井波八幡宮 (南砺市)
富山県にある、井波八幡宮(南砺市) を掲載しました。
富山県南砺市(旧井波町)にある。
南砺市役所井波庁舎の南、直線で500mほどの松島にある井波城跡に鎮座。
戦国時代の城塞都市のような雰囲気の町の中に境内がある。
境内入口は北西向き。
参拝は晩秋10月後半の朝。
昇る朝日に向って緩やかに上る参道を歩くと逆光の鳥居。
鳥居の右手に手水舎があり、参道正面、境内の南東隅に当社の社殿。
拝殿は銅板葺入母屋造。後方の本殿は木々で良く見えなかったが瓦葺流造のようだ。
ひょっとすると見えているのは覆屋で、中に祠があるのかもしれない。
境内は広く、境内左手には綽如上人瑞泉寺創立之霊跡、霊水・臼浪水がある。
南北朝の頃、本願寺五世綽如上人が建立した瑞泉寺の古跡で、
綽如上人が「此地に霊水あり、故に瑞泉寺と称す」と記したという。
現在、瑞泉寺は当社の西側にある。
当社の正式名は「八幡宮」だが、他の八幡宮と区別して、
鎮座地名を冠して井波八幡宮と通称されている。
上記のように、当社境内は瑞泉寺の古跡。
瑞泉寺は一向一揆の拠点となり、寺の周囲に土塁や外堀を築いて
利波城(又は井波城)と称されていたが、
天正九年(1581)に武将の佐々成政に攻められて町家とともに兵火にかかった。
その後、成政の家臣前野小兵衛が入って城として整備され、
瑞泉寺阿弥陀堂跡が本丸、祖師堂跡が二ノ丸、太鼓堂跡が三ノ丸になったが、
数年後の天正十三年には前田利家に攻められて落城した。
正保二年(1645)、近郷四十八カ村の惣社であった谷鎮座の大森神社を
井波八幡宮として東井波に奉遷の総意となり、現在地、古城本丸西土居の上に遷座。
明暦三年(1657)には西土居を切抜いて道がひらかれ、
その後、嘉永五年(1852)に本殿、翌六年に拝殿が造営された。