加茂社 (射水市)
富山の 加茂社(小杉町) を掲載しました。合計1747社。
参拝は四月後半のゴールデンウィーク中だが、
何かの祭があるようで、参道には御神燈が並び、
拝殿には臨時の階段が設けられていた。
拝殿後方の本殿覆屋(蛸堂)の横にも
臨時の参道が付けられ、御神饌が並んでいた。
たぶん、普段は閉じていると思われる蛸堂の扉が開けられていたので、
内部の本殿も撮影。
式内社・草岡神社の論社の一つで、
山城国加茂より勧請された古社。
富山の 加茂社(小杉町) を掲載しました。合計1747社。
参拝は四月後半のゴールデンウィーク中だが、
何かの祭があるようで、参道には御神燈が並び、
拝殿には臨時の階段が設けられていた。
拝殿後方の本殿覆屋(蛸堂)の横にも
臨時の参道が付けられ、御神饌が並んでいた。
たぶん、普段は閉じていると思われる蛸堂の扉が開けられていたので、
内部の本殿も撮影。
式内社・草岡神社の論社の一つで、
山城国加茂より勧請された古社。
岡山にある、総社(総社市) を掲載しました。合計1746社。
当社祭神は、大名持命・須世理姫命と神祇官斎祀八柱神。
さらに、備中国内官社18社とその他の社286社の祭神を祀っており、
備中国の総社。別称、総社宮とも総社大明神とも崇められてきた古社。
鎮座地の総社市の起源でもある神社。
境内社・沼田神社は、式内社・野俣神社の論社。
現在は、沼田天神とも呼ばれ、菅原道真を祀る天満宮と
一緒に祀られている。
奈良の 森神社(天理市) を掲載。合計1745社。
鳥居をくぐり境内に入ると、
右手に、垣に囲まれて聳える樹。
その根元に一つの祠がある。
祭神は、天兒屋根命。
江戸時代の段別帳に「亀の甲田」という地名があり。
一説に亀卜の神・亀津比女命とする。
式内社であることを主張するため、
明治になって、太祝詞神社へ社名を復そうという運動があったらしい。
岐阜にある、多岐神社(養老町) を掲載しました。合計1744社。
多芸郡は、『古事記』に、
倭建命が伊吹山から三重へ向かう途上に立ち寄られ、
疲れている状態で「吾が足得歩まず、たぎらぎしくなりぬ」
と言ったことから、当芸と名づけられたと記されている土地。
当社は、当地を支配していた古代の豪族・多芸氏が
その祖神を祀った神社と考えられる古社。
本殿の裏には円墳もあり、
昔は、大塚大社とも呼ばれていた。
円墳には妙法経が埋められていたらしい。
能登の 能登生國玉比古神社(氣多本宮)
を掲載しました。合計1743社。
社伝によれば、
祭神・大己貴神が出雲国より所口の地に至り、
人々を苦しめていた、湖に棲む毒蛇を退治し、
当地に垂迹した。
よって当社を本宮と称す。
社殿は孝元天皇の御代に創建されたという。
崇神天皇の御代に、当社祭神を分霊し、
羽咋郡に勧請して気多神社を創建された、
よって当社を気多本宮と称するようになったという。
能登の 伊夜比め神社(七尾市) を掲載しました。合計1742社。
当初、現在地の東南1Kmの山中・ヤン
(別名イヤミ)という地に鎮座していたが、
現在地・八幡山へ遷り、八幡神社と合祀。
主祭神は、大屋津媛命。
当地は、良質の材木が産する地で、
祭神が、船材を伐り出すことを教えたという。