竹神社 (明和町斎宮)

三重県の竹神社(明和町斎宮) を掲載しました。

三重県の明和町にある。
斎宮駅の東300mほどの字牛葉に鎮座。
428号線(斎宮街道)に面して南向きに鳥居が立っており、
鳥居の右手に「延喜式内竹神社」と刻まれた社号標。

鳥居をくぐると左手に社務所、右手に手水舎。
手水舎のそばには「八王子」と刻まれた石灯籠。
もとは、池村氏神の一つ饗庭の森八王子の石灯籠で
嘉永七年遷宮記念に氏子が作成したものだが、昭和三十七年池村より移転した。
また、その礎石は丹生上田野の常明寺の礎石だったらしい。

石灯籠の北側に鳥居が立っており、鳥居の奥が社殿の鎮座する杜。
参道を進むと、右手に神宮遥拝所、左手の奥には社日。
さらに進むと、左手に東向きの社殿。
社殿の前にも鳥居が立っており、参道を挟んで向かいに石の台。蕃塀だろうか。

拝殿内には祭神の名が列記されており、
その奥に瑞垣に囲まれた神明造の美しい本殿がある。

本殿のある瑞垣の左手に四角く整地された敷地がある。
参拝時には、神宮のように式年遷宮が行われ、隣りへ建て替えられるのだろうか、
などと思ったが、『式内社調査報告』によると祓所らしい。

当社は、明治四十四年、周辺の神社と合祀・移転されたもの。
現社地には、もとは宇志葉神社(野々宮神社)が鎮座していたらしいが、
さらに昔は斎宮城の跡。
室町時代斎宮の住人野呂三郎がここに城砦を築き勝手に徳政を敷き
狼藉を働いたので、国司北畠材親(きちか)に討伐されたと案内板にあった。

創祀年代は不詳。
社伝によると、垂仁天皇の御宇、
竹連(タケノムラジ)の祖・宇加之日子の子であ吉志比古が、
皇太神を奉じて伊勢御巡幸の倭姫命に供奉して此の地に留まった。
孝徳天皇の御代にいたって、多気郡が創設されるや、
その子孫が郡領に補任され、当地に定住して祖神である長白羽神を奉斎したのが当社の初め。
式内社・竹神社に比定されている古社である。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:55 PM