須原大社 (伊勢市)

三重県の須原大社(伊勢市) を掲載しました。

三重県伊勢市にある。伊勢市駅の西500mほどの一之木に鎮座。
豊受大神宮別宮である月夜見宮の西、道路を挟んで境内がある。

境内入口は、その道路に面して東向き。
鳥居をくぐると左手に手水舎があり、右手に南面して社殿がある。
拝殿は切妻造。拝殿内の扁額に「須原大社」と記され、拝殿の奥に垣に囲まれて神明造の本殿。

境内の左手には須原稲荷神社が鎮座。
当社社殿と須原稲荷神社の間にも社殿があり、社殿の前に木と石が祀られている。
『三重県神社誌』には境内社として稲荷社と並社(なろうやしろ)の名があり、並社は石神を祀っているらしいのでこれだろう。また石の前に「遥拝所」と刻まれた石柱が立っているが、どこかの遥拝所でもあるのだろうか。

参拝は式年遷宮を終えた外宮参拝後の三月。社殿の前に白梅が咲いていた。

創祀年代は不詳。須原地区の産土神として尊崇された神社で、かつては「大社」とのみ称していたらしい。

月夜見宮の境内に式内社・川原坐國生神社とされる高河原神社が寛文三年に復興されたが、当社がその古社地であるとする説があるらしい。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 10:00 午前

川添神社 (大台町)

三重県の川添神社(大台町) を掲載しました。

三重県の大台町にある。
紀勢本線栃原駅の東200mほどの栃原に鎮座。42号線の西側にある南北に長い広大な森が当社の境内。

境内入口は南向き。道路に面して石鳥居が立っており、鳥居の右手に「郷社川添神社」と刻まれた社号標。鳥居をくぐると、森の入口に木の鳥居。その鳥居をくぐると緩やかに下る参道。参道を下ると御手洗川にかかる神橋がある。

神橋の右手に手水舎があり、正面の階段を上ると社殿ある砂利の境内。
手水石の前に鉄の踏み板があり、その板を踏むと龍口から水が流れ出てくる仕組み。
無人の神社では手水が汚れた神社が多いのだが、これだと安心して手水を使うことが出来る。

階段を上ると清浄な神域。
社殿が二つ南面して並んでおり、階段正面が祖霊社、左手が当社の社殿。
祖霊社の右には神宮遥拝所がある。

社殿は舞殿のような拝殿と、拝殿の後方、垣に囲まれて神明造の本殿。
境内に「平成二十三年式年遷宮奉賛者」の名が記されていたので、神宮に先立って平成二十三年に建て替えられたようだ。
本殿のある垣の中、本殿の右手に石碑が立っていたが何だろう。

参拝は三月の曇天の日の午後四時頃。
境外は明るかったが、森の中はやや暗く、参道の灯籠には灯りが灯っていた。
綺麗に整備された神社はとにかく清涼感に溢れており、
手水の仕組み一つとってみても氏子の方々に愛され護られている神社なのだとわかる。

創祀年代は不詳。
一説には大和朝廷成立期の創祀。
栃原の山賊を討伐平定し統治した建日別命と天手力雄命を祀り、往古、栃原村、新田村の産土神として建日別神社、あるいは建比良辺神社と称し、栃原大宮、五身懸(ゴミカケ)の宮などと通称されていた。

当社地の小字名を牟山と称し、式内社・相鹿牟山神社二座の論社の一つ。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:57 午前

横手駒ケ嶽神社 (白州町横手)

山梨県にある、横手駒ケ嶽神社(白州町横手) を掲載しました。

山梨県北杜市(旧白州町)にある。
山梨県と長野県の県境に聳える甲斐駒ケ岳(2967m)の東麓。
20号線付近にある北杜市白州総合支所から614号線に入って道なりに西南へ3Kmほど進み、そこから西へ入った場所、白州町横手に鎮座。

山梨県側の甲斐駒ケ岳への登山口はここ(竹宇地区)と横手にあり、それぞれの登山口に駒ケ嶽神社が鎮座しており、地元では横手駒ケ嶽神社、竹宇駒ケ嶽神社と区別して読んでいるようだ。ただし、当社の境内由緒書きや資料などには駒ケ嶽神社とのみ記されている。

境内入口は南向き。社前数十メートル南と境内西側に駐車スペースがあり、参拝者のみならず甲斐駒ケ岳登山客も利用できるようだ。

境内入口の鳥居をくぐると右手に手水舎、左手に神楽殿。正面に当社の社殿がある。
境内は傾斜地にあり、社殿後方には多くの祠や石碑が立っている。切妻造本殿の後方には駒嶽大権現(大己貴命)、麻利支尊天(手力男命)。他にも観世音菩薩、刀利天狗(猿田彦大神)、刀利大権現(少彦名大神)、七丈嶽子安大明神、駒嶽馬頭観世音、天津火之大神(三宝荒神)、妙見大菩薩、成田不動明王、秋葉大権現、神変大菩薩、役の行者など。

社殿の左手に剣が逆さに建てられ、御神木の後方境内左手には甲斐駒ケ岳登山道を開いた信濃国の延命行者を祀った開山堂。開山堂の周囲には多くの霊神の石碑が並んでいる。

社伝によると、神代の昔、建御名方命がこの地に至りし時、雄大にして崇高な駒ケ岳の姿にうたれ、「この山はいと高く清々しき地なり、かれここにあが御親の神を祭るべし」と言ったのが当社の始まりで、後、雄略天皇の御代二年六月に改めて雲州宇迦山(出雲大社)より遷祀したと伝えられている古社。

文化十三年(1816)六月、信濃国の延命行者(小尾権三郎)が駒ケ岳に入山し、始めて登山の途を開かれ、以来、山岳信仰、神仏習合の神社として発展し県の内外に多くの講社が結成された。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 6:53 午後

竹宇駒ケ嶽神社 (白州町白須)

山梨県にある、竹宇駒ケ嶽神社(白州町白須) を掲載しました。

山梨県北杜市(旧白州町)にある。
山梨県と長野県の県境に聳える甲斐駒ケ岳(2967m)の東麓。
20号線付近にある北杜市白州総合支所から尾白川に沿って西へ4Kmほどの白州町白須に鎮座。
尾白の森名水公園を通過した突き当たりに、尾白川渓谷の無料駐車場があり、そこが甲斐駒ケ岳登山口になっている。

山梨県側の甲斐駒ケ岳への登山口はここ(竹宇地区)と横手にあり、それぞれの登山口に駒ケ嶽神社が鎮座しており、地元では竹宇駒ケ嶽神社、横手駒ケ嶽神社と区別して読んでいるようだ。ただし、当社の公式サイトでは甲斐 駒ケ嶽神社となっている。

尾白川渓谷の無料駐車場の登山口から砂利の道を歩いて進むと大きな岩の間に道が続いており、その奥が当社の境内。境内脇に尾白川にかかる釣橋があり、登山道が続いている。

境内入口は南東向き。山岳信仰の神社らしく、境内にはいくつもの岩があり、それぞれの岩の上には石碑や石像が祀られている。
参道を進むと、左手に祖霊宮、右手に子宝にご利益のある子玉社。さらに参道を進むと、左手に社務所、右手に神楽殿、正面に当社の社殿がある。

当社に関する資料は未入手。『山梨県神社誌』にも横手の駒ケ嶽神社は記載されているが、当社、竹宇の駒ケ嶽神社は載っていない。

境内の由緒書きによると、甲斐駒ケ岳は江戸時代に信州の人、今右エ門の次男、権三郎(後に弘幡行者開山偉力不動尊)によって開かれた信仰の山。その登山口に駒ケ岳講信者によって創祀された神社。

甲斐駒ケ岳の名称は、建御雷神から生まれた天津速駒と言う白馬が住んでいたのに由来し、尾白川はこの白馬の尾から名付けられたという。

当社は、甲斐駒ケ岳山頂の本宮(奥宮)に対する前宮(里宮)。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 5:38 午後

水宮神社 (南アルプス市)

山梨県にある、水宮神社(南アルプス市) を掲載しました。

山梨県南アルプス市(旧白根町)にある。
中央本線竜王駅の西8Kmほどの有野に鎮座。
20号線を西へ進み、12号線に突き当たった場所から少し南下して西へ入った場所。御勅使川の南にある杜が当社の境内。

境内入口は南向き。
鳥居をくぐると旧白根町の天然記念物に指定されている鬱蒼とした社叢。
参道を進むと、境内社の「山之神」と「七社神」の石祠。
さらに進むと手水舎と神門があり、神門の奥に当社の社殿。
拝殿は銅板葺きの堂々とした社殿。
拝殿後方、垣の中に流造の本殿がある。

参拝は四月の後半、天気の良い日の午前。
緑の多い境内は、その社名のように瑞々しくて気持ちが良い。

社伝によると、天長十一年(834)水出川(現在の御勅使川)が氾濫し付近の村々が流された。当時の国司であった藤原貞雄がこれを朝廷に報告。淳和天皇は、惨状を憂い勅使を派遣して水神を祀り、以後、流域各村の鎮守としたという。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 3:01 午後

天香山神社 (松阪市)

三重県の天香山神社(松阪市) を掲載しました。

三重県松阪市にある。
松阪駅の東8Kmほどの保津町(ほうづちょう)に鎮座。
60号線から北へ入った場所。光安寺の西側に境内がある。

境内入口は西向き。
鳥居の左手に「式内天香山神社」と刻まれた社合標が立っている。
鳥居をくぐると正面に社務所。左手(北)へ進むと当社の社殿。
拝殿の後方、垣の中に神明造の本殿がある、簡素な神社。

参拝は三月中旬の日の午後、というか夕方。
西日が射して、ややオレンジっぽい色の境内だった。

当社は明治四十二年二月二日に六根の大国玉神社に合祀されたが、その後、氏子の総意によって昭和十年三月二十七日に古社地に分祀再興されたもの。

創祀年代は不詳。
当社は森田吉ェ門宅内に祀られていた耕作の宮という小祠が、明治三十六年一月九日に村社宇気比神社(八王子)境内に移転合祀され、さらに明治四十二年に大国玉神社に合祀された神社。

その耕作の宮と称する小祠が、式内社・天香山神社の論社の一つ。
耕作(こうさく)の宮は古くは高崎(こうさき)宮と呼ばれ、高崎は香山(こうさん)の転化であるとして天香山神社であるという。

耕作の宮(高崎宮)の祭神は高嵜姫。
当社の北に、皇大神宮に奉る神御衣を織る御機殿の鎮守の神を祀る神服織機殿神社があり、桑の木を天香山に植え養蚕し、その絹糸で天照大御神の衣を作った神である天之八千千比売命とする説がある。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 4:47 午後