根倉・國之御神社跡地(明和町)

三重県の根倉・國之御神社跡地(明和町) を掲載しました。

三重県明和町にある。
近鉄線斎宮駅の北6Kmほどの根倉に鎮座。
23号線行部2交差点から北に入った根倉集落の西側にある。

当地は、現在中村鎮座の畠田神社に合祀されている根倉神社と國之御神社の跡地。
社地は南向きで鳥居が立っており、鳥居の奥に「延喜式内根倉神社」「延喜式内國乃御神社」と刻まれた二本の石碑(社号標)。
その奥の石台の上に玉砂利が敷き詰められ、石台の北端に祠が一つ祀られている。

根倉神社の創祀年代は不詳。
明治までは御魂社と称された根倉村の産土神。
明治四十一年三月二十七日、北藤原鎮座の畠田神社に合祀され、同年八月十三日、その畠田神社は中村へ遷座した。

國之御神社の創祀年代も不詳。
明治までは八王子社とも土御祖神とも称されていたが、根倉神社とともに、明治四十一年北藤原鎮座の畠田神社に合祀された。

元は、根倉神社は根倉村字豆垣内に、國之御神社は根倉村字東川に鎮座していたらしいが、畠田神社に合祀以前には現在地に二社祀られていたようだ。

國之御神社は式内社・國乃御神社に比定されている古社。
根倉神社は、その社号から式内社・櫃倉神社に比定されている古社。
櫃倉は根倉の誤記であるという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:45 PM

井波八幡宮 (南砺市)

富山県にある、井波八幡宮(南砺市) を掲載しました。

富山県南砺市(旧井波町)にある。
南砺市役所井波庁舎の南、直線で500mほどの松島にある井波城跡に鎮座。
戦国時代の城塞都市のような雰囲気の町の中に境内がある。

境内入口は北西向き。
参拝は晩秋10月後半の朝。
昇る朝日に向って緩やかに上る参道を歩くと逆光の鳥居。
鳥居の右手に手水舎があり、参道正面、境内の南東隅に当社の社殿。
拝殿は銅板葺入母屋造。後方の本殿は木々で良く見えなかったが瓦葺流造のようだ。
ひょっとすると見えているのは覆屋で、中に祠があるのかもしれない。

境内は広く、境内左手には綽如上人瑞泉寺創立之霊跡、霊水・臼浪水がある。
南北朝の頃、本願寺五世綽如上人が建立した瑞泉寺の古跡で、
綽如上人が「此地に霊水あり、故に瑞泉寺と称す」と記したという。
現在、瑞泉寺は当社の西側にある。

当社の正式名は「八幡宮」だが、他の八幡宮と区別して、
鎮座地名を冠して井波八幡宮と通称されている。

上記のように、当社境内は瑞泉寺の古跡。
瑞泉寺は一向一揆の拠点となり、寺の周囲に土塁や外堀を築いて
利波城(又は井波城)と称されていたが、
天正九年(1581)に武将の佐々成政に攻められて町家とともに兵火にかかった。
その後、成政の家臣前野小兵衛が入って城として整備され、
瑞泉寺阿弥陀堂跡が本丸、祖師堂跡が二ノ丸、太鼓堂跡が三ノ丸になったが、
数年後の天正十三年には前田利家に攻められて落城した。

正保二年(1645)、近郷四十八カ村の惣社であった谷鎮座の大森神社を
井波八幡宮として東井波に奉遷の総意となり、現在地、古城本丸西土居の上に遷座。
明暦三年(1657)には西土居を切抜いて道がひらかれ、
その後、嘉永五年(1852)に本殿、翌六年に拝殿が造営された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:46 PM

大森神社 (南砺市)

富山県にある、大森神社(南砺市) を掲載しました。

富山県南砺市(旧井波町)にある。
南砺市役所井波庁舎の南西2Kmほどの谷に鎮座。
21号線を南西に進み、谷のあたりで南へ入った場所に境内がある。

境内入口は北西向き。
鳥居の右脇に「大森神社」と刻まれた社号標が建っており、
左手には庚申塔のような彫刻のある石碑。
炎が見られるのでひょっとすると不動明王かもしれない。

鳥居をくぐると正面に社殿。
拝殿の前面はガラスで覆われており、中を覗くと「大森神社」と記された扁額。
拝殿後方の本殿は覆屋の中で確認できなかった。
拝殿の左手に境内社のようなお堂のような社殿があるが詳細は未確認。

参拝は晩秋10月後半の朝。
社殿の後方から、朝日が射し込んで、なんだか神々しい。

創祀年代は不詳。
井波八幡宮の由緒によると、往古、八乙女の山頂近くの神陵と崇められた双陵
(荊塚ともいわれ、また古く鳥居が並び立っていたとかで二有鳥居塚、
後の人誤って二羽鳥塚、鶏塚)に向って正面、
山斐郷西井波の地内、谷の大森に鎮座していたといい、
その頃の谷の社地は大樹鬱蒼としていたから大森と呼ばれたとか。

明徳四年(1393)頃、山城国綴喜郡男山八幡を勧請し、
本殿を建築して以降、八幡宮と称されるようになった。
式内社・荊波神社の論社の一つである古社。

正保二年(1645)、近郷四十八カ村の惣社であった当社は
井波城跡の東井波に、井波八幡宮として奉遷されたが、
その後も祭祀は継続され、明治になって村社に列せられた。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:44 PM

波氐神社 (星合町)

三重県の波氐神社(星合町) を掲載しました。

三重県松阪市(旧三雲町)にある。
紀勢本線六軒駅の北東4Kmほどの星合町に鎮座。
23号線の小野江町交差点から東へ600mほど進み、
100mほど南下した場所に道路に面して東向きの境内がある。

境内入口に石の神明鳥居が建っており、右手に案内板。
鳥居をくぐるともう一つの鳥居があり、境内奥に社殿があるだけの簡素な神社。
拝殿は瓦葺で、拝殿の後方、一段高い石垣の上に垣に囲まれて本殿がある。
本殿は覆屋の中にあってよく見えないが神明造のようだ。

参拝は三月中旬。
伊勢参りを終えて長野への帰途。
雨後の境内は静かだが少し寒かった。

創祀年代、由緒は不詳。
式内社・波氐神社の論社となっている古社で、
古来、須氐と称していたが、明治三十八年三月十三日、波氐神社と改称した。

出口延経の『神名帳考証』に、祭神は多奈波太姫とあり
地名の星合などから、七夕伝説が伝わっているらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:55 PM

宇爾櫻神社 (明和町)

三重県の宇爾櫻神社(明和町) を掲載しました。

三重県の明和町にある。
近鉄山田線斎宮駅の南2Kmほどの有爾中(うになか)に鎮座。
37号線と530号線が交差する有爾中交差点から南西へ入った場所。
ゴルフ場の北側にある丘の上に境内がある。

境内入口は東向き。当社には参道が二つ10mほど離れて平行にあり、境内に向って左手の参道を上ると境内の左端に出るが、右手の参道入口には「延喜式内宇爾桜神社」と刻まれた社号標があり、参道を上ると社殿正面に出るので、右手が表参道なのかもしれない。

ということで鬱蒼と茂る木々の表参道を上ると丘の上に広い境内。
境内右手に祓所や神宮遥拝所があり、参道正面に当社社殿。
社殿の左手に境内社の桜宮と豊玉姫命を祀る祠がある。

拝殿は瓦葺平入で前に木製の鳥居が立っている。
拝殿の後方に、少し離れて垣に囲まれた神明造の本殿がある。

参拝は三月中旬の午前。まだ少し寒い時期。
社名から、桜の季節には美しい境内なのだろうと想像しながらの参拝。
樹に詳しくないので、境内に桜の木があるかどうかは確認していないが。

創祀年代は不詳だが、
式内社・宇尓櫻神社に比定されている古社。
平安時代には神宮の祈年祭や新嘗祭に預かり、座別祭料として絹、木綿、麻、庸布、楯、鰒などが供進されていた。

江戸時代には有爾中村の北部に鎮座し、櫻宮、あるいは櫻社と呼ばれていたが、田圃に接して神域を穢すおそれがあるとして、明治六年八月十五日に現在の合戦田の地に遷座。当地に祀られていた天王社を合祀して櫻神社と改称。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:00 PM

大山白山神社 (白川町)

岐阜県の大山白山神社(白川町) を掲載しました。

岐阜県白川町にある。
高山本線白川口駅の北東10Kmほどの白山(862m)山頂に鎮座。
白川に沿って62号線を3Kmほど進み、白山山頂を目指して北に入る。
山頂境内まで車道が整備されており、境内前には大きな駐車場がある。

境内入口は南西向き。
大きな金属製の鳥居が立っており、鳥居の扁額部分には神紋の桐の金飾り。
鳥居の右手に「金幣社大山白山神社」と刻まれた社号標。
社号標方向に歩いて行くと、中央部が連結された「女夫杉」がある。

鳥居をくぐり参道階段を50mほどだろうか上る。
階段の途中、振り向けば名古屋市が望めるらしいが参拝した日は見えなかった。
階段を上り、参道鳥居をくぐって進むと社殿のある境内。

社殿は、仏堂のような寄せ棟造で、大きくてどっしりとした構え。
扁額には「正一位大山白山権現」と記されている。

社殿の右手に奥之院へ続く石段(白川町指定有形文化財)があり、石段途中に大山のスギ。目通り周囲8.9m、樹高36m、樹齢約七百年の国指定天然記念物。
奥之院には本殿と左右に一つずつの境内社の祠。
天気が良ければ、奥之院から加賀白山、木曽御岳、乗鞍岳が望めるらしい。

参拝は晩秋の日の午後。そろそろ日没という時刻。
銀杏の葉の黄色い絨毯と木々の間から射しこむ夕陽が美しい、まさに神域。

創祀年代は不詳。
古くは武儀郡桐洞村の水晶山(現在下呂市金山町菅田桐洞)に鎮座し、その後、この大山に遷座したという。

社伝によると、養老二年(718)僧泰澄大師による創祀。
泰澄が加賀の白山比咩神社より白山権現を勧請したという。
『明治神社志料』には泰澄が水晶山から勧請したとある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:39 PM