掲載しました。

福井県の南越前町にある。
北陸本線・湯尾駅の東10Kmほどの瀬戸に鎮座。
田倉川に沿って476号線を東へ。
瀬戸の集落の中に少し入った場所に境内がある。
境内は小さな丘。

丘の麓に遊具などが置かれた場所があり拝殿がある。
拝殿の右手に、丘へ登る階段があり
階段を登ると正面に本殿。
本殿の側面は、雪囲いだと思われる板で覆われている。

創祀年代は不詳。由緒も不詳。

式内社・兄子神社の論社の一つ。
兄子(せこ)と鎮座地の瀬戸の近似により
式内社と考えられているらしい。

本殿の参拝を終え、麓を見下ろした時、
「神様はこの視線で見ているのだろうか」と、
ちょっと思った。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:12 午後

浅間神社 (八鹿町)

兵庫県の 浅間神社(八鹿町) を掲載しました。

兵庫県の養父市にある。
八鹿駅の北東4Kmほどの八鹿町浅間に鎮座。
円山川を越えて出石方面へ向う道の途中に
参道入口の鳥居が建っている。
鳥居の脇には「式内淺間神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を北上すると
周囲を木々に覆われた境内。
左手奥は竹林になっているようで
良い感じの境内だ。

境内に一基の井戸があることから
鎮座地の字を「井戸前」といい
当社も「井戸の宮」と呼ぶらしいのだが
残念ながら、参拝時には井戸に気付かなかった。
撮影した写真でも井戸は確認できない。

社殿は、入母屋造の拝殿と
後方一段高い場所に流造の本殿。
ともに、鉄パイプで補強されていたが傷んでいるのだろうか。

創祀年代は不詳。
式内社・淺間神社に比定されている古社。
祭神は木花開耶姫命。

昭和六年に同地区のあった葛(かつら)神社と八柱神社を合祀した。

合祀されて葛神社は、式内社・葛神社に比定されている古社。
元は浅間字堂ノ奥に鎮座していたらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:23 午後

大家神社 (新温泉町)

兵庫県の 大家神社(新温泉町) を掲載しました。

兵庫県の新温泉町にある。
山陰本線・浜坂駅の東2Kmほどの二日市に鎮座。
岸田川の東岸、178号線から二日市温泉方向へ
400mほど南下すると、道路が緩くカーブしている場所の
西側に境内がある。
当社境内には鳥居がないようで、最初はお堂かなにかかと思った。
そんな境内。

境内に入ると、参道左手に立派な木が聳えており、
参道の奥、石段の上が、社殿のある境内。
参道脇にはツツジが咲いており、
非常に綺麗に手入れされているという印象。

境内社などはなく、社殿は覆屋のみ。
覆屋の中には、小振りの本殿がある。

当社社号「大家」は『平成祭データ』には「おおや」とあるが、
『式内社調査報告』では「おおいえ」と記されている。

創祀年代は不詳。

『美方郡誌』には
「人皇六十代醍醐天皇ノ御宇神社取調ノ際
既ニ建立サレアリシヲ見レバ」とあり
西暦900年前後には、すでに存在していたと言う。

式内社・大家神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:10 午後

椎取神社 (三宅島)

三宅島の椎取神社(三宅島) を掲載しました。

東京から180Km南にある三宅島にある。
三宅島は火山の島で、2000年の噴火から5年間全島避難が続いていた。
2005年に避難解除され、島民は島に戻り、
そろそろ神社参拝も可能だろうと、2008年5月訪問した。

椎取神社は三宅島の北東部にあり、
島を一周する道路の側に境内がある。

周囲の山肌は、葉の全く無い白い木立が無数に立ち並び
世紀末のような異様な雰囲気。
以前は、鬱蒼と茂る椎の大樹の原生林だったらしいが、
2000年の噴火のため、当社境内も泥流に埋もれてしまった。

今では、昔の境内の右手に、新しい拝殿と赤い鳥居が立っているが
以前の鳥居は、笠木の部分のみ露出して、奥の拝殿は屋根だけが見えている。

当社社号「椎取」は『東京都神社名鑑』等には「しいとり」と記され
『日本の神々』には「しとり」とある。
古文書には「倭文」「志取」とも記されているので
「しとり」が正しいのだろう。

境内の奥へ続く道を少し進み、
大きな岩を回り込むように右手奥に進むと
岩陰に当社の奥殿が祀られている。

創祀年代は不詳。
式内社・志理太(乎)宜神社に比定されている古社。

祭神は志理太宜命。「しりたき」と読むが、
もとは「したい」だったらしい。
『三宅記』によると、神着の御笏神社に祀られている
三島大神の3番目の后・佐伎多麻比咩命には、
「なこ・かね・やす・てい・したい・くらい・かたすけ・ひんすけ」
の八人の王子がおり、5番目の「したい」が当社祭神だと考えられている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:12 午後

三原神社 (伊豆大島)

伊豆大島の三原神社(伊豆大島) を掲載しました。

伊豆半島の南東25Kmにある大島(伊豆大島)にある。
大島の中心部にある火山・三原山(764m)山頂に鎮座。

伊豆大島へのアクセスは、東海汽船を利用するか、飛行機を利用する。
東海汽船を利用する場合は、大型客船かジェット船になるのだが
その入港地が波の状態によって、
大島西部の元町港か、大島北部の岡田港になる。

三原山へ登るルートはいくつかあるが
僕は元町近くの「御神火スカイライン」から。
山頂付近に駐車場があり、茶屋や展望台がある。

山頂といっても、三原山山頂はカルデラ状になっており
駐車場からさらに内輪山まで遊歩道(2.2Km、45分)を歩く。
その内輪山の上に、当社境内がある。

駐車場近くの展望広場入口近くに、内輪山山頂への遥拝所が
ひっそりと鎮座している。

内輪山までの遊歩道は、綺麗に舗装された道。
最初は少し下って、平原の中の平坦な舗装路を歩くと内輪山の麓。
ここまでは鼻歌交じりに進めるのだが、そこから登りが少し辛い。
風も強いので、注意しながらゆっくり登ると、
大きな岩の横に鳥居が立っている。

鳥居をくぐり、火口から出る方向に坂道を下ると境内。
境内の中、社殿付近まで溶岩が迫っており、
中央部に赤い屋根の白い社殿がある。

創祀年代は不詳。

寛政三年(1791)の『南方海島志』には
「本宮三原明神、一島ノ本祠なり」とあり、
『伊豆七島志』には
「三原全山ヲ祭リテ祠宇ナク、タダ山麓ニ拝所及華表建ルノミ、
従来一島ノ総鎮守ト称ス」とあり
古来、三原山全体が無社殿の「三原明神」として崇められ
全島の奥宮として、麓の村々の主な神社は、みな三原明神の遥拝所であった。

最初に社殿が建てられたのは、大正末期から昭和初期のことらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:36 午後

稲根神社 (御蔵島)

伊豆諸島・御蔵島の稲根神社(御蔵島) を掲載しました。

東京から200Km南にある御蔵島にある。
周囲17Km、住民260人(2008年現在)の小さな島だが
島の周囲にイルカが生息しており、
野生のイルカといっしょに泳げる島として人気があるらしい。

竹芝から前日夜出発する客船を利用。
翌朝、三宅島で降りる乗客達の騒音で起され、
朝6時頃、御蔵島へ到着。
ゴールデンウィーク明けの台風が去った後で、波は穏やか。
特に揺れることも無く、船酔いもせずに御蔵島へ上陸。
そして、予約しておいた民宿に到着。
少し仮眠して、御蔵島北西部・里の集落にある稲根神社へ参拝。

集落の奥、保育園に境内入口がある。

参道階段を登ると鳥居。
鳥居の右脇に「バイキング号記念碑」。
江戸時代、アメリカの商船バイキング号が御蔵島に座礁。
当時の島の住民の倍ほどの船員・渡航者を救助した事件の記念碑。
記念碑の脇には、バイキング号の錨の巻上げ機を台座に加工した灯籠と
バイキング号の錨がある。

鳥居をくぐると玉石の参道階段が二手に分かれている。
正面が稲根神社社殿へ、右手の参道が三宝神社の石祠へ続く。

正面階段を登ると拝殿があり、右手に御笏神社が祀られている。

創祀年代は不詳。江戸時代には鍵取神社とも呼ばれており、
式内社・伊大氐和氣命神社に比定されている古社。

「伊大氐」と「稲根」の音が似ているからという理由や
「伊大氐」は「岩楯」であり、御蔵島の断崖を意味するという説がある。

口碑によると、
昔、当島の稲根山山頂に毎夜光輝くものが出現し
島の四方を照らしたという。
(あるいは南風が吹く、あるいは鈴の音が鳴り響く)
島民が近づいてみると、カクレミノの木に立派な鏡がかかっていた。

当島の神主が、里へお迎えしようとしたところ
出現した神が、その地を好まれたことから
稲根山の岩にお祀りし、後に堂宇を建てて祀ったという。

事前に観光案内所に頼んでいたガイドさんが宿に迎えに来てくれる。
ガイドさんの運転で、御蔵島西側の都道・林道を南下。
恒例らしく、途中、草祀りの神様に草を供える。
草を供えることによって入山している印とし
里へ戻る時に、自分が供えた草を取り除くのだ。
草祀りの神様は、島の東側の道にもあるらしい。
さらに車で南下して林道の終点、えびね公園で車を降り、
そこから本殿までの山道を歩く。
距離は1Kmほどだが、150mほど下った場所にあり
階段の道が続く。

しばらく歩いていると、山道の側に
丸石を祀り、小さな鳥居が立てられている場所がある。
御祭神が鏡として最初に出現した場所らしい。

さらに進むと、岩がひび割れた場所。
ガイドさんの話では、そこに最初に祀られたという。

さらに山道を進むと、
山の斜面、覆屋根の下に稲根神社本殿が鎮座している。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:50 午後