朝日神社・夕日神社 (氷見市)

富山県にある、朝日神社・夕日神社(氷見市) を掲載しました。

朝日神社
夕日神社

富山県氷見市にある。
氷見駅の北9Kmほどの小境に鎮座。
富山湾を右手に見て160号線を北上すると脇方を過ぎたあたりに短いトンネルがある。
そのトンネルを抜けると小境海水浴場があるが、トンネルを抜けてすぐの場所、
大栄寺の南の丘の上に境内がある。

160号線の脇に境内入口の鳥居が北向きに立っており、
鳥居の横には「朝日神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を進むと「金刀比羅大権現」と刻まれた石碑が祀られていて
右手の参道階段を上ると社殿のある境内。
よって社殿は東向き。
社号の朝日に相応しく、朝日を正面に浴びて鎮座している。

参拝は10月後半の朝7時頃。
境内から見える富山湾は、朝日にキラキラと輝いていた。

『富山県神社誌』によると、当地は鎌倉時代以前に伊勢神宮の神領地となり、
その時に勧請されたという古社。

朝日神社から北へ500mほどの場所、中学校の北側に夕日神社がある。
資料にある住所は小境となっているが、地図でみると大境となっている。

参道入口は東向き。参道を進むと鳥居が建っており、
鳥居の脇には「夕日神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐり参道を進むと、右手の斜面に社殿のある境内。
階段を上ると、朝日神社と似た感じの拝殿があり、
拝殿の後方、岩の上に本殿。
朝日神社が朝日の上る東を向いていたので、西向きを期待していたが
当社の社殿は南(やや西向き)を向いていた。

ただ、鳥居をくぐって参道を進み、右手の階段を上ると社殿がある構造は、
朝日神社、夕日神社共通であるのが面白い。

『富山県神社誌』には当社の創祀に関する記述はないが、
たぶん、朝日神社同様、当地が伊勢神宮の神領地となったおりに勧請されたものだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:50 AM

鬼石神社 (藤岡市)

群馬県の鬼石神社(藤岡市)を掲載しました。

群馬県藤岡市(旧鬼石町)にある。
八高線の群馬藤岡駅の南11Kmほどの鬼石に鎮座。
40号線、13号線、462号線を神流川に沿って南下した場所。
埼玉県との県境である神流川の西側、鬼石町の中央部西側に境内がある。

境内入口は462号線に面して東向き。
参道の階段の途中に「鬼石神社」と刻まれた社号標がある。
その脇の石碑には、第61回伊勢神宮式年遷宮の際に当地・鬼石の三波石が
皇大神宮大御前石階の改修に用いられたとある。
石のことはよくわからないが、鬼石の地名が示す通り、
当地は石の産地として有名なのだろう。

階段を上ると赤い鳥居。
参道を進むと左手に手水舎があり、右手に神楽殿、
正面に瓦葺入母屋造の拝殿がある。
拝殿後方に、垣に囲まれて銅板葺流造の本殿。
本殿の床下に社号のもととなった鬼石があるのだが
鍵がかかっていて近づけず、垣の間から覗くと
床下に10センチ程度の隙間があり、たしかに石(らしきもの)が見える。

参拝は11月の初旬の午後。
参道の木の葉は枯れ落ちていたけど、
社殿の周囲の木々は青々と茂っていた。

創祀年代は不詳。
江戸時代には鬼石明神と称し、元禄十六年(1703)宣旨をもって正一位を授けられ、
明治になって鬼石神社と改称し、郷社に列せられた。

御荷鉾(みかぼ)山(標高1246メートル)の頂に鬼が住み、
村人に害をなしていたが、弘法大師に調伏され、巨石を投げて逃げ去った。
その巨石が落ちたところが鬼石で、その石が今も村中にある。

また、大同の頃、御荷鉾山に伊勢国鈴鹿山の鬼神の子孫である二鬼が住み
里人を大いに悩ませていた。修行の途中立ち寄った弘法大師が
阿毘遮廬の護摩を焚かれたところ、鬼たちはいたく感じ、石と化した。
その石が遥かに飛んで神流川のあたりに留まった。
その地を鬼石村と号し、その精霊を祀って鬼石大明神とした。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:38 PM

諏訪社 (富山市諏訪川原)

富山県にある、諏訪社(富山市諏訪川原) を掲載しました。

富山県富山市にある。
富山駅の南西1Kmほどの諏訪川原に鎮座。
富山市内軌道線・諏訪川原駅の北に道路に面して南向きの境内がある。

境内入口には落ち着いたい色の赤い鳥居。
鳥居の左側に「諏訪社」、右側には「富山縣神社廰」と刻まれた社号標。
当社境内敷地内に富山県神社庁がある、
鳥居をくぐると右手に手水舎、正面に四角い池がある。
昔は自然の池だったが、現在は防火用水として整備されているようだ。

池の北側に瓦葺入母屋造の社殿。
境内は駐車場を兼ねているようで全面アスファルト。
街中の神社なので参拝には便利だが、少し味気ない感じではある。

参拝は10月後半の昼ごろ。
池に陽光が反射してキラキラと光っていた。

当社の通称は「亀の宮」。境内の片隅に亀を慰霊する「亀の碑」が建っている。
昔は多くの亀が棲みついていたらしく、現在の数匹の亀が棲んでいる。
参拝後、池をのぞくと、中央に石組までの石の上に亀が甲羅干しをしていたが
カメラを持って近づくと、みんな池の中に逃げてしまった。

当時、近江の伊吹山に鳧彦(かもひこ)という悪党がいて北陸地方の人々を苦しめていた。
天皇は見かねて、越前の甲賀三郎と越中宮川庄高柳の郷田次郎に討伐を命じた。
二人を伊吹山の鳧彦を討ち、さらに飛騨から越中に進んで各地の悪党を退治した。

越中に入り、甲賀三郎はしばらく郷田次郎の家に滞在していたが
ある日、一人で広い川原へ出かけると大きな穴を見つけ、
中をのぞくと一人の美しい姫が助けを求めていた。

姫を救出し帰ろうとしたところ、姫は穴の中に母の形見の鏡を忘れてきたという。
そこへ、三郎の帰宅が遅く心配した郷田次郎が探しに来た。

三郎は次郎に事情を話し、次郎と協力して穴の中から鏡を取ってこようと決め、
次郎にあげまきの端を持たせ、三郎が穴の中に入った時、
次郎は姫のあまりの美しさに心を奪われて邪心をおこし、姫を妻にしようと、
持っていたあげまきを放して三郎を穴の中に落としてしまった。

その時、姫の顔はたちまち怒りに満ち、
「私は諏訪の神である。せっかく楓が原で親切な三郎と出会えたのに、
お前のせいで三郎は信州へ去り、私だけが残されてしまった。
今後、池水が濁れば、人も住むことが出来なくなるだろう」と言い残し姿を消した。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:00 PM

竹麻神社 (下田市)

静岡県の竹麻神社(下田市)を掲載しました。

静岡県下田市にある。
伊豆急下田駅の北2Kmほどの高馬に鎮座。
稲生沢川の右岸、本郷橋の近くの道路に面して東向きに境内入口。

参道を進むと石鳥居が立ち、鳥居の左手に印象的な木が聳えている。
鳥居をくぐると、駐車場と兼用されている感じの砂利の境内。
右手に新しい手水石があり、階段を上ると社殿が一つあるだけの簡素な神社。

社殿は拝殿の中に本殿を納めた形式のようだ。
扁額には「竹麻神社」とあり、幕には三つ巴紋。
ただし、幕の紋は右三つ巴で、社殿の屋根には左三つ巴。
左右の違いに、特に意味はないのだろう。

創祀年代や由緒などに関する資料は未入手なのでわからない。

『式内社調査報告』に、式内社・多祁伊志豆伎命神社の論社として、
本郷村高馬(現下田市本郷)の八幡社と記され、
『静岡県神社誌』には、式内社・竹麻神社の論社として、
本郷村高馬に在す、今八幡と称すとある。

当社の鎮座地名は現在、本郷ではなく高馬となっているが、
祭神も八幡神である誉田別命なので、当社がその八幡社なのだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:24 AM

下田八幡神社 (下田市)

静岡県の下田八幡神社(下田市)を掲載しました。

静岡県下田市にある。
伊豆急下田駅の南300mほどの場所に鎮座。
市民文化会館の北に境内がある。

境内入口は南東向き。
石橋の奥に鳥居が立っており、参道右手に「八幡神社」と刻まれた社号標。
当社の正式名は八幡神社のようだが、
拝殿扁額には「八幡宮」とあり、再建之碑には下田八幡神社とある。
当サイトでは他の八幡社と区別するため、下田八幡神社としておく。

鳥居をくぐり参道を進むと茅の輪が設置されていた。
参拝は正月三日の朝。年末の大祓の茅の輪だろう。
参道左手に力石や御神木、手水舎があり、左手には梵鐘。
さらに参道を進むと神門があり、神門の前には小さな俵が積み上げられていた。
正月飾りだろうか、神門にも紅白の幕が掛けられていた。

神門をくぐり参道階段を上ると社殿。
拝殿・本殿はは入母屋造だが、幣殿と繋がった権現造のようだ。

正月三日の天気の良い日の参拝。参拝中、宮司らしき方を見かけたが、
接客中で忙しそうだったので御朱印は遠慮した。
祭日や正月などは神職が居られる場合が多く、
御朱印をいただける絶好の機会なのだが、
同時に大変忙しい時でもあるし、氏子の方々を優先して欲しいので、
僕は御朱印を遠慮することが多い。

創祀年代は不詳。
正応年中(1288年頃、鎌倉後期)には既に鎮座していたという古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:05 AM

加積雪嶋神社 (滑川市)

富山県にある、加積雪嶋神社(滑川市) を掲載しました。

富山県滑川市にある。
中滑川駅から西へ直線で500mほどの加島町に鎮座。
富山湾の海岸沿いの道路に面して、境内入口がある。
ただし堤防で遮られており、境内から海を見ることはできない。

北向きの入口の鳥居の脇には「郷社加積雪嶋神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると参道左手に手水舎があり、参道を右手に曲ると社殿。
ということで社殿は東を向いている。

参拝は10月後半の午後3時頃。
傾き始めた太陽の日射しを正面に浴びながらの参拝。
沈み行く太陽に向かって参拝しているようで面白いのだが、
写真撮影には苦労する。

拝殿は瓦葺入母屋造で、北陸の神社らしくガラスで覆われていた。
背後の本殿は堂々とした流造で、こちらは不透明な樹脂製のトタン板で囲われて
細部を確認することはできなかった。

芝生の境内は東西に長く、広くてとても気持ちが良い。
境内の東側の狭い路地には、多くの庚申塔が並んでいる。

当社の社号「加積雪嶋神社」は、資料によっては
「かずみゆきしま」「かづみゆきしま」「かつみゆきしま」とさまざま。

創祀年代は不詳。
古くは社域も広大で、社家・社僧が奉祀した大社であったという。
櫟原神社(東の宮)に対し、当社の通称は西の宮。

源義経が奥州へ下る時に武運を祈願し、拝殿に沓を残されたいう古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:41 AM