北畠神社

三重県にある 北畠神社 を掲載しました。合計1797社。
最後の建武中興十五社の一社だ。

三重県美杉村にある。もう少し西へ行くと奈良県だ。
JR名松線の伊勢奥津駅から東へ5Kmほどの上多気に鎮座。
368号線を東へ進み、30号線の北上すると道路の東側。
参道入口は南向き。参道を歩くと、東側に境内入口。
つまり、境内入口は東向きだ。

境内から、史跡・霧山城跡へ登る道がある。
霧山城は、当社祭神の居城。
当社は、祭神の居館の跡にあり、多気御所・北畠御所と呼ばれていた。

で、境内に入ると左手に庭園があり、正面に赤い社殿。
別格官幣社にしては、こじんまりとした社殿なので、
一見、境内社の一つなのかと錯覚する。

赤い拝殿には、天狗面が飾られ、
後方、中門の奥に、鮮やかな朱の本殿。
周囲の木々が邪魔で、全容を撮影することは難しいが、とにかく美しい。

当社祭神は、村上源氏中院家の流れをくむ名家であり、
南北朝に活躍した南朝の忠臣・北畠親房の三男北畠顯能であり、
父・北畠親房と、兄・北畠顯家を配祀。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:24 PM

東八王子神社 (磐田市前野)

静岡にある、東八王子神社(磐田市前野) を掲載しました。合計1796社。

静岡県磐田市にある。
磐田駅の南西3Kmほどの前野に鎮座。
JR線路から1Kmほど南に、東西に走る車道があり、
その車道から北へ入った場所。

境内入口に立ったのは日の出直後。
天竜川方向から東へ、朝日に向って車を走らせたが、
無茶苦茶眩しくて、境内についても、まだ目の前に太陽があった。
早朝参拝は大変なのだ。

で、境内に入ると静かでひっそりとした神社。
(早朝だから当たり前だ)
拝殿の後方の本殿にも朝日が当って光っていた。

当社の正式名は、八王子神社らしいが、
当社の西方に、松尾八王子社があり、
当社を東八王子、松尾八王子社を西八王子と俗称している。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:50 PM

國府神社 (志摩市)

三重県にある 國府神社(志摩市) を掲載しました。合計1795社。

三重県志摩市にある。
近鉄志摩線の鵜方駅から東へ5Kmほどの国府に鎮座。
太平洋に面した国府白浜の西側にある、南北に長い町並みの中。
道路がカーブしている場所に、南向きに鳥居が立っている。

『神道事典』には、当社が志摩国の総社か?
と記されているが、当社が国府神社と称したのは明治になってから。
それまでは、八王子社・八皇子社と称しており、
祭神は、天忍穗耳命以下、五男三女神を祀する。

明治三年に、境内にあった
神明社・富士社・御頭社・山神社を合祀して
地名を取って、国府神社と改称したらしい。

参拝は、休日の午後。
もう少しで陽が傾く時刻。

三重県を訪れたので、伊勢神宮へ参拝しようと思ったのだが、
休日のせいか、神宮周辺は大混雑で、大渋滞。
運転しながら、「どうしようかなぁ」と考えていると、
志摩市に出てしまった。
ということで、予定外の参拝。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:06 AM

劔神社二社 (敦賀市手・越前町平等)

久しぶりの複数掲載。
福井の劔神社二社を掲載しました。合計1794社。

劔神社(敦賀市手)

福井県敦賀市にある。
敦賀市街地から、敦賀半島の東側を10Km以上北上した、
手の浦にある。
位置がかなりわかりにくく、海沿いの道路からは存在はわからない。

港から西側の集落の中に入って、路地を歩いていると、
なんとなく到着したので、道順もわからない。

社号標を見つけ、階段を上ると狭い境内がある。
社殿は新しく、鳥居も綺麗なので、最近改修されたのかもしれない。

社伝によると、
「式内社、和志前神社が中世に村長秦治郎左ェ門によって
剣神社と改称されたというが、詳らかではない。
神体は秦治郎左ェ門の宝剣一振りである」

劔神社(越前町平等)

福井県越前町にある。
武生駅の西10Kmほどの平等(たいら)に鎮座。
集落の西端、公民館のような建物が境内にある。
境内入口は東向き。
正面に社殿があり、境内右手に境内社が並んでいる。

元、「鐘ヶ宮」とも称し、泰澄大師の開基にして、
鐘ヶ淵に鎮座していたという。
仁寿年間(851~854)に
慈覚大師が伽藍を建立し、別当とした。

別当廃止後に、上平に遷座し、
剣神社と号するようになった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:46 AM

伊豆山神社

静岡にある 伊豆山神社 を掲載しました。合計1792社。

静岡県熱海市にある。
熱海駅の東北1.5Kmにある伊豆山に鎮座。
熱海駅から当社までの道を、言葉で説明するのは難しいので割愛。
伊豆山子恋の森公園の南側にあるとだけ記しておく。

参道を登ると、右手に末社・足立権現社。
祭神は、修験道の祖である役小角(神変大菩薩)。
文武天皇の御宇、捕らえられて伊豆大島に流されたが、
夜は飛行の術を駆使して、当社へ飛んで来て修行を重ねたという。
運命開拓の神で、足の病に霊験あり。
祠の中には、木彫りの役小角像がある。

さらに登ると、左手に末社・結明神社。
祭神は、結明神(日精・月精)。
本社は、子恋の森公園上(七尾)にあり、当社は里宮らしい。
景行天皇三十一年、久地良山(日金山)に大杉があり、
その中から一男一女が誕生した。
初島・初木神社の祭神・初木姫が育てたところ、
男は日精、女は月精と生長し、
夫婦となって、日金山に仕え「伊豆権現氏人之祖」となった。
二人は、不知(富士山)から神上がり、
結明神と称されるようになった。縁結びの神である。

階段を上りきると、左手に摂社・雷電社。
祭神は、火牟須比命荒魂、雷電童子だが、以下の神々を合祀。
伊邪那岐命、伊邪那美命、菅原道眞、
奧津比古命、奧津比賣命、泉津事解之男命、速玉之男命、大海津美命。
上記のごとく、式内社・火牟須比命神社の論社の一つ。
吾妻鏡に「光の宮」記された神社で、火伏せの神、電気の神である。

関八州総鎮守として伊豆山大権現と尊称された神社。
伊豆・箱根周辺の温泉守護神として、さらに、
鎮火の神として崇敬された古社。

往昔、日金山(久地良山、十国峠あたり)に鎮座していたという。
伊豆の高嶺とも呼ばれた日金山は、常に猛火を吹き上げ、
火之峰(ほがね)、許々比之森(ここひのもり)とも称し
火の神への信仰を起源とするらしい。

後、日金山より四十丁ほど下った牟須比峯(七尾あたり)に、
新たに御社を建て、中の本宮と称し、
日金山の社を上の本宮とした。

さらに、現在地に遷座(三遷)し、新宮として、
伊豆権現・走湯権現と称するようになった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:42 AM

宮村岩部神社 (加賀市)

石川の 宮村岩部神社(加賀市) を掲載しました。合計1791社。

石川県加賀市にある。
大聖寺駅から北へ5Kmの宮町に鎮座。
北陸自動車道を越えて、日本海へ向う道が、
緩くカーブしている場所に、神域の森がある。

境内入口は、南側。
外から見ると、こんもりとした杜だが、
中に入ると、意外とあっさりとした境内。
境内中央に、機能していない石橋があり、
その奥に社殿がある。
当社社殿には、本殿はなく、
拝殿の後方に、垣に囲まれた場所があるだけ。

御神体石を囲む垣の高さは、人の背丈ほどで、ジャンプしてみたけど、
木が数本あることしか確認できなかった。
資料には巨石とあるが、それほど大きなものではないのだろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:58 PM