丹生神社 (香美町)

兵庫県の 丹生神社(香美町) を掲載しました。

兵庫県の香美町にある。
山陰本線・柴山駅の北側、すぐ近くに鎮座。
柴山港に面した柴山温泉の中、道に沿って細長い境内がある。
駐車場が無いので、
少しはなれた広い道に車を停め、急いで参拝。

境内入口は西向き。
参拝は午前中だったため、鳥居の撮影が逆光ぎみ。

鳥居脇には「式内 丹生大明神」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を進むと、石積みの上に社殿。
背後に山を背負ったような境内。

社殿は覆屋で、内部に本殿が安置されている。

創祀年代は不詳。
社伝によると、仁徳元年夏六月十日、
美含縣主仁良山命が、丹生山に神籬を建て祀ったという。

嘉祥四年正月二十七日に正六位上を授けられた神社で、
式内社・丹生神社に比定されている古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:18 PM

物忌奈命神社 (神津島)

伊豆諸島・神津島の物忌奈命神社(神津島) を掲載しました。

東京から180Km南にある神津島にある。
島の西側にある(前浜)神津島港のすぐ近く。
船客待合所付近から東を見ると、小高い丘の上に鳥居が見える。

坂道(あるいは階段)を登ると、参道入口の鳥居が建っている。
鳥居をくぐり参道階段を登ると、もう一つの鳥居。
こちらの鳥居は金属っぽい感じ。
鳥居の右脇に小さな鳥居があり、石祠が祀られている。

参道を進むと、曲がりくねった枝を持つ木のアーチ。
ちょっと南国っぽい雰囲気の中を進むと、神門がある。

神門をくぐると砂の境内。
参道正面に社殿があり、左手に手水舎。
社殿は瓦葺の拝殿と、後方に同じく瓦葺の本殿。

通称は明神様。
創祀年代は不詳。

祭神は、物忌奈命。
言い伝えでは、三島大神(事代主命)の嫡子で神津島の開祖、
長浜・阿波命神社に祀られている阿波咩命は母神。

『続日本後紀』によると、
神津島は、上津島と呼ばれ、
承和五年七月五日、大噴火があった島。

噴火による造島の霊験により
直後の承和七年(840)無位から従五位下を贈られ、
嘉祥三年(850)従五位上、
仁寿二年(852)正五位下に進められた古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:07 PM

阿波命神社 (神津島)

伊豆諸島・神津島の阿波命神社(神津島) を掲載しました。

東京から180Km南にある神津島にある。
島の西側にある(前浜)神津島港から北へ4Kmほどの長浜に鎮座。

神津島への船の入港地は、通常は西側の前浜だが
風によっては、東側の多幸湾となる。
風に弱いジェット船は多くの場合、多幸湾ということ。
僕はジェット船で神津島へ来たのだが、
やはり多幸湾に着いてしまった。
島の中心は前浜にあり、多幸湾からは村営バスが
日に数本あるのみ。
仕方がないので、本日予約していた宿に連絡して迎えに来てもらった。

当社へは前浜から海岸沿いに北上するのだが
バスの便が少ないので、宿からタクシーを利用した。
長浜海岸でタクシーをおり、まず海岸を歩いてみた。
浜の南側には大きな岩が転がっているが
北側は海水浴に適した砂浜。
当社は、その砂浜に面して鎮座している。

長浜海岸に面して西向きに参道入口があり、
鳥居をくぐって、砂浜の参道を歩くと神橋。
神橋の向こうが境内だが、境内は海砂が敷詰められ
裸足で歩きたくなる境内。
実際に本殿の近くでは靴を脱ぐと言う話も聞いた。

長浜の案内板に、
長浜の石を持ち帰ると神罰が下るという伝承が書かれていたが
地元の方々は願い事があると、
長浜の石を鳥居や社殿の前に置くらしく
鳥居の足元には、丸い石が山積みされていた。

境内の奥、石段の上に社殿がある。
昭和六十三年、災害により倒壊し、平成四年の修理されたようだ。
本殿は赤い屋根の入母屋造。

当社境内は、渓谷の入口にあり、
社殿後方の谷が、青空の下にV字の形で面白い。

境内の右手に、丸い石を積んで階段にした場所がある。
階段を登ると、「阿波命神社旧蹟」と刻まれた石碑。
昔はここに社殿があったのだろうか。

通称は長浜様。
創祀年代は不詳。

『続日本後紀』によると、
神津島は、上津島と呼ばれ、
承和五年七月五日、大噴火があった島。

祭神は、阿波咩命。
言い伝えでは、三島大神(事代主命)の本后。
ちなみに三島大神には伊豆諸島に多くの后が存在するが
本后が阿波咩命。
本后であるのに、他の后(伊古奈比咩命)が先に冠位を授けられ
大噴火は、その本后である阿波咩命の祟りと考えられたらしい。
長浜の石を持ち帰ると神罰が下るというのも
この祭神の気性による伝承だろう。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:20 PM

健御名方富命彦神別神社 (長野市)

長野県にある、健御名方富命彦神別神社(長野市) を掲載しました。

長野県長野市にある。
長野駅の北1Km、善光寺の東、
美術館の横、城山公園の側にある。
かっては城山一帯が境内だったらしい。

坂道の途中に、南向きの境内入口。
階段を登ると、赤い大鳥居が建っている。

鳥居の左側に社号標。右側に社務所があり、
広い境内の中央にある参道を進み、
さらに階段を登ると、社殿のある境内。

拝殿は瓦葺・入母屋造。
背後に石積みの上に流造の小振りな本殿が鎮座。
拝殿の左右に脇拝殿が付属しており、
左側の脇拝殿には扁額が無かったのだが、
右側の脇拝殿には「地主大神」と記された扁額が掲げられているので
中に地主大神が祀られているのかも。

境内左手に、四本の御柱が並んで立てられていた。

参拝は五月の日曜日の早朝。
朝日が昇った頃、6時前。
長野市は県庁所在地なので、昼間は車が多く
ストレスを感じるので、町がまだ寝ている時刻に訪れた。

創祀年代は不詳。

社伝によると、祭神・健御名方富命が
出雲より信濃へ入国の際、しばらく善光寺近辺にお住まいになり
先住の地方民を教化し、その後、諏訪へ移られたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:26 PM

健御名方富命彦神別神社 (信州新町)

長野県にある、健御名方富命彦神別神社(信州新町) を掲載しました。

長野県の信州新町にある。
長野駅から19号線を、
犀川に沿って南西へ18Kmほどの水内に鎮座。
水内ダムのあたりで、19号線から少し北へ登った場所。

狭い道に面して、朱の鳥居が立ち、
木立の中、石畳の参道が北へ続いている。
参道を進むと、正面に勅使殿のある境内。
勅使殿が、社殿の前に立ちふさがっている感じ。

信州の神社ということで、当社にも御柱。
社殿の左右前に、二本立っている。
この御柱も、何年か毎に立て替えられるのだろう。

数段の階段を登ると拝殿があり
後方の本殿は覆屋の中で、確認できない。
拝殿の扁額には「健南方富命彦神別神社」と書かれているが
参道入口の鳥居には「健御名方富命彦神別神社」。

創祀年代は不詳。

式内社・健御名方富命彦神別神社の論社の一で、
太古より奇石を奉安し御霊代として斎き祀っていたという。

水内神とも呼ばれ、諏訪神の御子神であるが故に
かっては諏訪大明神とも称していた。
また、水内に鎮座していることから、
通称は、水内大社(みのちたいしゃ)あるいは水内神社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 7:22 PM

泊神社 (式根島)

伊豆諸島・式根島の泊神社(式根島) を掲載しました。

東京から160Km南にある式根島にある。
新島の近くにある式根島は、周囲わずか12Kmの小さな島。
リアス式の海岸を持ち、幾つかの港がある。
東京からは大型客船やジェット船、新島からは連絡船が利用できる。

僕は、大島に宿をとっていたので、早朝の大型客船で到着。

船を下りて、港から右方向(北)へ坂道を登ると
道がカーブしている辺り、泊浦を見下ろすポイントに到着。
泊浦から南へ下ると、当社境内がある。
道に面して、入口は南西向き。
鳥居の脇に、由緒書きがあるのだが、
ほとんど消えて読めなかった。

鳥居をくぐると、砂地の境内。
参道正面には、御神輿庫があり、右手奥に当社社殿がある。
ということで、社殿は北西向きになるのだろうか。

社殿の前に鳥居があるのだが
細身の島木や貫は直線的でシャープな鳥居で美しい。
その鳥居をくぐると、木々に囲まれて社殿がある。
社殿は入母屋造の拝殿と、その中に本殿が組み込まれた形式。
拝殿をのぞくと、本殿には3つの扉が付けられていた。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 12:24 PM