鹿島御児神社 (石巻市)

本日は二社掲載。
明日の掲載予定だったが、天気の悪い暗めの写真が続いたので
明日は天気の良い明るい写真の神社を掲載しようと、予定を変更した。

宮城県にある 鹿島御児神社(石巻市) を掲載しました。合計2082社。

宮城県石巻市にある。
石巻駅の南1Kmほど、
旧北上川の河口部近くにある日和山公園の上に鎮座。

境内までは車道が通じており、
入口前は広い駐車場になっている。
駐車場の南側、石巻港を見下ろす場所に鳥居が建っている。

鳥居から下を見下ろすと、階段参道が続いているので
南麓に、当社参道入口があるのだろうが、
参拝当日は小雨が降っており、下まで降りて確認していない。

社務所と車祓所の間を抜け、
境内入口の鳥居をくぐると広い境内。
正面に朱の社殿が建っている。
入母屋造の本殿は、拝殿の後方、垣の中にある。

小雨の朝だが、鳥居周辺には
朝の散歩をしている方がいたし、
体操をしている方もいた。

当社の社号は、資料には「鹿島御児神社」と記載され
地図にも、その名があるのだが、
拝殿の扁額には「鹿嶋御子神社」と書かれていた。

通称は鹿島大明神。俗称は日和山神社。
元は鹿島台にあったらしく、
葛西家(伊豆守清宗)が日和山に築城の際、
現在地に遷座したという。

伝承によると、往古、
関東の鹿島・香取の両神宮祖神の御裔神が
海路奥州へ下向して東夷征伐し、開拓を経営した。
その際、石巻の沿岸に停泊し、
錨を操作した際、石を巻上げたことから、
石巻という地名となったという。

つまり、当社祭神は、石巻開拓の祖であるという。

三代実録には、
鹿島大神の裔神八社が陸奥国にあると書かれているが、
当社は、その一つ。
式内社・鹿嶋御兒神社に比定されている古社である。

陸奥国式内社の中で、鹿嶋・香取と関連する社名は以下の通り。
黒川郡・鹿嶋天足別神社
曰理郡・鹿嶋伊都乃比氣神社
曰理郡・鹿嶋緒名太神社
曰理郡・鹿嶋天足和氣神社
牡鹿郡・香取伊豆乃御子神社
牡鹿郡・鹿嶋御兒神社(当社)
行方郡・鹿嶋御子神社
栗原郡・香取御兒神社

また、鹿嶋神社という式内社も、
信夫郡、磐城郡にそれぞれ記されている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:29 PM

大生部兵主神社 (奥野)

兵庫県の 大生部兵主神社(奥野) を掲載しました。合計2081社。

兵庫県豊岡市にある。
山陰本線・豊岡駅の東6Kmほどの奥野に鎮座。
703号線(永留豊岡線)と160号線が合流する地点から
穴見川を越えて南へ渡った場所に境内がある。

コンクリートの橋を渡ると鳥居があり、
参道を入ると、もう一つの鳥居。
さらに参道を奥へ進むと、広い境内がある。
境内の西側に舞殿があり、
舞殿に向かい合う形で社殿がある。
拝殿は瓦葺・入母屋造、後方の本殿は瓦葺・流造。

砂地の境内の周囲は木々に囲まれ、
車道からは、こんな境内があるとは想像も出来ないだろう。
広く静かで、ゆっくりと穏やかな時間が流れているような
そんな感じ。

参拝は五月のゴールデンウィーク。
入口の鳥居脇には桜の樹があるのだが、
桜も終わりに近づいているのだろう、
わずかに残った桜花と緑の葉が良い塩梅。
参道には桜の花びらが散っていた。

創祀年代は不詳。
一説に、弘仁元年(810)、当地に兵庫を建て
在庫の里と呼ばれて兵主の神を祀り、
兵主神社と称したという。

後に、有庫兵主大明神とも称し、
奥野と穴見市場の二村の産土神であったが、
中古、二村が分離したため、
市場にもう一つの有庫神社を祀るようになった。

ということで、これが市場の有庫神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:25 PM