波氐神社 (星合町)

三重県の波氐神社(星合町) を掲載しました。

三重県松阪市(旧三雲町)にある。
紀勢本線六軒駅の北東4Kmほどの星合町に鎮座。
23号線の小野江町交差点から東へ600mほど進み、
100mほど南下した場所に道路に面して東向きの境内がある。

境内入口に石の神明鳥居が建っており、右手に案内板。
鳥居をくぐるともう一つの鳥居があり、境内奥に社殿があるだけの簡素な神社。
拝殿は瓦葺で、拝殿の後方、一段高い石垣の上に垣に囲まれて本殿がある。
本殿は覆屋の中にあってよく見えないが神明造のようだ。

参拝は三月中旬。
伊勢参りを終えて長野への帰途。
雨後の境内は静かだが少し寒かった。

創祀年代、由緒は不詳。
式内社・波氐神社の論社となっている古社で、
古来、須氐と称していたが、明治三十八年三月十三日、波氐神社と改称した。

出口延経の『神名帳考証』に、祭神は多奈波太姫とあり
地名の星合などから、七夕伝説が伝わっているらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:55 午後

宇爾櫻神社 (明和町)

三重県の宇爾櫻神社(明和町) を掲載しました。

三重県の明和町にある。
近鉄山田線斎宮駅の南2Kmほどの有爾中(うになか)に鎮座。
37号線と530号線が交差する有爾中交差点から南西へ入った場所。
ゴルフ場の北側にある丘の上に境内がある。

境内入口は東向き。当社には参道が二つ10mほど離れて平行にあり、境内に向って左手の参道を上ると境内の左端に出るが、右手の参道入口には「延喜式内宇爾桜神社」と刻まれた社号標があり、参道を上ると社殿正面に出るので、右手が表参道なのかもしれない。

ということで鬱蒼と茂る木々の表参道を上ると丘の上に広い境内。
境内右手に祓所や神宮遥拝所があり、参道正面に当社社殿。
社殿の左手に境内社の桜宮と豊玉姫命を祀る祠がある。

拝殿は瓦葺平入で前に木製の鳥居が立っている。
拝殿の後方に、少し離れて垣に囲まれた神明造の本殿がある。

参拝は三月中旬の午前。まだ少し寒い時期。
社名から、桜の季節には美しい境内なのだろうと想像しながらの参拝。
樹に詳しくないので、境内に桜の木があるかどうかは確認していないが。

創祀年代は不詳だが、
式内社・宇尓櫻神社に比定されている古社。
平安時代には神宮の祈年祭や新嘗祭に預かり、座別祭料として絹、木綿、麻、庸布、楯、鰒などが供進されていた。

江戸時代には有爾中村の北部に鎮座し、櫻宮、あるいは櫻社と呼ばれていたが、田圃に接して神域を穢すおそれがあるとして、明治六年八月十五日に現在の合戦田の地に遷座。当地に祀られていた天王社を合祀して櫻神社と改称。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 11:00 午後

大山白山神社 (白川町)

岐阜県の大山白山神社(白川町) を掲載しました。

岐阜県白川町にある。
高山本線白川口駅の北東10Kmほどの白山(862m)山頂に鎮座。
白川に沿って62号線を3Kmほど進み、白山山頂を目指して北に入る。
山頂境内まで車道が整備されており、境内前には大きな駐車場がある。

境内入口は南西向き。
大きな金属製の鳥居が立っており、鳥居の扁額部分には神紋の桐の金飾り。
鳥居の右手に「金幣社大山白山神社」と刻まれた社号標。
社号標方向に歩いて行くと、中央部が連結された「女夫杉」がある。

鳥居をくぐり参道階段を50mほどだろうか上る。
階段の途中、振り向けば名古屋市が望めるらしいが参拝した日は見えなかった。
階段を上り、参道鳥居をくぐって進むと社殿のある境内。

社殿は、仏堂のような寄せ棟造で、大きくてどっしりとした構え。
扁額には「正一位大山白山権現」と記されている。

社殿の右手に奥之院へ続く石段(白川町指定有形文化財)があり、石段途中に大山のスギ。目通り周囲8.9m、樹高36m、樹齢約七百年の国指定天然記念物。
奥之院には本殿と左右に一つずつの境内社の祠。
天気が良ければ、奥之院から加賀白山、木曽御岳、乗鞍岳が望めるらしい。

参拝は晩秋の日の午後。そろそろ日没という時刻。
銀杏の葉の黄色い絨毯と木々の間から射しこむ夕陽が美しい、まさに神域。

創祀年代は不詳。
古くは武儀郡桐洞村の水晶山(現在下呂市金山町菅田桐洞)に鎮座し、その後、この大山に遷座したという。

社伝によると、養老二年(718)僧泰澄大師による創祀。
泰澄が加賀の白山比咩神社より白山権現を勧請したという。
『明治神社志料』には泰澄が水晶山から勧請したとある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:39 午後

竹大與杼神社 (明和町)

三重県の竹大與杼神社(明和町) を掲載しました。

三重県の明和町にある。
近鉄明和駅の北西5Kmほどの大淀に鎮座。
713号線を北上し23号線を越えて60号線に入って西へ進み、大堀川を越えて200mほどで海側(北東)へ入った場所に境内にある。

境内入口は北東向き。
鳥居の右脇に「延喜式内竹大與杼神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり参道を進むと右手に手水舎。
参道奥に当社の社殿が南東向きに並んでいる。
拝殿は切り妻造平入で、背後の垣の中に神明造の本殿。

拝殿の右手には祓所と大霊社(護國の英霊)。
左手には豊歳稲荷神社(宇賀魂神)と山神、橿原神宮遥拝所などがある。

参拝は三月中旬。天気の良い日の正午頃。境内に茂る木々の木漏れ日が暖かい。そんな参拝だった。

『倭姫命世記』によると、垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が天照大神の御神霊を奉載し、飯野の高宮より五十鈴川上に行幸のおり、佐々牟江宮から大淀浦を航行の際、風浪がなくて海水が「大与度に与度美」て御船の航行が安全であったため、倭姫命は大いに喜んで大与度社を定められたという神社で、式内社・竹大與杼神社に比定される古社。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 2:29 午後

竹佐々夫江神社 (明和町)

三重県の竹佐々夫江神社(明和町) を掲載しました。

三重県の明和町にある。
近鉄明和駅の北西5Kmほどの山大淀に鎮座。
713号線を北上し23号線を越えて60号線に入り西へ1.5Kmほどで海側(北東)へ入った場所。公民館の隣り、観福寺の脇、というか同一の境内にある。

境内入口は北東向き。鳥居をくぐり参道を進んで突き当たりを右に曲がると正面に社殿。拝殿は切り妻造平入で、背後の垣の中に神明造の本殿がある。

社殿の左手が小さな林になっており、その林の中に小石や山神の石碑が祀られていた。石の周りに竹の垣が施され、石の前には竹で作られた小さな鳥居。当社の社号に相応しい心配りなのかもしれないな、などと想像しながらの参拝。

『倭姫命世記』によると、垂仁天皇二十二年、皇女倭姫命が天照大神の御神霊を奉載し、飯野の高宮より五十鈴川上に行幸のおり、佐々牟江に船を留め、その地に佐々牟江宮を造営したという古社で、式内社・竹佐々夫江神社に比定される古社。

竹佐々夫江神社の竹は多気郡の意味で、多気郡の佐々夫江神社ということらしい。

江戸中期には知地の御前と呼称され、佐々夫江橋付近に奉斎されていたが、後年現在地に遷座された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 8:27 午後

伊豆神社 (阿南町)

長野県にある、伊豆神社(阿南町) を掲載しました。

長野県の阿南町にある。
阿南町役場の南西15Kmほどの新野に鎮座。
151号線(遠州街道)を南下し、418号線と交わるあたりから500mほどで西へ入ると、道路脇に鳥居と「伊豆神社」と刻まれた社号標が立っている。

境内は鳥居から石段を上ったところ、新熊山中腹にあるのだが、鳥居の南へ100mほどの場所から境内近くへ続く車道がある。

車道を上り車を停めて階段を上ると右手に手水舎。
正面にある二本の木に渡された注連縄をくぐると広い境内。
正面に当社の社殿があり、右手に神楽殿。
社殿と神楽殿の間に石碑が立っているがちゃんと確認しなかった。
『日本の神々』によると「御神木遺跡」と呼ばれるもので周囲五〇尺の神木があったが、明治三年に倒れたという。

拝殿は瓦葺入母屋造平入り。後方の本殿は神明造。拝殿の扁額に「伊豆神社」。
『平成祭データ』など神社庁資料には当社の社号は伊豆社となっている。

境内の案内板によると、鎌倉時代、伊豆国の人、伊東一族が流転の末にこの地に来たり、生国の伊豆山権現を迎えて祀ったという古社。

当社の「雪祭の芸能」は日本の伝統芸能の原点といわれ折口信夫は「日本の芸能を学ぶものは、一度見る必要のある祭り」と言ったといい、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

古くは正月神事、御神事、田楽祭、おささらなどと呼ばれたが雪を豊作の予兆とみて、雪を稲穂に見立てて神前に供え豊年を願うゆえ、折口信夫によって雪祭と呼ばれるようになった。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 9:37 午後