草創神社 (上田市)

長野県にある、草創神社(上田市) を掲載しました。

長野県上田市にある。上田駅の北東3Kmほど、
上信越道・上田菅平I.Cの西1Kmほどの弥伍平に鎮座。
太郎山の南東麓の傾斜地に境内がある。

以前住んでいた家の近くにあるのだが、
道路を走っていても当社境内は見えないので存在を知らなかった。
この「草創神社」という社号が不思議な感じだったので参拝してみた。
『平成祭データ』で調べてみても、日本に数社しかなく、
上田市の当社と徳島県にしかない珍しい社号だ。
ただ、この社号は明治になってから付けられたものらしい。

鎮座地の小字は弥伍平だが、
これは当社の旧名「彌伍宮」によるもので、当社周辺のみのもの。
大きくは金井地区に鎮座する神社で、社地近くから金屎が出土し、
当地で製鉄が行われていたのだろう。
金鋳が金井へと変化したと考えられているらしい。

参道脇に雨乞地蔵があり、雨の少ない上田地区では
昭和の頃まで、この地蔵の前で雨乞い祈願が行われていた。

創祀年代不詳。
尾張国津島神社の分霊を勧請し津島ノ宮と称していた。
寛永年中 津島神社境内摂社の彌五郎社を勧請して後は「彌伍宮」と呼ばれ、
明治初年に郷社に列し、明治三十四年四月十一日草創神社と改称した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:03 AM

松尾神社 (小矢部市)

富山県にある、松尾神社(小矢部市) を掲載しました。

富山県小矢部市にある。
北陸本線・石動駅の南西4Kmほどの松尾に鎮座。
42号線、274号線を南下し、274号線から少し西へ入った場所。

境内は東向き。
参拝は10月後半、よく晴れた日の早朝、夜明けの頃。
参道を進むと鳥居があり、鳥居をくぐり階段を登ると社殿のある境内。
階段を上ったあたりで、背後から太陽が射し始め、
東向きに社殿は、正面から朝日を浴びてオレンジ色に輝いていた。

拝殿は銅板葺入母屋造妻入。
背後の本殿は少し離れた位置にあり、神明造だった。
昭和五十八年発行の『富山県神社誌』には、
現在の社殿は旧藩主前田家の祈願所であった「愛宕堂」を
移築したものと記されているが、
『富山県神社誌』所載の写真では瓦葺で千木も無いので、
現在の社殿は、さらに改修されたものかもしれない。

早朝のせいもあるだろうが、非常に清々しい境内。
参拝を終え、朝日に向かって参道を歩くと
社域から見下ろす町は朝霧に沈んで、幻想だったが
写真では上手く伝わらないのがもどかしい。
そんな神域。

創祀年代は不詳。
社伝によると大同年間、山城国松尾大社から勧請されたという古社。
往古より蟹谷郷二十一ケ村の郷社として崇敬された大社であった。
手向社を合祀しており、一説には、手向社に松尾神が勧請合祀されたとも。

この当初から鎮座していたという手向社が
三代実録、元慶二年(878)五月八日に
「授越中国正六位上手向神従五位下」と記されている式外社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:50 AM

江島神社

神奈川県にある江島神社 を掲載しました。

神奈川県藤沢市にある。
藤沢市というより江の島と言った方がわかりやすい。
それほど有名な観光地にある神社。
大昔、一度参拝したはずだが、人ゴミが苦手でほとんど覚えていない。
ということで、今回は平日の早朝、日の出の頃、人の少ない時刻に参拝。

小田急線片瀬江ノ島駅から「江の島大橋」を渡る。
通常、人は弁天橋を渡るのだが、2013年2月に事故があったらしく
弁天橋の安全が確認できるまで、
自動車専用橋「江の島大橋」の一部が歩道になっていた。

橋を渡ると参道入口に緑青色になった鳥居。
鳥居をくぐり参道の緩やかな坂道を登ると朱の大鳥居。
大鳥居の奥に、龍宮の門のような「瑞心門」があり階段を登ると辺津宮境内。
大鳥居の左手に境内まで登るエスカレータがあるが、
僕は使っていないので詳細は知らない。

辺津宮拝殿の前には、茅の輪が設置されていた。
一般の神社では、六月の夏越祓や十二月の大祓の時期に置かれているが
当社では通年あるのだろうか。

社殿の左手には、日本三大弁財天の妙音・八臂弁財天尊像を納めた弁天堂。
他の日本三大弁財天は、安芸宮島の厳島神社と琵琶湖の竹生島神社。
ちなみに五弁天では、天河と金華山が加わる。

弁天堂の左手に境内社があり、中津宮へと続く参道になっている。
江島神社は、瑞心門の上にある辺津宮、江の島中央部にある中津宮、
江の島西側にある奥津宮の三社の総称で、
さらに、奥津宮の隣りに龍宮が祀られ、
その先には、当社発祥の場所である岩屋(巌窟)がある。

当社の神紋は「波に三鱗」。
『太平記』に、時の執権・北条時政が榎嶋(江の島)に参籠して
子孫の繁昌を祈ったところ、赤き袴に柳裏の衣を着た美しい女性が現われ、
「汝の前世は箱根法師である。その善行によって子孫は末永く日本の主となる」と告げ、
たちまち大蛇の姿となって海中に消えた。あとに鱗が三つ落ちていたという。

創祀年代は不詳。
古くは江島明神と称し、日本三弁天の一つとして崇敬された古社。
一説には開花天皇六年四月、欽明天皇十三年四月、文徳天皇仁寿三年など。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:35 AM

榛名神社 (沼田市)

群馬県の榛名神社(沼田市)を掲載しました。

沼田駅の北1Kmほどの榛名町に鎮座。
沼田駅から東へ150ほど進み左折して
300mほど北上すると当社の大鳥居が建っており、
鳥居をくぐってさらに北上すると境内がある。

参道を少し戻って撮影をしながら参道を北上。
大鳥居は参拝後、帰り道で撮影しようと思ったのに
参拝中にすっかり忘れて、車に乗って北上してしまい大鳥居を撮影していない。

境内入口の鳥居をくぐると、綺麗な砂利の境内。
正面に社殿があり、社殿の左には宴会場の受付のような建物。
当社境内には結婚式場・宴会場「榛名の森」が併設されているようで、
その入口にもなっているのかもしれない。
そのせいか、境内はどこか華やかな雰囲気だった。

拝殿は銅板葺入母屋造。背後の本殿は銅板葺流造。
享禄二年(1529)沼田万鬼顕泰が建立し
元和元年(1615)真田信之が再建したもので、
彫刻は左甚五郎の作らしい。
見えなかったが、本殿正面の内陣御扉上には真田氏の紋・六文銭があるらしく
当社を拝むと、同時に真田家も拝ませる意図があったという。

寶高大明神とされる倭建命は『上野国神名帳』に「従一位 保寶明神」とあり、
倉内(現在の沼田公園内)に祀られ、沼田郷一帯の総鎮守だった。

薄根大明神とされる菅原道眞命は『上野国神名帳』に「従二位 碓根明神」とあり、
現在地に鎮座した薄根町の産土神。

享禄二年、沼田万鬼顕泰が寶高大明神の社地に沼田城を築城する際、
倭建命と菅原道真命、さらに沼田城以前の居城・幕岩城内に祀られていた埴山姫命を合わせ、
現在地に社殿を建立し、沼田の総鎮守・榛名大権現として崇敬されてきた神社。

社殿の後に、面美様(めめよしさま)と呼ばれる三角形の石があり女神が刻まれている。
この面美様の顔を撫で、その手で顔を撫でると美人になるという。
(僕も撫でてみた)



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:47 AM

林神社 (砺波市頼成)

富山県にある、林神社(砺波市頼成) を掲載しました。

富山県砺波市にある。
砺波駅の東6.5Kmほどの頼成に鎮座。
359号線を東へ進み、庄川を渡ると頼成。
11号線に突き当たって左折し500mほど北上して東へ入る。
西慶寺というお寺の北に、当社の境内がある。

境内入口は道路に面して南向き。
入口左手に「延喜式内林神社」と刻まれた社号標が立ち、
石鳥居扁額には「式内林神社」。

鳥居をくぐり参道を進むと正面に社殿。
拝殿・本殿ともに神明造だが、
拝殿は瓦葺、本殿は銅板葺だろうか。
拝殿の後方、本殿の前には神明鳥居が立っている。

参道の左手に手水石があり、その後方に大きな立石。
お寺などでよくみかける須弥山式石組のような感じだ。

参拝は10月の晴天の午後。
広くて綺麗な境内で日射しを浴びながらの参拝。
境内一面が芝生のようで気持ち良い。

創祀年代等の詳細は不明。五社権現とも称した神社。
社伝では大宝年間から日臣命を奉斎する拝師郷の式内社。
ただし『式内社調査報告』では、林鎮座の同名社を有力としている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:51 AM