蛭兒神社 (久美浜町)

京都府の 蛭兒神社(久美浜町) を掲載しました。

京都府京丹後市にある。
久美浜湾の出口近く、湊大橋の東側に境内がある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線の丹後神野駅から久美浜湾沿いに
49号線を3Kmほどだが、当社付近には民宿などが多いようで、
道が少し狭くなったり、クネクネと曲がっているので
もう少し距離があるかもしれない。

小学校の側、道路に面して南向きの境内。
境内入口には「蛭児神社」と刻まれた社号標が建ち、
数段の階段を上ると、石垣に囲まれた砂の境内。

境内右手には多くの石碑が並んでおり、
左手には、寛政十一年奉納された
「千石船三社丸」の模型が展示されている建物。

正面に入母屋造の拝殿があり、
後方の垣の中に社殿が三つ並んでいる。
中央が当社本殿、左右が摂社・日御前神社と大川神社。
「千石船三社丸」の名は、当社・蛭児神社と日御前神社・大川神社に因んだ名。

垣の右手に、朱の鳥居の境内社があり
中には天満宮と稲荷神社が祀られている。

当社社号は「蛭児」と書いて「ヒルコ」と読む。

通称は、日間の宮(ひまのみや)。
古来、日留居大明神と称された神社。

元は当社の西、大向にある四神ヶ嶽(173.5m)に奉斎されていたが
建暦年間(1211~1213)現在地に遷座。
玉葉集に鎌倉右大臣の歌
「神風や朝日の宮の宮移しのどかなる世にこそありかれ」
は、当社の遷座を歌ったものという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:32 午前

山神神社 (養父市)

兵庫県の 山神神社(養父市) を掲載しました。

兵庫県養父市にある。
八鹿駅の西5Kmほどの八鹿町八木に鎮座。
9号線の北側、お寺の脇に参道入口があり、
緩やかな坂道を100mほど登る。

途中、参道の右手に稲荷社らしき赤い祠があるが、
当社の末社だろうか。

さらに参道を進み車道を越えると境内。
境内は、緑の雑草に覆われているが、
ちゃんと定期的に刈り込まれている様子。

境内中央に参道があり、右手奥に参籠所と社殿がある。
本殿は覆屋の中だが、覆屋の前面は開放されており
中の本殿を見ることができる。
本殿の扁額には「山神社」と記されており、
たぶん「やまのかみのやしろ」と読むのだろう。

緑の境内には「垣」はなく、明るい太陽の下
非常に開放的な印象の神社だ。

創祀年代は不詳。

式内社・夜伎村坐山神社に比定されている古社。
夜伎村(八木)に鎮座する「山神社」ということ。

祭神は『式内社調査報告』には、伊弉冉命・速玉命・事解之男命とあり
『兵庫県神社誌』には、三柱に加えて
忍穂耳之尊・瓊々杵之尊の名が記されていた。
また、別の資料では大山祇命や八木明神などとある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:52 午前

齋神社 (養父市)

兵庫県の 齋神社(養父市) を掲載しました。

兵庫県養父市にある。
播但線・新井駅の北西8Km、養父駅の南西10Km(道なりに17Km)。
建屋川に沿って走る70号線に面して境内がある。

道に面して鳥居が建ち、右手に駐車スペース。
鳥居の左手には「郷社齋神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐった参道は木々に囲まれ、
強い日差しを遮って、涼しげな境内。

参道を進み、階段を上ると社殿があるが、
拝殿は入母屋造で、後方の本殿は流造。

境内の左右に境内社が幾つか並んでいる。
左手に、大きな楯縫神社と、招魂社、歳徳金社。
右手に、琴平社と社名を確認できなかった境内社があった。
琴平社の隣に、結果された四角形の場所があり
細い木が植えられていたが、御神木だろうか。

当社社号は「齋」と書いて「イツキ」と読む。

聖武天皇天平二年(730)の創祀。

当初は現在地より300mほど隔てた丘陵に鎮座していたが
『兵庫県神社誌』によると、永承十六年現在地に遷座とあるが、
永承は八年までしかないので、誤記あるいは誤謬かも。

境内社の楯縫神社は、式内社・楯縫神社の論社。

「神祇志料」には「楯縫神社 齋明神といふ」とあり
昔は境内社ではなく、齋神社そのものを楯縫神社と考えていたようだ。

楯縫神社と考えられる理由は、
祭神に彦狹知命が含まれること。
さらに鎮座地の「建屋」と「楯縫」の音の近さによる。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:59 午後

須波岐部神社 (綾部市)

京都府の 須波岐部神社(綾部市) を掲載しました。

京都府綾部市にある。
綾部駅の北西5~6Kmほどの物部町横椽に鎮座。
9号線から東へ1Kmほど入った場所に参道入口がある。
右手には燈篭が建ち、左手に小さな社号標。

参拝は夏休みの早朝。
参道奥の社域の背後には、朝靄が立ち込めて幽玄な雰囲気だったが
参道を進んでいるうちに、朝靄は消えてしまった。

参道を進むと鳥居が建っているが、
笠木(鳥居上部の横棒)が、湾曲した形状で面白い。
大きな扁額には「須波岐部神社」と社号が刻まれている。

鳥居をくぐり、参道を緩やかに登ると境内。
広場のような境内の奥、石垣の上にさらに境内。
その境内の奥、石垣の上に社殿があり、
石垣の左手前に境内社が二つ。

社殿は、本殿を納めた覆屋。
内部の本殿は、元和九年(1623)に再建された木造流造。

覆屋の左横には、大きめの境内社があり、
本社同様、大切に祀られている様子。

社伝によると、大同二年(807)、
須波伎山に創祀されたという。

三代実録の貞観十一年(869)十二月八日の条に
「授丹波國正六位上物部簀掃神従五位下」とある古社で
物部簀掃神と称されていたらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:42 午後

長彦神社 (大垣市)

岐阜県の長彦神社(大垣市) を掲載しました。

岐阜県大垣市にある。
関ヶ原駅の南8Kmほどの上石津町一之瀬に鎮座。
365号線を延々と南へ下り、名神高速を越え、牧田川を渡る。
365号線は2度、牧田川を渡るが、
2度目に渡ってすぐ、川西の交差点で、牧田川に沿って左折すると
川に面した境内が見えてくる。

緩やかな坂道に面して鳥居が建ち
鳥居の左手に「長彦神社」と刻まれた社号標。
広い境内の左寄りに入口があり、
鳥居をくぐると正面に社殿。右手は広場になっている。

拝殿は入母屋造。その後方、玉垣の中に流造の本殿。

参拝は年末の休日。
境内の隅や、社殿の屋根に雪が残っており、
川の側にあるせいか、背筋が伸びるほどの寒い日の午後。
境内の木々も、葉が落ちて寒々としていた。

だが、燈籠の屋根や境内隅の石には
ドキッとするほどに青々とした苔が生えていた。
苔は寒さに強いのだろうか。

社伝によると、
天武天皇白鳳四年(675)四月、
『全国神社名鑑』によると、白鳳四年から和銅元年までの間に
小柴美濃王と佐伯広足によって
大和国の龍田の風神を勧請したのが創祀。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:37 午後

鹿蒜神社 (南越前町)

福井県の 鹿蒜神社(南越前町) を掲載しました。

福井県の南越前町にある。
南今庄駅の北東1Kmほどの南今庄に鎮座。
207号線から北へ入った場所。
鹿蒜(かひる)川にかかる帰(かえる)橋を渡ると
集落の奥、山の麓に境内がある。

参道階段を上ると鳥居があり、
右手に大きな木が聳え、左手に「式内鹿蒜神社」と刻まれた社号標。

当社の社号「鹿蒜」は「かひる」と読むが
「かえる」とも「かいる」とも呼ばれているらしい。
当地も昔の資料には「帰村」とあり
帰橋の名も、その変化の名残だろう。

鶴賀郡の式内社に所在不明の「加比留神社」があるが
当社とも地名由来の社号であるという。

鳥居をくぐると境内の奥に、石組があり、
中央に瓦葺入母屋造の拝殿。
拝殿には「明神通誠至」と書かれた扁額が掲げられている。

拝殿の後方に狭い石の階段があり、
上には瓦葺入母屋造の本殿がある。
ひょっとすると、この社殿は覆屋で中に本殿があるのかもしれないが
資料には瓦葺流造とある。

社伝によると、文武天皇二年(698)三月十五日の創祀。

式内社・鹿蒜神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:55 午後