亀戸天満宮 (江東区)

東京の亀戸天満宮(江東区) を掲載しました。

東京都江東区にある。
錦糸町駅と亀戸駅の中間。JR線路から500m北の亀戸に鎮座。

参道入口は蔵前通りに面しており、
参道を進むと赤い大鳥居。
鳥居をくぐると、男橋と呼ばれる太鼓橋があり
橋を渡って、池の中の島を通ると女橋。
女橋を渡ると、正面に大きな社殿がある。
社殿の前には、神牛の像が置かれ、左に白梅、右に紅梅が咲いていた。

この太鼓橋は、安藤広重の『名所江戸百景』にも描かれている橋。
当社境内は、江戸庶民の憩いの場だったのだろう。
池の島は、紅白200本以上の梅の木のある梅園と藤棚になっており、
藤の名所として知られ、広重の版画にも藤の花が描かれている。

社殿は入母屋造、銅葺の朱の社殿。
境内の斜め後方には、スカイツリーが聳えており
今昔の組み合わせが面白い。

社殿前の手水舎には亀。当然、池の中にも亀。
境内右手奥には、亀井戸跡が残っており
亀に似た朽ちた贔屓の上に石碑が立ち、
横にも亀に似た石が置かれていた。

当社の正式名は、「亀戸天神社」だが、通称は「亀戸天満宮」、
境内入口の鳥居扁額や拝殿前の提灯には「亀戸天満宮」とあり
拝殿扁額には「亀戸天神社」とある。
他に、「亀戸天神」「本所宰府天満宮」「東宰府天満宮」
などとも呼ばれていたらしい。

正保三年(1646)二月、
太宰府天満宮神人菅原信祐、夢の中に道真公が現れて詠んだ
「十立ちて栄ゆる梅の稚枝かな」という神詠の句に感じ、
飛梅をもって神像を刻んで、諸国を巡って江戸に達し、
寛文元年(1661)八月、
現社地の東方6・700mの位置の元天神に奉斎。

時に、明暦三年の大火によって焦土と化した下総より葛飾を割き、
武蔵に加えて本所の地を開拓するにあたり
新開地の総鎮守たるべしとして、
寛文二年(1662)徳川家綱より境内地の寄進を受け、
太宰府の杜を模して、社殿、楼門、廻廊、心字池、太鼓橋等を造営し
奉斉したのが当社の起源。



A. 掲…掲載 — gensyoushi 1:23 AM