惣社神社 (草津市)

滋賀県の 惣社神社(草津市) を掲載しました。

滋賀県草津市にある。
草津駅の北西5Kmほどの志那中町に鎮座。
26号線と31号線が交差する志那中町交差点を
北西(31号線)へ進んで200mほどの場所。

境内入口は北西向き。
参拝は年末の休日、曇天の朝。
境内入口に鳥居には「惣社神社」と書かれた扁額があり
右手には「郷社惣社神社」と刻まれた社号標が建っている。

鳥居をくぐると縦に長い砂利の境内。
境内右手には大藤の藤棚がある。
春には綺麗な花が咲くのだろうが、
12月の藤棚は、そこはかとなく哀れな存在だ。

当地方の神社境内には、よく藤棚がある。
当社の大藤は「惣社大藤の縁起」として
天武帝の除病延命仏法興隆を祈念して藤が供えられたことに始まるとある。
この後参拝した三大神社には「老藤由来記」として
天武天皇の勅により、藤原鎌足の葬られた談峯の藤花に因んで、
藤原氏の隆盛を祈念して、倉橋山の藤を移植したとある。
いずれも天武朝の頃に起源を持つもので関連があるのだろう。

砂利の境内を進むと、境内奥に瓦葺の拝殿があり
拝殿の後方、石組みの上に垣に囲まれた社殿がある。
垣の中門から覗くと、回廊の奥が本殿。
本殿の左右に境内社の祠が一つずつ。

創祀年代は不詳。

社伝によると、天智天皇四年、右大臣中臣金連が
勅を奉じて風神を鎮祭し意布岐神と尊崇したのが当社の起源。

古来、意布岐総社、総社大明神惣社神社などと称えられ
志那三郷の惣氏神であり、北志那大般若寺の鎮守の神。
また、式内社・意布伎神社であるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:49 AM

天照玉命神社 (福知山市)

京都府の 天照玉命神社(福知山市) を掲載しました。

京都府福知山市にある。
福知山駅の西3Kmほどの今安に鎮座。
9号線を西へ進み、429号線に入って1Kmほど。
429号線から一本北へ入った道路に面して境内入口がある。
参拝時には気付かなかったが、
地図を見ると境内の後方に和久川が流れているようだ。

社前の用水路にかかる石橋を渡ると鳥居が建っており、
鳥居の左手に「郷社天照玉命神社」と刻まれた社号標が立っている。

鳥居をくぐると広く明るい砂の境内。
参道の奥に入母屋造の拝殿があり、
拝殿の後方、垣の中に流造の本殿。
案内板によると、現社殿は大正九年の再建らしい。

本殿の垣の外、右手に御神木らしき木が聳えている。
また、境内隅に注連縄で祀られた岩があるが、磐座だろうか。

参拝は炎天下の夏の休日。
暑さにボーっとしながらの参拝だった。

創祀年代は不詳。
一説には第十三代成務天皇の御代、
天火明命十二世の孫・建稲種命の四世の孫大倉伎命が
丹波国造に任ぜられ、祖神を祀ったのが当社の起源という。

だが、江戸時代には天照大神を祀る社と思われていたらしいく、
天照大神が丹後から伊勢へ遷座される時に
当地に御泊まりになったという元伊勢伝説も残っているらしい。
これによると垂仁天皇四十五年、倭姫命の勧請となる。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:16 PM

比都佐神社 (日野町)

滋賀県の 比都佐神社(日野町) を掲載しました。

滋賀県の日野町にある。
近江鉄道・日野駅の南東1Kmほどの十禅師に鎮座。
307号線から北へ入った場所に境内がある。

境内入口は南向き。
社前の小川に石橋がかかり、橋を渡ると鳥居が建っている。
鳥居をくぐり、50mほどの参道を進むと社殿のある広い境内。

境内中央に拝殿があり、右手に神楽殿。
拝殿奥の垣の中に社殿がある。

垣の中の社殿は、一見、本殿のように思ったのだが
実際は、その後方にあるのが本殿。
ということは、本殿と思った社殿は幣殿だろうか。
あるいは、本殿が二重構造になっているのか、よくわからなかった。

『式内社調査報告』には、本殿は入母屋造七坪五合、
幣殿は六坪二合、拝殿は八坪四合と記されている。

明治十七年、出火により全村が焼失し
現在の社殿は、明治十九年に再建されたものらしい。

参拝は年末の休日。
境内周辺は暖かかったが、木々に日射しが遮られた境内はやや寒く、
拝殿前には雪が残っていた。

境内には、昭和五年五月二十三日重要文化財に指定された
鎌倉時代嘉元二年(1304)造立の宝筐印塔がある。

創祀年代は不詳。

往古、比佐郷発生とともに鎮座した神社と考えられている古社。
式内社・比都佐神社に比定されている。

社号の「比都佐」が「ひっさ」「ひさ」と変化し、
当地は「ひさ野」「久野」と呼ばれていたようで、
久野大明神として崇敬された神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:21 PM

佐志能神社 (石岡市柿岡)

茨城県の 佐志能神社(石岡市柿岡) を掲載しました。

茨城県石岡市(旧八郷町)にある。
石岡市役所八郷総合支社の北1Kmほどの柿岡に鎮座。
恋瀬川にかかる高友橋を渡り、まっすぐ進むと参道入口の神明鳥居。

入口の鳥居をくぐり参道をすすむと、もう一つの鳥居があり
さらに狭い階段を上ると、車道に出る。
その車道の先に境内があり、
入口の階段の脇には「聖徳太子尊」と刻まれた石碑が建っている。

数段の階段を上ると、枯葉に覆われた茶色の境内。
境内の奥(北側)に、社殿がある。

社殿は、瓦葺入母屋造の拝殿と、
拝殿の後方に本殿を納めた覆屋。
覆屋の上部、屋根の妻の位置に空間があり、
中の本殿の屋根が少し見える。
社殿の周囲には、いくつかの岩が転がっていたが
注連縄等で祀られている感じではなかったので、
磐座ということではないのだろう。

当社の背後には、前方後円墳の丸山古墳がある。
参拝後に少し歩いてみたが、
社前の案内によると全長55メートルという大きさらしい。

創祀年代は不詳。
一説に崇峻天皇元年(587)九月、神告によって創建されたという。

近世には白鳥明神とも高友明神とも称された神社で
式内社・佐志能神社の論社の一つ。

ただし、当地高友は現在は新治郡だが、
古代においては茨城郡(茨城北郡)に属しており
式内社・佐志能神社としては有力ではない。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:51 AM