二宮神社 (三宅島)

三宅島の二宮神社(三宅島) を掲載しました。

東京から180Km南にある三宅島にある。
当社は三宅島の南西部にあり、
三宅島空港から約2Kmほど、
三宅島を循環する212号線に面して南向きの境内。
境内入口に、三宅村営バスの「坪田」停留所がある。

十段ほどの階段を上ると鳥居が立っており
鳥居をくぐって参道を進むと、正面に入母屋造の拝殿。
拝殿の屋根は銅板葺のようで緑色だが、
向拝柱は薄い朱色、柱や縁側は白く塗られ、
本州の神社社殿とはどこか違った雰囲気。

拝殿の後方、階段上の本殿は銅板葺の流造。
こちらも社殿は白と朱で塗られている。

本殿の右手に境内社らしき祠が三つ。
詳細は不明だが、中央の祠の中には青面金剛像らしき石仏があり
庚申塔なのかもしれない。
拝殿の右手にも、ちょっと大きめな境内社が一つ。
摂社か重要な社なのかもしれない。
『式内社調査報告』には、境内社として魔王神社の名があり
祭神は魔王なのだそうだ。

創祀年代、由緒は不詳。

『三宅記』に、三島大明神(事代主命)の第二后に関し、
「また次の后は彼の島の未の方に置参せ給う」とあり、
さらに「また次の女をば坪田に水海の並びに峯あり、夫に祝い参らせ」とあり、
次の后とは伊波乃比咩命、彼の島とは三宅島で、
三宅島の未、つまり南西の位置に式内社・伊波乃比咩命神社が存在。

昭和二十九年、小倉山の伊波乃比咩命神社が
現在地に鎮座していた菅原神社に合祀されて後に
菅原神社は二宮神社と改称された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:56 午前

石鎚神社 口之宮本社 (西条市)

愛媛県にある 石鎚神社 口之宮本社(西条市) を掲載しました。

愛媛県西条市にある。
JR石鎚山駅の南、11号線から少し入ると大きな朱の鳥居が立っている。
その大鳥居をくぐって南へ進むと鳥居や楼門が立ち、境内へ続く。

参道をまっすぐ進み階段を上ると、大きな石鎚神社会館。
会館の脇を通って、右手(西側)へ進むと、当社社殿がある。

当社は、その名の通り、四国第一の高峰霊峰石鎚山信仰の本社。
石鎚神社は、石鎚山北麓に鎮座する当社、口之宮・本社、
石鎚山中腹・石鎚登山ロープウェイ終点から徒歩20分の中之宮・成就社、
石鎚スカイライン終点の中之宮・土小屋遥拝殿、
そして、石鎚山(1982m)頂上の奥之宮・頂上社の四社の総称。
 
境内の奥には、石鎚山旧登山道入口がある。

山を信仰する神社としては珍しく
石鎚山を背にしておらず、社殿は東向き(やや南)。
参拝は年末だったため、鳥居脇には門松が飾られ、
拝殿では迎春準備の最中だった。

暖かくなったら石鎚山の成就社や頂上社に参拝し、
四社詣でてから掲載するつもりだったのだが、
それから十年(2012年掲載)が経過してしまった。
その後、何度か四国に行っが、いつも冬だった。
今後、しばらく四国へ行く予定が無いので、
とりあえず、口之宮だけでも紹介しておく。

石鎚は石槌とも書かれる場合があり、
石鉄とする古い資料もあるが、現在は石鎚で統一されている。

創建年代は不詳。
『万葉主』山部赤人の歌に「極此疑(こごしき)伊豫能高嶺」とある
石鎚山上に石土毘古命を祀った古社。
弘仁十二年(821)の『日本霊異記』には、
「伊予国神野の郡の部内に山あり。
名を石鎚山と号く。これすなわち、その山に石鎚の神ありての名なり。
その山高くそばだちて、凡夫は登り到ることを得ず。
だた淨行の人のみ登り到りて居住す」と。

往古天武天皇十三年(685)役小角が石鎚山にて祈誓したといい、
修験道の開祖・役小角(役の行者)によって開かれた山。
日本最古の山岳信仰の一つとして修験道の両部習合により
寂仙菩薩が石鎚蔵王大権現と称えて深く信仰し。登拝路を開き、
常住社(中之宮・成就社)を創立。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:04 午後

二俣神社 (いわき市)

福島県にある 二俣神社(いわき市) を掲載しました。

福島県いわき市にある。
いわき駅の北6.5Kmほどの小川町下小川に鎮座。
磐城街道(399号線)を北上し、夏井川を越え、さらに北上。
常磐自動車道を越えて、100mほどで西へ入った場所。

車道から境内の横に入る事が出来るが、境内入口は西側。
地図には「小川江筋」とある用水路のような小川に神橋。
橋を渡り、階段を上ると鳥居が立っている。

鳥居をくぐり、木々の茂った荘厳な参道を進むと
正面に広くて明るい境内。
境内入口の右手に舞殿があり、左手に手水舎。

境内奥(東側)に、西向きの社殿がある。
拝殿は銅板葺入母屋造。背後の本殿は流造。

参拝は天気の良い6月の午後。
砂地の境内は、日射しの強い日はコントラストが強い。

参道の左右に広がる林は古社の趣があり、
何かが潜んでいそうな雰囲気だ。

通称は二俣八幡宮。

創祀年代は不詳だが、
社伝によると貞観二年の勧請。

中世には一度廃絶しており、領主内藤義概の時に
探索・考証を経て、京都吉田家の許可を得て
式内社・二俣神社に比定されたようだ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:15 午後

宮王神社 (長野市)

長野県にある、宮王神社(長野市) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野駅の東14Kmほどの若穂綿内の山崎に鎮座。
上信越道の須坂長野東I.C.の南6Kmほどの場所だが、
言葉では説明しにくい場所に境内がある。

妙徳山の北西麓、というか中腹の集落の奥。
道なりにウネウネと登って行き、家が無くなったあたり。
山麓の斜面に境内がある。

境内入口は西向き。
赤い両部鳥居が立っており、鳥居扁額には「宮王神社」。
鳥居をくぐり参道を上ると、広く開けた境内がある。

境内の奥に入母屋造の拝殿があり、
拝殿の後方、一段高い位置に流造の本殿。
拝殿の左前には、信州の神社特有の御柱が立っている。

山の集落の奥という立地を考えると、
木々が少なく、明るい感じだが
境内右手の斜面には、木々の間に幾つかの石祠や磐が祀られており、
古社の趣のある静かな神社。

当社は式内社・越智神社の論社・小内神社の古社地。

越智神社は遷座したが、
当地の産土神として諏訪大明神への信仰が続けられ
天保十三年、正式に許可されたらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:36 午前

鷹野神社 (豊岡市)

兵庫県の 鷹野神社(豊岡市) を掲載しました。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・竹野駅の北東1.5Kmほどの竹野に鎮座。
1号線を北東に進み、竹野川を越えて竹野浜海水浴場へ向かうと
海の200mほど手前、道路脇に境内がある。

竹野川の河口部、海水浴場の近くにあり、
通称は「浜の天神さん」というらしい。

ハッキリとは覚えていないが、たぶん、境内入口は南向き。
参道脇に由緒書きの石碑があり、参道には石鳥居。
鳥居の左脇に「式内鷹野神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり松波木野参道を進むと
「鷹野神社」と染められた幟幡が並んでいた。
参拝は五月三日だったが、春季例祭の名残りだろうか。

境内は狭いのだが、梅鉢紋が染まられた幟や提灯が並んで
賑やかな雰囲気の神社だった。

参道を進むと、正面に瓦葺入母屋造の拝殿。
後方の本殿は、銅板葺の流造。

創祀年代は不詳だが、
式内社・鷹野神社に比定されている神社。

竹野鎮座のため、「タケノ」神社とも呼ばれるらしい。
竹野は、但遲摩(但馬)国造とされる
竹別(竹野別:タケノワケ)の居住地であったらしく、
当社は、竹別氏族の移住により創建されたといわれ
本来の祭神も、竹野別命・当芸志比古命とも考えられる。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:00 午前

木幡神社 (矢板市)

栃木県の木幡神社(矢板市) を掲載しました。

栃木県矢板市にある。
宇都宮線・矢板の南2Kmほどの木幡に鎮座。
30号線の木幡交差点から東へ入ると境内入口の赤い鳥居が立っている。

小さな丘の境内は南向き。
参道入口は、さらに南100mほどの場所にあり
参道入口には、冠木門が立っている。
冠木鳥居とでも呼べばよいのだろうか、
二本の柱に貫を通した形式の門のような鳥居。
その脇には「國寶 重要文化財 木幡神社参道 入口」と刻まれた石碑。

境内入口の朱の鳥居近くには「木幡神社」と刻まれた社号標。
鳥居扁額には「鹽谷惣社大明神」とある。

鳥居をくぐると、左手に湯殿山、熊野三神、易體山などの石碑。
階段を上ると、室町時代の建立された重要文化財の楼門。

楼門をくぐると、参道の右手に市指定有形文化財の鉄灯籠。
元和三年(1617)松平土佐守藤原忠義が日光東照宮に寄進したもの。
東照宮と関係深い当社へ移されたようだが
損壊部や亀裂があり、平成十三年補修修理したらしい。

ただ、参拝は東日本大震災から2カ月後で、
補修された鉄灯籠は、残念ながら壊れていた。

参道左手に手水舎は社務所が並び、参道正面に当社の社殿。
入母屋造の拝殿の後方には、これも室町時代の重要文化財・本殿。
楼門と同じく朱に塗られていた、鮮やかで美しい。

社伝によると、桓武天皇延暦年間、
坂上田村麻呂在京の時、山城国宇治郡許波多神社(木幡神社)を信奉。
延暦十年、大伴弟麿らと蝦夷追討の命を受け
許波多神社に参詣し追討の成功を祈願し、
成功の後には一祠建立を誓った。

後、下野国鹽谷郡峯村に陣を設け、
遠江国の高島信保・信房兄弟を従えて追討に成功。
延暦十四年、田村麻呂凱旋の折りに、
当地に当社を創建し、山城国より木幡神を勧請したという。
この時より、峯村は木幡村と称するようになった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:00 午前