於保多神社 (富山市)

富山県にある、於保多神社(富山市) を掲載しました。

富山県富山市にある。
富山駅の東2Kmほどの於保多町に鎮座。
富山地方鉄道の稲荷町駅からは西へ1Km弱の位置。
しののめ通り(172号線)の西側に境内がある。
しののめ通り側にも境内入口があるが、たぶん表参道は西側。
奥田川のほとりに広い境内があり、敷地内に柳町保育所がある。

西側表参道入口の脇には「縣社兼郷社於保多神社」と刻まれた社号標があり、
東側しののめ通り参道入口には「於保多神社 天満宮」とある自然石の社号標。
通称は柳町天満宮と呼ばれ、境内の鳥居にも「天満宮」とある。

西側参道を進み、石橋を渡ると左手に手水舎。
手水鉢には牛の像が二体置かれている。
拝殿は瓦葺入母屋造平入りで向拝は銅板葺き。
後方の本殿は少し離れた位置にあり、銅板葺きの流造。
少し高い場所に祀られている。

境内の東南隅には、いくつかの記念碑が並んでいる。
境内の案内板によると、二代藩主前田正甫公頌徳碑や西南役記念碑、
富山藩の子弟の教育に功労のあった小西有実、有義、岡田呉陽の記念碑らしい。

弘長三年(1263)、比叡山で修行した旧当社神職畠山氏の祖・恵顗という人物が、
菅原道真が石榴を噛み出して火焔となしたの図を道真の師である法性坊尊意が模写した尊像を
越中国新川郡新庄に安置し、錦重山浄禅寺と号したのが当社の起源。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:24 AM

田中神社 (磐田市)

静岡県の田中神社(磐田市) を掲載しました。

静岡県磐田市にある。
磐田駅の北西500mほどの中泉に鎮座。

境内入口は南向き。
公園のような境内入口には石の鳥居。
境内に入ると、右手に公民館があり、正面奥に社殿がある。
境内には老人憩いの家などがあり数台の車が停まっていた。

拝殿は切妻造平入り。後方の本殿は覆屋の中にあるようだ。
社殿は全体的にピンク色。老人憩いの家もピンク色だった。

参拝は九月の中旬、朝六時頃。
社殿の右手に大きく枝を延ばした御神木に朝日があたって美しかった。

社伝によると敏達天皇四年(575)の創祀。
式内社・田中神社に比定される古社。

元は現社地の東南2Kmほど(西の島あたり)の田中の森、
あるいは手長森と呼ばれた地にあり、手長大明神とも称されていた。

『式内社調査報告』によると、数十年前、古社地の大木が倒れ石棺が出土。
その中から白骨が出たようで、周辺から貝塚や石斧。土器なども出土したことから
当地にはアイヌ系の人々が住んでいたと推測され、
彼らを「手長」と称していたことから手長明神となったという説があるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:46 PM

手速比咩神社上社・下社 (宝達志水町)

石川県にある、手速比咩神社上社・下社(宝達志水町) を掲載しました。

下社
上社

石川県の宝達志水町にある。
七尾線免田駅の東3.5Kmほどの東間、宝達山(637m)の西麓に下社があり、
下社から約7Kmほど東にあるの宝達山(637m)山頂に上社が鎮座。
山頂まで車道が延びており、車でも参拝ができる。
宝達山は能登の最高峰だそうで、信仰の山であり、金山としても知られているらしい。

参拝は十月中旬、曇天の午後。
免田駅方向から宝達山を目指している時、宝達山上に雲が広がっていた。

当社の社号「手速比咩」は「テハヤヒメ」と読む。

宝達山西麓、前田川沿いの車道脇に手速比咩神社下社がある。
参道入口に「手速比咩神社」と刻まれた社号標が立ち、
鳥居をくぐって参道を進むと、境内入口の鳥居。
脇には「式内手速比咩神社」と刻まれた社号標が立っている。

その鳥居をくぐるとツバキの群生している境内。
開花の季節に来れば、きっと美しい境内なのだろう。
そのツバキの奥に当社の社殿。社殿の向きは西向きなので、
宝達山に向かって参拝することになる。

境内にはツバキの他に、町指定文化財で石川県の木である
アテ(能登ヒバ、ヒノキアスナロ)などもある。

宝達山上に上社、山麓に下社があり、宝達明神、宝達権現とも称され、
下社は鎮座地名から東間明神社とも称されていた。

社伝によると、上社は養老年間、泰澄によって創祀され、
旧押水三十二ヶ字の総社として崇敬された神社。
下社は崇神天皇の御宇の創祀、旧大海一郷の総社として崇敬された神社。
式内社・手速比咩神社に比定されている古社である。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:30 AM

湯澤神社 (野沢温泉村)

長野県にある、湯澤神社(野沢温泉村) を掲載しました。

長野県の野沢温泉村にある。
飯山線の戸狩野沢温泉駅から東へ8Kmほどの豊郷に鎮座。
野沢温泉村役場から東へ入った突き当たりに境内がある。
道路の案内には「健命寺」とあるが、健命寺の西隣りに当社がある。

境内入口には白木の両部鳥居。
鳥居の右脇には「郷社湯澤神社」と刻まれた社号標があり、
その前に由緒書きの案内板がある。
鳥居をくぐり参道階段を上ると社殿。
参道脇には立派な木々が聳えている。

拝殿は入母屋造。元は萱葺だった雰囲気。
拝殿の後方に本殿があるが覆屋の中になるようだ。

参拝は2011年4月の始め。
周囲の道路には雪はなかったが、境内には多くの雪が残っている季節。
東日本大震災に続いて発生した長野県北部地震で被害を受けた
栄村を訪問した帰りに寄ってみた。
当社では境内隅の灯籠が倒れていた程度で大きな被害はなかったようだ。

境内右奥に二階建ての神輿殿。
その奥に立派な建物があるが、そこはもう健命寺境内になっているようだ。

創祀年代や由緒は不詳。
野沢温泉の産土神・総鎮守として崇敬された神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:59 AM

日宮神社 (氷見市中央町)

富山県にある、日宮神社(氷見市中央町) を掲載しました。

富山県氷見市にある。
氷見駅の北1.5Kmほど、氷見市役所の北100mほどの中央町に鎮座。
415号線に面して東向きに境内入口がある。

入口右手には「日宮神社」と刻まれた社号標。
参道を進むと石の鳥居が立っており、
鳥居をくぐると右手に漆黒の神馬像。腹に桜の紋が美しい。
参道左手には倉が並んでおり神輿が納められているのだろうか。

さらに参道を進むと正面に美しい朱の拝殿。
ただ、参拝が早朝だったためか、拝殿の黒い扉が閉じられていた。
『全国神社名鑑』の写真では、扉が開放されているので
日中であれば別の姿が見られるのかもしれない。
だが、個人的にはこの黒い扉がエキゾチックな雰囲気で良い感じ。

拝殿の後方、少し離れた場所に入母屋造の本殿は、
朝日を浴びて輝いていた。
まさしく日出を見る日見(氷見)の地に鎮座する日宮神社の本殿。
鳥除けのためか、黒い網で保護されており、
忍者のようだなぁ、と思いながら参拝。

社伝によると天長五年(828)二月の勧請という古社。
神霊に玉・鏡・剣を祀る。

此の地は古く、比美の江と呼ばれた名所で、
万葉集に大友家持が「比美乃江過弖多古能之麻・・・」と歌った地。
潮頭日出を見るがゆえに、日見と称して天照大神を祀ったという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:23 PM

子持神社 (渋川市)

群馬県の子持神社(渋川市)を掲載しました。

群馬県渋川市にある。
渋川駅の北9Kmほどの中郷に鎮座。
子持山(1296m)の南麓、参道入口の大鳥居から1.1Kmほど北上すると、
狭い車道の西側に境内がある。
また、本社からさらに2Kmほど登った子持山の中腹の岩の窪みに奥宮が鎮座。

到着した時は夜明け前でまだ真っ暗だったので、
とりあえず、奥宮まで車で登ってみた。

狭い車道をゆっくりと登って行くと、ヘッドライトの先に鹿のような動物が慌てて逃げて行く。
車道の突き当たりに車を停められる場所があり、子持山への登山口になっている。
しばらく車の中で待ち、明るくなって来た頃に参拝開始。
と思ったら熊出没の注意書きがあったので、あわてて車に常備している熊除けの鈴を腰に付けた。
登山口から少し入った場所に屏風岩という巨大な岩があり、
小さな鳥居が立っていた。
登山道をさらに登ってみようかとも思ったが、
登山が目的ではないし、熊が出ると嫌なので止めた。

車を停めた場所から少し下ると、車道の脇に赤い鳥居の奥宮がある。
社殿は斜面の上の方、岩の窪みにある。
赤い社殿の下に薪が積まれていたが、火を用いる神事でもあるのだろうか。

奥宮への参拝を終え、車道を下って本社へ戻り、車道脇に車を停めて参拝を開始。
参道を進むと「子持神社」と刻まれた社号標。
さらに進むと赤い鳥居が立っており、参道左手に手水舎がある。

境内は広く静か。
境内左手に神楽殿があるが、例祭日には神楽が奉納されるらしい。
拝殿は銅板葺入母屋造平入りで、後方の本殿は神明造と流造を足したような形状。
社頭の由緒書によると昭和31年に再建されたものらしい。

本殿の右手に、御足形のある石が置かれている。
昔、当社が火災で焼けた時、御祭神が奥宮へ非難した際に
ついた足形だと伝えられているようだ。
ちゃんと五本指の跡まで残っていて面白い。

創祀年代は不詳。
一説には崇神天皇の御代とも、嵯峨天皇の御代とも伝えられる古社で、
上野国神名帳に「従五位上兒持明神」とある神社。
また、日本武尊が東征のおり、木花開耶姫命他七柱を祀ったとも。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:05 PM