志乎神社 (宝達志水町)

石川県の志乎神社(宝達志水町)を掲載しました。

石川県の宝達志水町にある。
七尾線・敷浪駅の北東1Kmほどの荻谷、荻島、敷波の入会地に鎮座。
敷浪駅から東へ進み、159号線に入って北上すると、
159号線の東側、道路に面して境内入口があり、
鍵取山と呼ばれる小山の中腹に境内がある。
159号線がカーブしているので境内入口は北向きになるようだ。

参道の階段を上ると「式内郷社志乎神社」と刻まれた
社号標が立ち、さらに登ると石鳥居。
鳥居をくぐると大伴家持の歌碑があり、
木漏れ日の射す参道を歩くと階段の上に神門。
階段を上り、神門をくぐって左手に進むと大きな社殿がある。

入母屋造の拝殿には雪除けの板が貼りめぐらされており
入口には鍵かかっていたが、
昭和五十二年発行の『全国神社名鑑』所載の写真には、この板は無い。
昭和五十二年八月の大雨で崖崩れがあり
土砂流失によって社殿の一部が損壊。その後復旧したという。
その時に取り付けたのだろうか、それとも取り外し可能なのか。

大きな拝殿の後方の斜面に本殿の覆屋がある。
中の本殿は確認していないが、資料には神明造とある。

参拝は天気の良い十月の午後。
社前から見る境内は日射しのため眩しかったが、参道は暗く静か。
だが、神門をくぐると、再び明るく広い境内がひらけ、
とても晴れやかな印象を受けた。

社伝によると、崇神天皇五年、当地に疫病が流行り
多くの死者が出たため、勅して当社を建て祈願したという、
式内社・志乎神社に比定される古社。

通称は鍵取大明神。
毎年神無月(10月)に、各地の神々は出雲へ参集するが、
当社の祭神は、能登国内の諸神社の留守番として
諸神社の鍵を預かり、出雲へ行かずに能登国を守護するという。

鎮座地の宝達志水町は2005年(平成17年)、
羽咋郡の志雄町と押水町が合併して新設された町。
当社は、その志雄町に鎮座している。
この志雄町という町名から当社・志乎神社の社号となったか
あるいは、その逆だったのかわからないが、
合併によって「志」だけが残ったことになる。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:18 PM