船形神社 (高根町長澤)

山梨県にある、船形神社(高根町長澤) を掲載しました。

山梨県北杜市にある。
中央本線長坂駅の北東9Kmほどの高根町長澤に鎮座。
141号線(清里ライン)の長沢交差点から西へ700mほどにある丘が境内。

境内入口は道路に面して南向き。
入口に鳥居は見当たらず、参道階段を上ると「郷社舩形神社」と刻まれた社号標が立っている。
さらに参道を進むと鳥居があり、さらに進むと神門。その奥に社殿のある境内がある。

境内の右手に神楽殿、左手に社務所などがあり、正面に拝殿。
拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は白い覆屋の中で確認できなかった。

参拝は四月の後半。桜の花は散り始めている時期だが、境内にはまだ少し咲いていた。
終わりゆく春の天気の良い昼下がり。

創祀年代は不詳。一説に、日本武尊御東征のみぎり、酒折の宮より科野国の国坂の神に事向け給う時、この地に奉幣した伝えられる古社。

長沢東井出集落の氏神として崇敬され、もとは諏訪明神と呼ばれていたが社地が船山といって、船形神社と称するようになったといい、仁壽元年(851)甲斐守小野貞守の祈願により社頭を造営。
『三代実録』元慶八年(884)十二月十六日に、「甲斐国正六位上船形神従五位下」とある国史見在社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:13 PM

神部神社 (南アルプス市寺部)

山梨県にある、神部神社(南アルプス市寺部) を掲載しました。

山梨県南アルプス市(旧若草町)にある。
甲府駅からなんせいに12Kmほどの寺部に鎮座。
中部横断道の南アルプスI.C.の入口から南東へ100mほどの道路がゆるくカーブしている場所に南向きの境内がある。

鳥居の右手には「神部神社」と刻まれた社号標。
『平成祭データ』には「神部社」とあるので、神部社が正式なのかもしれないが、鳥居の扁額には「神部神社」「八幡神社」と二つの社号が併記されている。

鳥居をくぐると参道途中にもう一つの鳥居。
その鳥居の奥に神門があり、さらに参道を進むと当社の社殿がある。

参拝は四月の中旬。境内は芽吹いた緑で青々としていた。
拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は銅板葺流造。
社殿の周囲には多くの石祠が祀られているが詳細は未確認。

社頭に当社の由緒書きを記した案内板があり、そこに当社の神紋は「松皮菱」と書かれているのだが、本殿の屋根にある紋は「三階菱」。
ともに三つの菱型が上下に重なった、良く似た図案だが、どちらが正しいのか、あるいはどちらでも良いのか、あるいは三階菱を松皮菱と呼んでいるだけなのか。これも未確認。

創祀年代は不詳。
一説には上代、当地に鏡作部が置かれた時、その遠祖を祀ったものと考えられている古社。
大井荘内七ヶ村の惣鎮守で、寺部・加賀美地区の産土神として崇敬された神社。

社頭の案内板や『甲斐国社記・寺記』には「延喜式内 神部神社」とあり、当社は式内社・神部神社の論社であるようだ。

ただし『式内社調査報告』には当社の記述はなく、『山梨県神社誌』にも式内の記載は無いので、有力な論社ではないのかもしれない。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:52 PM

神明宮 (南砺市桐木)

富山県にある、神明宮(南砺市桐木) を掲載しました。

富山県南砺市(旧福野町)にある。
城端線。福間駅の西4Kmほどの桐木に鎮座。
明神川が小矢部川に合流するあたり、小矢部川の東に広がる田園の中にある集落に境内がある。

集落内の道は狭いので、かなり遠くに車を止めて参拝開始。
境内入口は東向き。参道を進むと石鳥居があり、鳥居をくぐると広い境内。
参道の左手に手水舎があり、参道を直進すると当社の社殿。
右手に進むと境内社・秋葉社の石祠。

拝殿は入母屋造瓦葺でどっしりとした印象。
拝殿後方に瓦葺の本殿が連結された形式だが、あるいはこれは覆屋で、中に本殿があるのかもしれない。
北陸の神社らしく、拝殿の周囲は板で囲まれ、前面にはガラスの扉がある。

参拝は10月中旬の朝7時頃。
境内は朝日が射してオレンジ色に染まっており、木々の長い影が、雑草もなく綺麗に維持されている清浄な境内を横切っていた。

創祀年代、由緒ともに不詳。
『富山県神社誌』によると、当社を式内社・荊波神社とする説があるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:10 PM

根古屋神社 (北杜市)

山梨県にある、根古屋神社(北杜市) を掲載しました。

山梨県北杜市にある。
中央道須玉I.C.の北東7Kmほどの江草に鎮座。
塩川ダムへ向かう601号線が23号線に合流するあたりで、東へ入った場所に境内がある。
境内全体は塩川に面している、というより塩川左岸にある道に面して北西向き。

鳥居の脇に祭神の名「天兒屋根命」と刻まれた石柱が立っており鳥居の扁額には「根古屋大明神」。
鳥居をくぐると左手すぐに神楽殿、正面に拝殿がある。
拝殿の後方の本殿は、覆屋根の下で撮影が難しいが、こけら葺きのような流造だった。

境内はあまり広くないが、境内左右にある二本の巨木で有名な神社。
国指定天然記念物の「根古屋神社の大ケヤキ」と呼ばれており、境内案内板では樹齢800年。
(『平成祭データ』では凡そ一千年前後、『山梨県神社誌』では千数百年とある)
向って左の欅が田木(田樹)、右が畑木(畑樹)で、毎年、田木の方が早く芽吹くと稲作が、畑木の方が早いと畑作物が豊作になるという。

武田安芸守信満の三男、江草兵庫助信泰の居城、獅子吼(ししく)城の北西麓に鎮座。
城の守護神として斎き祀られた神社。

獅子吼城は、古くは江草城、江草小屋とも呼ばれ、地元では城山と呼ばれている城跡。
江草城が落城する時、城内の怪物(獅子)が吼えながら深い淵に飛び込んだと伝えられ、それ以後、当地では正月の獅子舞や、子供の玩具としての獅子も禁じられ、
禁を破ると暴風雨になるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:27 PM

麻續神社 (明和町)

三重県の麻續神社(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄山田線斎宮駅の北3Kmほどの中海(なこみ)に鎮座。
祓川がくねっと湾曲している場所にある集落の南西部、眞福寺の南に東向きの境内がある。

参拝は3月中旬の日の日没間近。
社前には田が広がっており、水を張った春先や、青々と稲の実った夏、黄金色に実る秋には美しい景色なんだろうな、
などと刈り取られた田を見ながら参拝開始。

境内入口を入ると石鳥居が立っており、左手に手水舎、右手に「延喜式内麻續神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐって左・右と、わずかに参道を進むと瓦葺の拝殿。
拝殿の後方、少し離れて垣の中に神明造の本殿がある。

当社の社号「麻續」は「おおみ」と読む。

創祀年代は不詳。式内社・麻續神社の論社となっており、延喜斎宮式に、斎宮の祈年祭や新嘗祭に預かっている古社。
江戸時代には八王子と称し、当村の産土神として尊崇された神社。

御巫清直によると、鎮座地・中海は、中麻績の約まったもので、『三代実録』貞観五年(八六三)八月十九日条に、「伊勢國多氣郡百姓外少初位下麻續部愚麻呂。麻續部廣永等十六人。復本姓中麻續公。愚麻呂等自款云。豊城入彦命之後也。」とあり、本姓中麻績公に復した伊勢国多気郡の百姓外少初位下麻續部の愚麻呂。麻續部の廣永等十六人が自ら豊城入彦命の後裔であるとする記事を元に、当社は、中麻績氏の祖神である豊城入彦命を祀る神社であるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:03 PM

當麻戸神社 (韮崎市)

山梨県にある、當麻戸神社(韮崎市) を掲載しました。

山梨県韮崎市にある。
中央本線韮崎駅の北3Kmほどの藤井町駒井に鎮座。
中央本線線路の東側、尾鰭山の麓に境内がある。

参道入口は東向き。
参拝は四月の午後なので、ちょうど太陽に向って参道を歩くことになった。
参道を進むと石の鳥居が立ち、さらに進むと朱の鳥居。
どちらの扁額にも「當麻戸神社」と記されている。

当社の社号「當麻戸神社」は、『平成祭データ』には「とうまと」とあり、『明治神社誌料』には「たまべ」とあって、参拝中、僕はずっとトマト神社だと勘違いしていた。また、尾鰭山に鎮座しており、尾鰭宮とも呼ばれている。

鳥居をくぐり参道を進み、黒沢川にかかる宮前橋をわたると境内。
入口には笠木の無い鳥居(冠木鳥居)。
境内に入ると神門があり、神門の奥に拝殿。拝殿の後方の高い位置に本殿がある。

社伝によると、欽明天皇二年(541)四月の創祀。
もとは大酒解、小酒解の二柱を祀っていたようだが、甲斐国志には、諏方明神とあり、御朱印社領八石二斗余、社地九千七百二十坪、鎮座地を尾鰭山といい、祭神は現在の五柱となっている。

神門と拝殿の間に小さな池があり、大きな石が置かれている。
「御供石」と呼ばれる石で、正月元旦にこの石の上に神饌を置くと羽根に白いまだら模様のある烏が飛んできて口にくわえて飛び立ち、当社の神田に置くという。
神田は上・中・下にわかれており、どこに置くかによって、その年の豊凶を占ったという「烏飼神事」が行われていたらしい。

境内の石碑によると、この烏飼神事は、安芸の宮島、信州の戸隠でも行われ、当社を含めた三社を「日本三か所烏飼い霊場」と称え、「あいうえを人にしらすの烏かひ 世のよしあしを知ろしめす神」と謡われている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:37 PM