湯澤神社 (野沢温泉村)

長野県にある、湯澤神社(野沢温泉村) を掲載しました。

長野県の野沢温泉村にある。
飯山線の戸狩野沢温泉駅から東へ8Kmほどの豊郷に鎮座。
野沢温泉村役場から東へ入った突き当たりに境内がある。
道路の案内には「健命寺」とあるが、健命寺の西隣りに当社がある。

境内入口には白木の両部鳥居。
鳥居の右脇には「郷社湯澤神社」と刻まれた社号標があり、
その前に由緒書きの案内板がある。
鳥居をくぐり参道階段を上ると社殿。
参道脇には立派な木々が聳えている。

拝殿は入母屋造。元は萱葺だった雰囲気。
拝殿の後方に本殿があるが覆屋の中になるようだ。

参拝は2011年4月の始め。
周囲の道路には雪はなかったが、境内には多くの雪が残っている季節。
東日本大震災に続いて発生した長野県北部地震で被害を受けた
栄村を訪問した帰りに寄ってみた。
当社では境内隅の灯籠が倒れていた程度で大きな被害はなかったようだ。

境内右奥に二階建ての神輿殿。
その奥に立派な建物があるが、そこはもう健命寺境内になっているようだ。

創祀年代や由緒は不詳。
野沢温泉の産土神・総鎮守として崇敬された神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:59 午前

日宮神社 (氷見市中央町)

富山県にある、日宮神社(氷見市中央町) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見駅の北1.5Kmほど、氷見市役所の北100mほどの中央町に鎮座。
415号線に面して東向きに境内入口がある。

入口右手には「日宮神社」と刻まれた社号標。
参道を進むと石の鳥居が立っており、
鳥居をくぐると右手に漆黒の神馬像。腹に桜の紋が美しい。
参道左手には倉が並んでおり神輿が納められているのだろうか。

さらに参道を進むと正面に美しい朱の拝殿。
ただ、参拝が早朝だったためか、拝殿の黒い扉が閉じられていた。
『全国神社名鑑』の写真では、扉が開放されているので
日中であれば別の姿が見られるのかもしれない。
だが、個人的にはこの黒い扉がエキゾチックな雰囲気で良い感じ。

拝殿の後方、少し離れた場所に入母屋造の本殿は、
朝日を浴びて輝いていた。
まさしく日出を見る日見(氷見)の地に鎮座する日宮神社の本殿。
鳥除けのためか、黒い網で保護されており、
忍者のようだなぁ、と思いながら参拝。

社伝によると天長五年(828)二月の勧請という古社。
神霊に玉・鏡・剣を祀る。

此の地は古く、比美の江と呼ばれた名所で、
万葉集に大友家持が「比美乃江過弖多古能之麻・・・」と歌った地。
潮頭日出を見るがゆえに、日見と称して天照大神を祀ったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:23 午後

子持神社 (渋川市)

群馬県の子持神社(渋川市)を掲載しました。

群馬県渋川市にある。
渋川駅の北9Kmほどの中郷に鎮座。
子持山(1296m)の南麓、参道入口の大鳥居から1.1Kmほど北上すると、
狭い車道の西側に境内がある。
また、本社からさらに2Kmほど登った子持山の中腹の岩の窪みに奥宮が鎮座。

到着した時は夜明け前でまだ真っ暗だったので、
とりあえず、奥宮まで車で登ってみた。

狭い車道をゆっくりと登って行くと、ヘッドライトの先に鹿のような動物が慌てて逃げて行く。
車道の突き当たりに車を停められる場所があり、子持山への登山口になっている。
しばらく車の中で待ち、明るくなって来た頃に参拝開始。
と思ったら熊出没の注意書きがあったので、あわてて車に常備している熊除けの鈴を腰に付けた。
登山口から少し入った場所に屏風岩という巨大な岩があり、
小さな鳥居が立っていた。
登山道をさらに登ってみようかとも思ったが、
登山が目的ではないし、熊が出ると嫌なので止めた。

車を停めた場所から少し下ると、車道の脇に赤い鳥居の奥宮がある。
社殿は斜面の上の方、岩の窪みにある。
赤い社殿の下に薪が積まれていたが、火を用いる神事でもあるのだろうか。

奥宮への参拝を終え、車道を下って本社へ戻り、車道脇に車を停めて参拝を開始。
参道を進むと「子持神社」と刻まれた社号標。
さらに進むと赤い鳥居が立っており、参道左手に手水舎がある。

境内は広く静か。
境内左手に神楽殿があるが、例祭日には神楽が奉納されるらしい。
拝殿は銅板葺入母屋造平入りで、後方の本殿は神明造と流造を足したような形状。
社頭の由緒書によると昭和31年に再建されたものらしい。

本殿の右手に、御足形のある石が置かれている。
昔、当社が火災で焼けた時、御祭神が奥宮へ非難した際に
ついた足形だと伝えられているようだ。
ちゃんと五本指の跡まで残っていて面白い。

創祀年代は不詳。
一説には崇神天皇の御代とも、嵯峨天皇の御代とも伝えられる古社で、
上野国神名帳に「従五位上兒持明神」とある神社。
また、日本武尊が東征のおり、木花開耶姫命他七柱を祀ったとも。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:05 午後

朝日神社・夕日神社 (氷見市)

富山県にある、朝日神社・夕日神社(氷見市) を掲載しました。

朝日神社
夕日神社

富山県氷見市にある。
氷見駅の北9Kmほどの小境に鎮座。
富山湾を右手に見て160号線を北上すると脇方を過ぎたあたりに短いトンネルがある。
そのトンネルを抜けると小境海水浴場があるが、トンネルを抜けてすぐの場所、
大栄寺の南の丘の上に境内がある。

160号線の脇に境内入口の鳥居が北向きに立っており、
鳥居の横には「朝日神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を進むと「金刀比羅大権現」と刻まれた石碑が祀られていて
右手の参道階段を上ると社殿のある境内。
よって社殿は東向き。
社号の朝日に相応しく、朝日を正面に浴びて鎮座している。

参拝は10月後半の朝7時頃。
境内から見える富山湾は、朝日にキラキラと輝いていた。

『富山県神社誌』によると、当地は鎌倉時代以前に伊勢神宮の神領地となり、
その時に勧請されたという古社。

朝日神社から北へ500mほどの場所、中学校の北側に夕日神社がある。
資料にある住所は小境となっているが、地図でみると大境となっている。

参道入口は東向き。参道を進むと鳥居が建っており、
鳥居の脇には「夕日神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を進むと、右手の斜面に社殿のある境内。
階段を上ると、朝日神社と似た感じの拝殿があり、
拝殿の後方、岩の上に本殿。
朝日神社が朝日の上る東を向いていたので、西向きを期待していたが
当社の社殿は南(やや西向き)を向いていた。

ただ、鳥居をくぐって参道を進み、右手の階段を上ると社殿がある構造は、
朝日神社、夕日神社共通であるのが面白い。

『富山県神社誌』には当社の創祀に関する記述はないが、
たぶん、朝日神社同様、当地が伊勢神宮の神領地となったおりに勧請されたものだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:50 午前

鬼石神社 (藤岡市)

群馬県の鬼石神社(藤岡市)を掲載しました。

群馬県藤岡市(旧鬼石町)にある。
八高線の群馬藤岡駅の南11Kmほどの鬼石に鎮座。
40号線、13号線、462号線を神流川に沿って南下した場所。
埼玉県との県境である神流川の西側、鬼石町の中央部西側に境内がある。

境内入口は462号線に面して東向き。
参道の階段の途中に「鬼石神社」と刻まれた社号標がある。
その脇の石碑には、第61回伊勢神宮式年遷宮の際に当地・鬼石の三波石が
皇大神宮大御前石階の改修に用いられたとある。
石のことはよくわからないが、鬼石の地名が示す通り、
当地は石の産地として有名なのだろう。

階段を上ると赤い鳥居。
参道を進むと左手に手水舎があり、右手に神楽殿、
正面に瓦葺入母屋造の拝殿がある。
拝殿後方に、垣に囲まれて銅板葺流造の本殿。
本殿の床下に社号のもととなった鬼石があるのだが
鍵がかかっていて近づけず、垣の間から覗くと
床下に10センチ程度の隙間があり、たしかに石(らしきもの)が見える。

参拝は11月の初旬の午後。
参道の木の葉は枯れ落ちていたけど、
社殿の周囲の木々は青々と茂っていた。

創祀年代は不詳。
江戸時代には鬼石明神と称し、元禄十六年(1703)宣旨をもって正一位を授けられ、
明治になって鬼石神社と改称し、郷社に列せられた。

御荷鉾(みかぼ)山(標高1246メートル)の頂に鬼が住み、
村人に害をなしていたが、弘法大師に調伏され、巨石を投げて逃げ去った。
その巨石が落ちたところが鬼石で、その石が今も村中にある。

また、大同の頃、御荷鉾山に伊勢国鈴鹿山の鬼神の子孫である二鬼が住み
里人を大いに悩ませていた。修行の途中立ち寄った弘法大師が
阿毘遮廬の護摩を焚かれたところ、鬼たちはいたく感じ、石と化した。
その石が遥かに飛んで神流川のあたりに留まった。
その地を鬼石村と号し、その精霊を祀って鬼石大明神とした。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:38 午後

諏訪社 (富山市諏訪川原)

富山県にある、諏訪社(富山市諏訪川原) を掲載しました。

富山県富山市にある。
富山駅の南西1Kmほどの諏訪川原に鎮座。
富山市内軌道線・諏訪川原駅の北に道路に面して南向きの境内がある。

境内入口には落ち着いたい色の赤い鳥居。
鳥居の左側に「諏訪社」、右側には「富山縣神社廰」と刻まれた社号標。
当社境内敷地内に富山県神社庁がある、
鳥居をくぐると右手に手水舎、正面に四角い池がある。
昔は自然の池だったが、現在は防火用水として整備されているようだ。

池の北側に瓦葺入母屋造の社殿。
境内は駐車場を兼ねているようで全面アスファルト。
街中の神社なので参拝には便利だが、少し味気ない感じではある。

参拝は10月後半の昼ごろ。
池に陽光が反射してキラキラと光っていた。

当社の通称は「亀の宮」。境内の片隅に亀を慰霊する「亀の碑」が建っている。
昔は多くの亀が棲みついていたらしく、現在の数匹の亀が棲んでいる。
参拝後、池をのぞくと、中央に石組までの石の上に亀が甲羅干しをしていたが
カメラを持って近づくと、みんな池の中に逃げてしまった。

当時、近江の伊吹山に鳧彦(かもひこ)という悪党がいて北陸地方の人々を苦しめていた。
天皇は見かねて、越前の甲賀三郎と越中宮川庄高柳の郷田次郎に討伐を命じた。
二人を伊吹山の鳧彦を討ち、さらに飛騨から越中に進んで各地の悪党を退治した。

越中に入り、甲賀三郎はしばらく郷田次郎の家に滞在していたが
ある日、一人で広い川原へ出かけると大きな穴を見つけ、
中をのぞくと一人の美しい姫が助けを求めていた。

姫を救出し帰ろうとしたところ、姫は穴の中に母の形見の鏡を忘れてきたという。
そこへ、三郎の帰宅が遅く心配した郷田次郎が探しに来た。

三郎は次郎に事情を話し、次郎と協力して穴の中から鏡を取ってこようと決め、
次郎にあげまきの端を持たせ、三郎が穴の中に入った時、
次郎は姫のあまりの美しさに心を奪われて邪心をおこし、姫を妻にしようと、
持っていたあげまきを放して三郎を穴の中に落としてしまった。

その時、姫の顔はたちまち怒りに満ち、
「私は諏訪の神である。せっかく楓が原で親切な三郎と出会えたのに、
お前のせいで三郎は信州へ去り、私だけが残されてしまった。
今後、池水が濁れば、人も住むことが出来なくなるだろう」と言い残し姿を消した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:00 午後