坂折天神社 (笛吹市)

山梨県にある、坂折天神社(笛吹市) を掲載しました。

山梨県笛吹市にある。
中央本線・石和温泉駅の南8Kmほどの御坂町竹居に鎮座。
言葉では道順を説明できないけど、地図を見ながらなんとか到着したのは夕方近くだった。

畑に面して南西向きに社域の杜。集落のはずれにある鎮守の森。そんな境内。
鳥居の左手に「日本武尊御舊蹟 坂折天神社」と刻まれた社号標。鳥居の奥には立石。

当社の正式名は天神社。
日本武尊が東国征討の帰路に立ち寄った酒折宮の旧跡であるという伝承があり、「坂折天神社」と呼ばれているのだろう。

鳥居をくぐり境内に入ると二基の灯籠と社殿。
社殿の左手には埴山姫命と秋葉大神の石碑。
他にも丸石や石祠などがいくつか。

当社の創祀年代・由緒等は不明。

『古事記』に倭建命の東国征討の帰路、
「すなはちその国より越えて甲斐に出でまして、酒折宮に坐しし時、歌曰ひたまはく、新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる とうたひたまひき。ここにその御火焼の老人、御歌に続ぎて歌ひて曰はく、日日並べて 夜には九夜 日には十日をとうたひき。ここを以ちてその老人を誉めて、即ち東国造を給ひき。」
とあり、『日本書紀』にも同様の記述がある。
その酒折宮は一般には、甲府市の酒折宮のこととされているが、当社の鎮座地こそ、若彦路に沿う「酒折」であるという異説があるらしく、また、鎮座地の竹居は「タケル」が住まわれたところから名付けられたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:14 PM

宇氣比神社 (松阪市嬉野)

三重県の宇氣比神社(松阪市嬉野) を掲載しました。

三重県松阪市にある。
松阪駅の西25Kmほどの嬉野上小川町に鎮座。
166号線を西へ進み、伊勢自動車道を通過して29号線へ。
29号線を12Kmほど西へ進み、30号線に入って中村川を3Kmほど遡った場所。

山奥の集落にある川沿いの境内。境内入口は西向き。
鳥居の左手に「宇氣比神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり橋を渡って、参道を左手に折れ、川沿いの参道を進むと社殿のある境内。
境内北奥に南向きの社殿。拝殿の後方に流造の本殿がある。
社前の案内板によると、旧嬉野町内の神社の多くは神明造の本殿だが当社の本殿は流造で、大和の影響を受けているとある。

拝殿の右手に御神木の大木があり、御神木の脇から本殿が見える。

創祀年代は不詳。
古来、八王子と称した産土神で、古くから小川郷に奉斎され、小川神社とも呼ばれていたらしく、式内社・小川神社の論社であった。
だが、明治三年の神社取調べぼ結果、式内社に比定するには根拠が乏しいとされたらしい。

当社の社号「宇氣比」は、『三重県神社誌』などによると「うきひ」と読むらしいが、
三重県内の他の宇氣比神社は「うけひ」と読むので、本来は「うけひ」なのだと思う。

当社は八王子と称していたが、八王子とは須佐之男命と天照大御神の誓約(うけひ)によって生まれた五柱の男神と三柱の女神の総称。
拝殿にも「御祭神」として以下の八柱の神名が列記されていた。
(正勝吾勝勝速日天忍穗耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・多紀理毘売命・市寸嶋比売命・多岐都比売命)



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:43 PM

姫宮神社 (富士川町)

山梨県にある、姫宮神社(富士川町) を掲載しました。

山梨県の富士川町にある。
身延線・鰍沢口駅の西7Kmほどの高下の仙洞田に鎮座。
富士川を渡って52号線から406号線を西へ進み、八幡トンネルを通過して500mほど、道から東を眺めると小川のほとりに社域の杜が見える。

境内は狭い道が湾曲した場所にあり、朱の両部鳥居が立っている。
鳥居をくぐり階段を数段上ると瓦葺の拝殿があり、拝殿の後方、覆屋の中に本殿がある。

当社の正式名は諏訪神社。
鎮座地である仙洞田ゆかりの姫を合祀しているため、一般には姫宮神社と呼ばれて親しまれている。

当社の創祀年代等は不明。
仙洞田地区の氏神として崇敬されている神社。

昔、当地に住んでいた仙洞田何某という若者が宮中に仕え、帰宅に際して、浅黄媛という姫をいただいた。

姫は、この部落で生活することになったが、農家の仕事がわからず、ある日、麦を臼でつけどもつけども麦の皮がむけず、悲しみのあまり涙を流したという。

ところが、その涙がついていた麦にこぼれ、麦をつくことができた。
麦つきには水を入れることを知らなかったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:38 AM

牛庭神社 (松阪市下蛸路)

三重県の牛庭神社(松阪市下蛸路) を掲載しました。

三重県松阪市にある。
紀勢本線の相可駅の北3Kmほどの下蛸路町に鎮座。
42号線を北上し櫛田川を渡って1Kmほど、59号線との交差点付近に境内がある。

59号線側にも鳥居が立っており境内に入れるが、たぶんこれは裏参道。
表参道は境内の南東側。社前は広場になっている。

参拝は3月中旬、雨の早朝。
境内はまだ暗く、社前の外灯がともっていた。

鳥居の脇には「牛庭神社」と刻まれた大きな社号標。
鳥居をくぐり、石畳の参道を進むと右手に手水舎。
手水舎の後ろに岩があり、注連縄されていた。

参道の正面に拝殿があり、拝殿の周囲には白い玉石が敷かれていて、
奥の瑞垣の中に神明造の本殿がある。
社殿の周りに山神などと刻まれた石が祀られている。

創祀年代は不詳。
元は牛峯神社、牛峯両宮とも称されていたが、
式内社・牛庭神社の論社であり、
明治三十年十月十四日、許可を得て牛庭神社と改称された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:23 PM

入善神社 (入善町)

富山県にある、入善神社(入善町) を掲載しました。

富山県の入善町にある。
北陸本線・入善駅の南500mの入膳に鎮座。
花月公園の南側に、道路に面して西向きの境内がある。

参拝は晩秋の十一月、雨の午後。
花月公園の駐車場に車を停めて参拝。

境内入口には白い両部鳥居が立っており、右手には「郷社入善神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり境内に入ると、参道正面に社殿。
拝殿は銅板葺入母屋造。拝殿の後方に中門があり、瑞垣に囲まれた流造の本殿。
拝殿や本殿はガラスで覆われていた。北陸の神社に多い形式だ。

社殿の左手に「入善町戦没英霊の碑」が立っているが、その奥、表忠碑の上に女神像が置かれていた。
右手に釣竿を持って、左手に何かを捧げているような姿をしている美しい姫神。
入善町になにか、姫や女神に関する伝説でもあるのだろうか。
残念ながら調べていないのだが、とても印象に残っている。

創祀年代は不詳。
平城天皇大同元年(806)、山王という地に社地を替えたという古社。

後白河天皇第四皇子である茂仁親王北陸の宮と称し、治承年間(1177-1184)、木曽義仲義兵を挙げるに際し武運長久を祈願したという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:51 PM

金重明神社 (笛吹市)

山梨県にある、金重明神社(笛吹市) を掲載しました。

山梨県笛吹市にある。
山梨市駅の南4.5Kmほどの一宮町金田に鎮座。
202号線を南に下り、日川を渡って211号線を1Kmほど南下して東へ500mほど入った場所。スモモ畑の中の石祠に祀られている。

『郷土を救った人々―義人を祀る神社』(神社新報社)を見て訪ねた神社。
本には祠の場所について、金田のスモモ畑の中としか記されておらず、現地で探してみようと思ったが、金田は広く、同じような畑ばかりの土地だった。

とりあえず、農道を車でゆっくりと走り回り、それらしき場所は歩いて探したが見当たらず。
せめて祭神・金子重右衛門命の墓所のある西運寺だけでも、と思い、金田の南側にある西運寺へ。

西運寺の入口には「義民重右衛門之墓所」と刻まれた石碑が立っていた。
こちらなら祠の場所をご存じだろうと、呼び鈴を押し、出てこられた方(お聞きするのを忘れたけど、たぶん住職)にたずねると、わざわざ祠まで案内していただいた。感謝。

西運寺からまっすぐ東へ100mほど進み突き当たった場所にあるスモモ畑の前に、「義民重右衛門之碑」と刻まれた石碑が立っており、畑の中の石組の上に、小さな祠が一つ祀られている。

当社の「金重明神社」の読み方について、これもお聞きするのを忘れたので、「かねじゅうみょうじんしゃ」としておいたが、地元では別の読み方をしているかもしれない。

文久三年(1863)の創建。

寛政年間、山梨・八代郡にまたがる六十三ヶ村は田安候田中代官所の支配を受けていたが、代官所に山下治助という役人が配属された。山下治助は悪智恵に長けた悪代官で、
年貢米を測る一升桝を大きく作って不正な取り立てを行った(太桝事件)。

農民たちは苦しさの余り代官所に訴え出たが、逆に牢に入れられたり罰を受けた。
見かねた金田村の金子重右衛門大人、綿塚村の三沢重右衛門大人、熊野村の鮎沢勘兵衛大人をはじめ、各村の庄屋たちは協議し、資金を集めて、寛政四年十二月末、同志二十一名が死を決して江戸へ上り、寺社奉行根岸肥前守に直訴した。

しかし直訴は受理されず、代表たちは投獄され、過酷な拷問の末、鮎沢勘兵衛は牢死。
金子重右衛門と三沢重右衛門は、田中日川河原に引き出されて処刑され、七日間のさらし首の上、財産を没収された。

金子重右衛門の首は金田村風間市之丞の畑に埋葬されたが、金田村の人々によって文久三年祠に祀られ、金子の梅天神、金重大明神と崇められた。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:55 AM