御山御前神社跡地 (明和町)

三重県の御山御前神社跡地(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北7Kmほどの濱田に鎮座。
祓川の右岸、河口部近くの濱田集落の西側、「浜田公民館」の南にある。

『式内社調査報告』によると、畠田神社に合祀された式内社・守山神社の論社である御山御前神社は、かつて濱田に鎮座しており、古社地に山神が祀られているとあったので、同書の地図の印の位置に行ってみた。

方形の石台の手前に数段の階段があり、「山神」と刻まれた石碑が数本。
いくつかの灯籠の残骸があり、奥の木の根元にも石碑があるが、摩耗してよく読めなかった。

たぶん、ここが御山御前神社の古社地だと思うが、他の畠田神社に合祀された神社の古社地のような案内板や石碑が立っておらず、周囲に話を聞ける人もいなかったので、確証は無いのだが。

御山御前神社の創祀年代は不詳。
当地は『神鳳抄』に「外宮領濱田御薗」とある地。
御薗や神田があり、漆や桑の木の森林があり、漆液や桑の葉などを献上していたという。

その森林を神山、御山と呼び、その守護神として山神が祀られ、江戸時代には守山神社、俗に御山御前と呼ばれていたようで、式内社・守山神社の論社となっている。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:03 PM

伊呂上神社舊跡 (明和町)

三重県の伊呂上神社舊跡(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北7Kmほどの八木戸に鎮座。
23号線行部2交差点から北に入った場所、伊勢湾に流れる笹笛川の河口付近、八木戸橋の東詰にある八木戸集落にある。

当地は、現在中村鎮座の畠田神社に合祀されている伊呂上神社の跡地。
八木戸の南側にある公園の奥に「伊呂上神社舊跡」と刻まれた石碑が立っている。

伊呂上神社の創祀年代は不詳。
明治までは八王子社と称された八木戸村の産土神。
明治四十一年三月二十七日(あるいは四月一日)、北藤原鎮座の畠田神社に合祀され、同年八月十三日、その畠田神社は中村へ遷座した。

伊呂上神社は式内社・伊呂上神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:46 PM

根倉・國之御神社跡地(明和町)

三重県の根倉・國之御神社跡地(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北6Kmほどの根倉に鎮座。
23号線行部2交差点から北に入った根倉集落の西側にある。

当地は、現在中村鎮座の畠田神社に合祀されている根倉神社と國之御神社の跡地。
社地は南向きで鳥居が立っており、鳥居の奥に「延喜式内根倉神社」「延喜式内國乃御神社」と刻まれた二本の石碑(社号標)。
その奥の石台の上に玉砂利が敷き詰められ、石台の北端に祠が一つ祀られている。

根倉神社の創祀年代は不詳。
明治までは御魂社と称された根倉村の産土神。
明治四十一年三月二十七日、北藤原鎮座の畠田神社に合祀され、同年八月十三日、その畠田神社は中村へ遷座した。

國之御神社の創祀年代も不詳。
明治までは八王子社とも土御祖神とも称されていたが、根倉神社とともに、明治四十一年北藤原鎮座の畠田神社に合祀された。

元は、根倉神社は根倉村字豆垣内に、國之御神社は根倉村字東川に鎮座していたらしいが、畠田神社に合祀以前には現在地に二社祀られていたようだ。

國之御神社は式内社・國乃御神社に比定されている古社。
根倉神社は、その社号から式内社・櫃倉神社に比定されている古社。
櫃倉は根倉の誤記であるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:45 PM