金重明神社 (笛吹市)
山梨県にある、金重明神社(笛吹市) を掲載しました。
山梨県笛吹市にある。
山梨市駅の南4.5Kmほどの一宮町金田に鎮座。
202号線を南に下り、日川を渡って211号線を1Kmほど南下して東へ500mほど入った場所。スモモ畑の中の石祠に祀られている。
『郷土を救った人々―義人を祀る神社』(神社新報社)を見て訪ねた神社。
本には祠の場所について、金田のスモモ畑の中としか記されておらず、現地で探してみようと思ったが、金田は広く、同じような畑ばかりの土地だった。
とりあえず、農道を車でゆっくりと走り回り、それらしき場所は歩いて探したが見当たらず。
せめて祭神・金子重右衛門命の墓所のある西運寺だけでも、と思い、金田の南側にある西運寺へ。
西運寺の入口には「義民重右衛門之墓所」と刻まれた石碑が立っていた。
こちらなら祠の場所をご存じだろうと、呼び鈴を押し、出てこられた方(お聞きするのを忘れたけど、たぶん住職)にたずねると、わざわざ祠まで案内していただいた。感謝。
西運寺からまっすぐ東へ100mほど進み突き当たった場所にあるスモモ畑の前に、「義民重右衛門之碑」と刻まれた石碑が立っており、畑の中の石組の上に、小さな祠が一つ祀られている。
当社の「金重明神社」の読み方について、これもお聞きするのを忘れたので、「かねじゅうみょうじんしゃ」としておいたが、地元では別の読み方をしているかもしれない。
文久三年(1863)の創建。
寛政年間、山梨・八代郡にまたがる六十三ヶ村は田安候田中代官所の支配を受けていたが、代官所に山下治助という役人が配属された。山下治助は悪智恵に長けた悪代官で、
年貢米を測る一升桝を大きく作って不正な取り立てを行った(太桝事件)。
農民たちは苦しさの余り代官所に訴え出たが、逆に牢に入れられたり罰を受けた。
見かねた金田村の金子重右衛門大人、綿塚村の三沢重右衛門大人、熊野村の鮎沢勘兵衛大人をはじめ、各村の庄屋たちは協議し、資金を集めて、寛政四年十二月末、同志二十一名が死を決して江戸へ上り、寺社奉行根岸肥前守に直訴した。
しかし直訴は受理されず、代表たちは投獄され、過酷な拷問の末、鮎沢勘兵衛は牢死。
金子重右衛門と三沢重右衛門は、田中日川河原に引き出されて処刑され、七日間のさらし首の上、財産を没収された。
金子重右衛門の首は金田村風間市之丞の畑に埋葬されたが、金田村の人々によって文久三年祠に祀られ、金子の梅天神、金重大明神と崇められた。